紙の本
死を見つめる
2003/08/24 01:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
死というものについて、ある時期から真剣に考えるようになった。日本人はとかく死ということ自体をタブー化するが、これは良くないと思う。死は生の一部であり、死を真剣に考えることは生を真剣に考えることに通じると思う。
本書は、著者が中心に行った末期患者とのインタビューを通して、末期患者の死の捕らえ方、医者、看護婦、家族らの末期患者との交流の仕方等を纏めたものである。
まず、末期患者が病気を宣告された時、精神が経過する段階を説明している。第1段階:否認と孤立、第2段階:怒り、第3段階:取引、第4段階:抑鬱、第5段階:受容。期間の差はあれ、概ね患者はこの段階を踏んで死を受容するようになるという。私が死を想像した場合、一気に第5段階に進むように思う。現実ではないから、分からないが…。そして、全ての段階に共通して持っている感情が「希望」であるという。これは大切であると思う。人間、どんなに絶望的な時でも「希望」を持つべきだと思う。死に際した時でも、死をむやみに否定する意味での希望でなく、死を受け入れるが、最後の瞬間まで生きようとする事は、大切だと思う。
数々の末期患者とのインタビューは全て興味深いものであった。
本書の続編があるという。「「死ぬ瞬間」と臨死体験」「人生は廻る輪のように」である。いつか是非読んで見たい
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末期患者を会話へと誘い、病院における患者管理の長所と欠点を彼らから学ぶ。69年に出版されて以来、全世界で広く読みつがれてきた、ターミナルケアのための「聖書」をフレッシュな名訳でよみがえらせた改訂版。
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う〜ん、確かに「五段階」…。死への「精神的階段(5段)」の存在を立証しております。私としては出来れば「1段か2段」で死への旅立ちはしたいものと考えております。が、今の私では最低でも「100段以上」は必要かも知れません。「日々修行!」、頑張ります。
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これは医療関係者に読んでいただきたい。あと患者やその家族の方々に。人間は必ず死ぬが、これは死を迎える人が考えること、回りの人間が考えることがこと細かく書かれている。
気づきさえすれば、患者もその家族も心安らかに死を受け入れられるだろう。
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図書館で借りた本。
なぜ借りたのかは分からないのですが,
とても参考になった本です。
死ぬまでの間に人が必要とすることは対話なのだなと思った。
今,私も対話を必要としている。
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死と言うものが、自分から遠いとは感じていた。
この本では、なぜ現代の人が死を忌避するのか、そのメカニズムが明快に書かれている。
死が痛ましいもの、辛いものであると思えば思うほど、生きている人の目から遠ざけようとする。昔であれば、遠ざける場所などなかった(自宅で死ぬことが多かった)し、病から長く生き延びるすべもなかった。死が身近にあった。
が、現代では死ににくくなった。
それゆえに「(実際に死が身近になるまで)自分は死なない」と考えることが多い。それはなんとなく分かる。生と死が寸断されている感覚。人は必ず死ぬということは知っているけど、それが自分と結びつかないような。
この本は、死を身近に感じた人にインタビューを取り、どのような過程を経て「死を受け入れていくか」を記録した本である。分析というよりは……インタビューをし、患者と医療従事者、そして家族の心が変容する様が綴っられている。(おそらく客観的に整理した結果なんだろうけれど、生々しいと感じる)
遠い未来か、近い将来、自分も死と向き合うことがあるだろうし、身近な人の死と出会うかもしれない。向き合う前に読んでおいて良かったと思えた一冊。
……にしても、あとがきに記されている著者のその後が……なんとも……。この本はインタビューに基づく事実だと思えるけど、その後は幽霊を見たり、スーパーナチュラルに行ってしまった様子。
幽霊が居ないとも、スーパーナチュラルの世界がないとも言いきれない。しかし、分かる、共感できるというのは共通認識を前提とするものだと思うので、選ばれた人だけが分かること(幽霊やスーパーナチュラル)を前提としてしまって……患者と向き合えたんだろうか。著者はもう亡くなられてしまったそうだが、その最後が受容であれば、と思ってしまった。
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今週おすすめする一冊は、エリザベス・キューブラー・ロスの『死
ぬ瞬間』です。医師である著者が、末期患者へのインタビューを通
じて、死と死の過程について考察した書で、1969年の出版以来、タ
ーミナルケア(終末医療)に関するバイブルとして、全世界で読み
継がれてきた記念碑的名著です。
この本が出版された当時、死について語ることは忌むべきこととさ
れていたようです。本書のもとにあるのは、著者が1965年から始め
た「死とその過程に関するセミナー」と呼ばれる研究活動です。そ
れは病院で末期の患者にインタビューをし、その体験について皆で
語り合う、というものだったのですが、その研究会自体が、病院側
からは忌み嫌われ、著者は「死体を漁るハゲタカ」と蔑まれたこと
もあったそうです。
確かに、病院というところは、死について触れるのがタブーになっ
ているところがあります。それは、著者が述べているとおり、死に
ついて認めることは、医師達にとって敗北を意味するからでしょう。
医師達の職業的プライドが死を認めさせない。つまり、病院という
のは、死を否認するためにある場所なのです。
でも、死を否定し、死をなきものにするということは、死につつあ
る人の尊厳を否定することになってしまうということに、医師達も、
そして家族も、あまりに無自覚です。
今、日本では、3割の人がガンで亡くなっています。ガンは、突然
死ではありません。それは緩慢な死です。つまり、全てのガン患者
は、自らの末期と向き合いながら生きていかざるを得ないのです。
3人に一人がそうやって末期と向き合いながら生きているのに、あ
まりに僕らは死の過程について無知です。それくらい、死というも
のは現代社会の中で隠されている。でも、死の過程について知らな
い限り、よく生きることはできないと思うのです。それは、2年前
に末期ガンで亡くなった母が身を以て教えてくれたことでした。
本書は、その死の過程について、否認と孤立→怒り→取引→抑鬱→
受容という5段階で説明します。本書を有名にしたのはこの「死の
5段階説」ですが、本書から学ぶべきは、むしろ、末期の人と向き
合う姿勢そのもの、特に、話を聴こうとすることの大切さ、です。
人に聴いてもらえる、自分の死に向きあってくれる人がいる、とい
うことが、いかに最期を迎えている人に力を与えるのか。人は自分
の話を聴いてもらえることで、初めて自分の存在を認めてもらえた、
と思うものなのでしょう。つまり、聴くこと、ただ耳を傾けてあげ
ることが、人の尊厳を守ることにつながるのです。
人の尊厳のあり方について考えさせてくれる好著です。是非、読ん
でみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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私の願いは、この本を読んだ人が、「望みのない」病人から��込み
することなく、彼らに近づき、彼らが人生の最後の時間を過ごす手
伝いができるようになることである。そうしたことができるように
なれば、その経験が病人だけでなく自分にとっても有益になること
がわかるだろうし、人間の心の働きについて多くを学ぶことができ、
自分たちの存在のどこがいちばん人間らしい側面であるかがわかる
だろう。そしてこの経験によって心はより豊かになり、おそらくは
自分の死に対する不安も少なくなるのではなかろうか。
私たちは種々の束縛からかなり解放され、科学や人間についての知
識を得たおかげで、自分自身も家族も、よりよい方法、手段で死の
準備ができるようになったかもしれない。しかし、半面、人が自分
の家で安らかに尊厳をもって死ぬことができる時代は過去のものと
なった。
死の過程はより孤独に、より機械的に、より非人間的になった。と
きには医師ですら死の瞬間がいつなのか決めかねる場合もある。
私たちのインタビューで明らかになったことは、すべての患者がも
っと生きられるという可能性を信じていたことだ。どんなときでも、
もう生きる望みはない、という者は一人もいなかった。
自分自身を正直に見つめることは成長・成熟を大いに助ける。そし
てその目的を達成するには、重病患者、年老いた患者、死の迫って
いる患者に接する仕事に勝るものはない。
大切にされ、理解され、気にかけてもらい、わずかな時間でも割い
てもらえる患者は、じきに声をやわらげ、怒って何かを要求するこ
とも少なくなるだろう。そうした患者は、自分が価値のある人間で
あり、愛されていて、できるだけ長い間、可能な限り自分の体を動
かすことが許されているのだ、ということを知る。
「病気だと人は離れていきます。話したくないだろうと思われるの
でしょうね。でもそんなことはありません。たとえ返事ができなく
ても、家族や友人が黙ってそばにいてくれるだけで患者は孤独では
ないと思えるのです」
「自分の尊厳を守りたかっただけなのです。尊厳は、私自身のため
という名目で、簡単に奪われてしまいますから」
私たちがそばにいるだけで、患者は最後まで近くにいてくれるのだ
と確信する。重要なことの処理は済み、患者が永遠の眠りにつくの
はもう時間の問題であるのだから、何も言わなくてもかまわないと
いうことを患者に知らせるだけでよい。それだけで患者は、もう何
も話さなくてもひとりぼっちではないのだという確信を取り戻す。
末期であるとないとにかかわらず、どの患者に対しても、けっして
「さじをなげ」たりしてはいけないと言いたい。医学の限界を越え
た状況にある患者こそが十分な介護を必要としているのだ。
より多くの人が、死とその過程を人生の本質的な過程のひとつと考
え、妊娠・出産について話すのと同様に何のためらいもなく語り合
うことができればいいのかもしれない。
末期患者には非常に特別な要求がある。それは、私たちが座って耳
を傾け、それが何なのかをはっきりさせれば満たされる。おそらく
もっとも重要なのは、こちらにはいつでも患者の不安を聞く用意が
あると伝えることだろう。
人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。広大な空に瞬く百万もの
光の中のひとつが、一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消え
ていく。臨死患者のセラピストになることを経験すると、人類とい
う大きな海の中でも一人ひとりが唯一無二の存在であることがわか
る。そしてその存在は有限であること、つまり寿命には限りがある
ことを改めて認識させられるのだ。七十歳を過ぎるまで生きる人は
多くないが、ほとんどの人はその短い時間の中でかけがえのない人
生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくの
である。
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●[2]編集後記
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毎朝、20分ほどかけて、自転車で娘を幼稚園に届けます。ちょっ
と遠いのですが、20分間も自転車に乗っていると、色々な発見が
あるし、娘とも色々な話ができるので、自分にとってはかけがえの
ない時間です。
同じ道だと飽きるという面は確かにあるのですが、同じ道だからこ
そ気付くことも多くて、季節の変化なぞは、その最たるものです。
他のものが変わらないからこそ、変わりゆくものに気付くことがで
きる。昔の人が季節の移ろいに敏感だったのも、一つ所で仕事をし
ていたからなのだろうとつくづく思うのです。
春になって思うのは、圧倒的に色が増えたことです。花が咲き乱れ
ている上、木々も芽吹いていますから、ありとあらゆる色が楽しめ
ます。春っていいなあ、と改めて思います。
国文学者の中西進氏によると、やまとことばの「さいわい(幸福)」
は、昔は「さきはひ」と言ったそうで、それは、「咲き這い」、つ
まり、花が咲き広がり、咲き続ける様を表現する言葉なのだそうで
す。寒い冬を超えて、花が咲き乱れる春になった時に味わえるこの
何とも言えない高揚感。それが「さいわい」の語源だったのです。
「こうふく」というと抽象的ですが、「さいわい」というとぐっと
身近な感じがするのは、それが毎日の暮しに根づいた具体的な実感
から生まれたものだったからなのですね。
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死の5段階説は有名で、障害やショッキングな出来事を受け入れるまでの心の動きにも応用されている。しかし、直前まで続く患者は何らかの希望をっており、援助者がその希望を踏みにじってはならないというメッセージは忘れられていないだろうか?告知で「医者に見放された」と感じる患者がいまだに少なくない原因がこの辺りにあるように感じた。死に行く方に関わる一人として自戒の意味を込めて。
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エリザベス・キューブラー・ロス博士の伝説的名著と言っていいのではないでしょうか。
大学1年生だったから今からもう20年以上前に初めて読みました。当時、人文演習ゼミで「死」をテーマに研究していたからです。結局、論文にはほとんど使えませんでしたが。
しかし、改めて読んでみて、その当時の驚きと感動が蘇り、この本の普遍性に感じ入ったわけであります。
レベル:663
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「NEXT READING」
(死の恐怖とはどんな恐怖?)・・・「死」は人間にとって忌むべきもの、「私たちは無意識のうちに『自分にかぎって死ぬことは絶対にありえない』という基本認識を持っている。」、死ぬのは殺されるときだけであり、自然現象や老齢のために死ぬなんて考えられないのだ、そのために死は、それ自体が報いや罰をまねくような悪い行いと認識される。
(死の恐怖からのがれるためにどう考えるのか?)・・・”否認と孤立”、”怒り”、”取り引き”、”抑欝”、”受容”(感情がほとんど欠落した状態で死について語る。)、これらのメカニズムを援助者や家族が知り、本人の死と死への恐怖を受け入れること、座って耳を傾けそれが何か(要求)はっきりさせれば、満たされる。
(悲しみの解消方法は)・・・もう手の打ちようがない状態のときでも自分のことが忘れ去られていないのだと気づき、慰められる(夕刻の面会)。
(「死」を通じて知ること)・・・5段階のメカニズムは「死」に限らず、人が直面する課題で受けるメカニズム。「死」は人間を知る一つの方法。
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(英文4年生 小島さんより)
健康に日々を生きる今、「死」を身近なこととして考えることはあるだろうか。
本書は人が死に直面した時、その受け入れるまでの過程の中で、何を思い、何を求めるのかを末期患者へのインタビューを通じて人々の死への心理を探り、終末医療のあり方を考察した書です。
高校3年生の受験を控えた最後の夏、教頭先生に薦められたこの一冊は「死」を考えようともしていなかった私のなかでとても衝撃的なものでした。
例えば、緊急医療が施される場合、医師は最善を尽くそうとし心拍数、脈拍、心電図、その他機能を示す数値に目を向ける。そこでは機械化された医療があり患者個人の人格、意見は無視される。
高度な医療技術は人々の死への恐怖を克服するため‘延命’という手段で死から私たちを遠ざけるが、同時に、患者というひとりの人間が死へ向き合うことをも遠ざける。
「死」を一つの点でなく、それまでの過程として考えることで限りあるいのちを今よりもっと考えさせてくれる一冊です。
章の初めに毎回紹介されるアジア初のノーベル文学賞を受賞した詩人、タゴールの言葉も暖かく響き渡ります。
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死というタブー視されるテーマに真正面から向き合う本。自分にも明日訪れるかもしれない余命宣告、他人事ではない。宗教的な部分は無宗教の私にはよく分からなかったが、避けては通れない将来の為に読むべき本でした。
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完全新訳改訂版。On Death and Dying
末期患者の心を捉える。患者の気持ちを考えない医師と看護婦。
末期患者は、否認と孤立。怒り。取引。抑鬱。受容。の各段階を経ると言う。
訳者によると、『「死ぬ瞬間」と臨死体験』と『人生は廻る輪のように』を読んでほしいとのこと。
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死という分野の本は初めて読んだ。
人が死についてどんな思いを持っているのかわかる本。
死ぬ瞬間は、恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止である。
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死の分野に関する世界的ベストセラーということで読んでみた。
どうやら死の五段階説でとても有名らしい。
五段階とは、「否認と孤立」→「怒り」→「取り引き」→「抑鬱」→「受容」だ。やってくるのは必ずしもこの順番ではないらしいが。
読んでみて思うことは「死ぬ瞬間」という訳語は明らかに適切ではない。むしろ原書の On Death & Dyingを素直に訳した「死とその過程について」がぴったりくる。
いずれにせよ、死へといたる人間の心の動きを研究した画期的な書である。
本書は末期患者へのインタビューを軸にした書籍だが、他著者で死刑囚に対するインタビューの著作があれば読んでみて比較してみたいなと思った。