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  • みんなの評価 5つ星のうち 3.7 149件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:1996/07/10
  • 出版社: 文芸春秋
  • レーベル: 文春文庫
  • サイズ:16cm/227p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-16-732302-8
文庫

紙の本

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

著者 青木 新門 (著)

〔初版:桂書房 1993年刊〕【「TRC MARC」の商品解説】〈納棺夫〉とは、永らく冠婚葬祭会社で死者を棺に納める仕事に従事した著者の造語である。「生」と「死」を静かに...

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納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

税込 638 5pt

納棺夫日記 増補改訂版

税込 630 5pt

納棺夫日記 増補改訂版

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商品説明

〔初版:桂書房 1993年刊〕【「TRC MARC」の商品解説】

〈納棺夫〉とは、永らく冠婚葬祭会社で死者を棺に納める仕事に従事した著者の造語である。「生」と「死」を静かに語る、読み継がれるべき刮目の書。(序文・吉村昭 解説・高史明)【商品解説】

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みんなのレビュー149件

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評価内訳

紙の本

生と死の現場においてこそ生まれる死生観

2008/04/07 22:50

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐吉 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、富山県で葬儀社に勤め、遺体を湯灌し納棺する仕事に就いていた著者が、その「納棺夫」としての日々と、それを通して思い巡らせた哲学的論考を、澄明な文章で綴った一冊である。もともと地方出版社から刊行されたものを文庫化した本書には、3つの章から成る本編に加えて「『納棺夫日記』を著して」という後日談が収められている。

第1章「みぞれの季節」には、経営していたスナックが倒産し、糊口を凌ぐため世間から忌み嫌われる仕事に就いた著者の、困惑と葛藤の日々が綴られている。

妻には「穢らわしい」と罵倒され、叔父には「一族の恥」と絶交を云い渡され、自身当惑しながら仕事を続けていた著者は、ある日かつての恋人の父親を納棺することになる。父親の遺体を湯灌する彼に、彼女は目に涙を溜めて額の汗を拭き続けてくれた。その行為に自分のすべてが認められたと感じた著者は、人の死やそれに関わる職業をタブー視する社会通念が、誰より自分の中に根深く巣食っていたことに気づき、まず自分自身の考えを改めなければと、真摯な態度をもって「納棺夫に徹する」ようになる。そんな彼に、次第に、生と死がみぞれの中の雨と雪のように分かちがたいものであるという考えが芽生えてくる。

第2章「人の死いろいろ」では、著者が納棺の仕事を通じて経験した、様々な人の死の様相が描かれる。

轢死体の処理に呼ばれ、蛆の湧いた独居老人の遺体を納棺し、死の直前まで延命装置に囲まれぶよぶよになった死体に触れては現在の末期医療のあり方に思いを致す。そうして毎日死者と接するうち、著者は死者の表情に美しさを見いだすようになり、一方で死を忌避する生者の視線を醜悪と感じるようになる。俗信や迷信がないまぜになった葬送儀礼の矛盾に疑問を抱き、その背後に、もっぱら生者の視点から死を解釈しようとする人間の我執を見て取る。

そしてなにより圧巻なのが、第3章「ひかりといのち」である。

癌で他界した作家の高見順が、あるいは『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の井上和清医師が、死を受け入れた瞬間、この世のあらゆるものが光り輝いて見えたと記している。そして著者もまた、他者の死を見つめる日々の中で、そうした光の残映のような微光を感じるようになる。

その不思議な光を最も明快に解き明かしてくれたのは親鸞だった。親鸞の思想は、親鸞自身が体験した光現象に基づいた、きわめて実践的なものだった。著者はその親鸞との出会いをとことん掘り下げてゆく。宮沢賢治や金子みすずの詩、分子生物学や量子物理学、そして様々な仏教思想など多様な知見を引き合いに出し、彼自身の生と死を見つめる眼差しを、深く、真摯に、ダイナミックに展開してゆく。生と死が限りなく近づいたときに起こるこの光現象を体験すると、人は生への執着や死への恐怖から解放され、この世のあらゆるものへの感謝の気持ちに包まれる。それは生と死という二分法を越えた視点から「生死」を感得することである、と。

ただし、第3章は一読ですんなり理解できる内容ではない。難解というのではないが、著者が生と死を見つめていった経緯をありのままに綴ったこの章は、一つの結論に向かって理路整然と語るという性格の文章ではない。くだんの後日談にも、この章は難しくてついていけなかったという読者の声が少なくなかったことが記されている。

そもそもここで語られている光現象は、著者本人が云うようにあくまで実体験から感得するものであって、言葉で伝えられるものではない。彼自身それを承知のうえで、理屈ではなく感動によってその残映なりとも伝えようとしたのが本書なのである。だから第1章、第2章から何かを感じ取るだけでも、本書を読む意味はあるはずである。が、評者はやはり第3章こそがもっとも深い洞察に満ちていると記しておきたい。わかりにくければ何度でも読み返せばいい。本書はそうするだけの価値が充分にある一冊である。

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紙の本

人間の死亡率は100% 忌み嫌うものではなく、隠すものでもない

2008/09/15 17:08

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る

詩人である著者は生活のために
冠婚葬祭会社に入社し、湯灌、納棺を行うようになり
その日々から見えてきた人の生死、
仏教の悟りや教え、生活の中の宗教について語っています。

入社が昭和48年。
富山の地方という土地柄も反映され
仕事の初期はまだ家で亡くなる人が多い。
遺族の見守る中で湯灌と納棺を行う様子は
今では見られなくなった光景でしょう。

このように、第一章と第二章は仕事の中で
出会った仏様の様子について書かれています。

確執のあった叔父との最後の別れから
人が死ぬ時に会う「ひかり」へと流れていきます。

私も臨死体験があるのですが
苦しさの中でふと体が楽になり、呼吸をする必要もなく
ただ辺りが美しく光り輝いて見えました。
死ぬ時に人は「光明」という状態が現れるそうです。

ちょうど並行して読んでいた『ダライ・ラマの仏教入門』に
修業のあるなしに関わらず、自分の粗大なレヴェルが
自分のうちの最も奥深い最も凪いだ意識に融合する。
その状態を「光明」というと書かれていました。

人の死は忌み嫌うものではなく
実は光に充ち溢れ、その内面は感謝に充ち溢れています。
間違った宗教や風習のなかで、
或いは新しい生活様式の中で、死がゆがめられています。

そのゆがみを正すかのように
第三章では仏教の経典や宇宙の始まりと終わり、
ニュートリノ、死に直面した人の書き遺した詩、
宮沢賢治の作品を紐解きながら語ります。

生活のために納棺夫をしていますが
著者は詩人であり作家なので
死者の待つ家に向かうまで、あるいは納棺を済ませた後の
風景描写が美しく、目に浮かびます。
決して死を美化しているわけではないのですが
避けて通れぬ「死」という現実は、実は気高く美しい。



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紙の本

船頭多くして文科系談義。

2009/06/10 16:48

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

前半に印象的な箇所が、登場します。
そういえば、後半の第三章に親鸞が登場しておりました。その箇所で、こう指摘しておられます。

「親鸞の主著は、『教行信証』である。
今日では、浄土真宗の立教の根本思想となっている。
この書を開いて、まず気づくことは、最初の教えの巻が他の五巻と比べると極端に短いことである。それは、『教行信証』全体の結論から先に述べてあるからである。また他の五巻も、巻頭は裁判所の判決文のように一行の結論で済まし、後は判決理由を長々と述べるといった書き方である。・・・親鸞は常に、結論から先に述べている。」(p92~93)

この納棺夫日記で、最初に登場する印象的な箇所。
それは、葬祭業になって、あらてめて、地方の風習を語る箇所でした。


「今日までこの地方では、この湯灌・納棺をする人は、死者の従兄弟か叔父や甥がするのが習わしとなっている。選ばれた二、三人は、町内や村の長老や葬儀屋などの指示で、渋々行うのである。なぜか使い古しのエプロンか割烹着を裏返しに着て、荒縄などでたすきをしたり、腰をしばったりした異様ないで立ちで行う。そして始めるのかと思うと、コップ酒をあおり、わあわあと興奮しているだけで、一向に作業がはかどらない。一々口出しする船頭が多いせいもある。
・・・・
船頭が多い上、やりたくないのにやらされた素人が酒をあおって行うわけで、死者を全裸にしたり、起こしたり横にしたりするものだから口や鼻や耳から血が出てきたり、不快は状況を現出させるわけで、取り巻く人々は死者への愛惜の念と死体への嫌悪感と死への恐怖などが入り混じり、いやがうえにも興奮状態が増幅されてゆく。」(p12~13)

そういえば、養老孟司さんは語ってます。

「理科系の僕からいわせると、文科系の人は、日本の世間というのはどういう原理で、どいうやって動いているんだということをきちんと調べてほしい。葬式の問題なんて、解剖学をやっているこっちのほうが詳しいんです。現につきあわざると得ないから(笑)。そうするといろんなトラブルが起こるから、一応、私なりに理屈をつくって、こうなっているんだなあと理解して、徐々に本筋が見えてくる。学問は本来そうやって育っていくものだと思います。」(p104)

これは渡部昇一・養老孟司対談「日本人ならこう考える」(PHP)にある。

青木新門氏のいう「コップ酒をあおり、わあわあと興奮しているだけで、一向に作業がはかどらない。一々口出しする船頭が多い・・」
というのと、
養老氏のいう「文科系の人は、日本の世間というのはどういう原理で、どいうやって動いているんだということをきちんと調べてほしい。葬式の問題なんて、解剖学をやっているこっちのほうが詳しいんです」というのと、
二つを並べると面白いなあ。

ちなみに青木氏は早稲田大学中退で、富山市内の飲食店を経営し倒産。そして冠婚葬祭会社へと就職し、納棺を職業としてしたのでした。

医者との接点も、何箇所か登場するのですが、
最初には、こんな箇所がありました。

「納棺を終え僧侶の控室へ案内され、僧侶と一緒にお茶を飲んでいると、『先刻より見せていただいていたのだが、あなたは偉いね、われわれ僧侶も見習わなければならない。ところで、あなたはどこの医学部を出られたのですか』と聞いた。
あまりに唐突な質問に戸惑っているところへ通夜の準備が整ったとの案内があって会話が中断した。なぜ医学部なのか分からなかった・・・」(p32)

ちなみに、青木氏は、旧満州で終戦を迎え、その時は、8歳とのこと。

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紙の本

その死者から 一番遠いところにいた人なのに

2009/06/02 20:16

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 映画を見たあとで 本書を読んだ。

 「死」と「死体」と「死者」を分けて書いた一節が印象的だった。著者は「死」は医者が見つめ 「死者」は愛する人が見つめ 「死体」は葬儀屋が見つめると言う。
 その三つの「死」を考えてみると 「死体」を扱う人が 一番 その亡くなった人から「遠い」に違いない。なぜなら 生前の その人に会う機会すらなかった可能性も高いからだ。著者は そんな場所にいる。

 そういう「物体」としての「死」を取り扱ううちに、著者に だんだん生と死に対する透徹な視線が生まれていくところが本書の最大の魅力である。
「葬儀屋」とは「死体」を扱う一種の「職人」だ。職人が自分の職を求道していくなかで 底光りしていくということは よくあることだ。著者もその一人である。
 勿論 そういう視線を獲得するにあたり 著者の個人的な資質と経験は見逃せない。若い時にいささか廻り道と放蕩を過ごしてきた姿は 多くの宗教家が辿ってきた道と同じである。「死体」を常に見つめるという 「職」と 著者自身の資質が結びついた地点で本書は成り立っている。

 本書と 「おくりびと」という映画は 全く別物と言って良いと思う。映画が本書から借りてきたのは 「納棺夫」という職業設定だけだ。但し 本書も映画も別個に優れた作品となっている。それはそれで 稀有なことだ。

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紙の本

死の現場を通してみたもの

2009/05/20 17:27

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:イム十一 - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者が「納棺夫」として体験してきた日々、そしてその中で感得してきたものを宮沢賢治・金子みすずの詩や仏教(親鸞)の教えなどを織り交ぜながら書かれた本です。
全3章+この著書を世に出してからの著者談で構成されています。
第1章「みぞれの季節」での、「雨と雪」=「生と死」に代表されるような二元的思考からの脱却を「みぞれ」として一元的にとらえていく表現や、第3章「ひかりといのち」での、著者が感じた「ひかり」の存在を親鸞の浄土思想や現代科学の進歩と重ね合わせながら読み解いていくところは、非常に興味深く読むことができました。
数多くの死の現場に向き合った著者ならではの表現や考え方が味わえる一冊ではないかと思います。

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紙の本

これは凄い本です。

2003/08/21 22:11

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:野猿 - この投稿者のレビュー一覧を見る

富山県の葬儀屋さんが、死の現場から書かれた本です。葬儀屋の現場から、死へのまなざしを描く青木新門氏の快作です。第一部、第二部の生と死の饗宴。第三部の宗教的哲学思考。突き抜けた光の世界に行けば、こういう清澄さが得られるのです。もうことばが、出ません。

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紙の本

ふしぎなひかり

2009/03/03 15:31

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:大島なえ - この投稿者のレビュー一覧を見る

納棺夫とは作者の青木新門の造語であり、それまで特に葬儀社(屋)の社員のする仕事のひとつだった。この『納棺夫日記』によって納棺夫(師)と言う職業がはじめて認められたのは、それまでは死体を清め棺に納めるという葬式には欠かせない仕事が、実は誰もが嫌がり押しつけられるように仕方なくしていた日陰の仕事と思われていたのを、正しく認識させることになる。
詩人であり、故郷の富山で飲食店を経営するも文学好きな客の溜まり場になり金銭的にもルーズで店は倒産、妻子を養う甲斐性もない、生まれた子どものミルク代も欠き、偶然見かけた求人広告を頼りに藁をもすがる思いで戸を叩いたのが、実は葬儀社で仕事は遺体を拭き清め納棺する仕事だった。
しかしこの仕事をやめれば、生まれたばかりの子どものミルクが買えないと自身に言いきかせ、富山の昔からの風習の強い郷土独自の葬式の現場でも親戚も嫌がって触らない遺体を清め、抱き納棺する姿に、親族等は深い感謝の意を伝えるようになる。
しかし家に戻れば妻からは、死体をさわった汚らわしい体と触れるのを拒否され親戚の叔父からは、こんな恥ずかしい仕事はすぐにやめろ。と言われるのだ。或る日は真夏に老人が孤独死し何日も気づかれず体は腐り、蛆がわき警察官も逃げ出す遺体を蛆を掃除し棺に納めた時は、人から忌み嫌われる蛆が光りきれいに見えたことを日記に書かれている。また或る日は宮沢賢治の「永訣の朝」の妹の死を詠んだ詩を思い出し涙する。仕事柄、僧侶の姿も鋭く観察し仏教の教えにも深く学んでいき、半端な坊主よりよく仏教を学び本書にも引用多く書かれている。納棺夫の仕事を天職とも思い真摯に仕事をする姿が映しだされているような思いで読了した。
今年のアカデミー賞の外国映画部門賞を受賞した「おくりびと」の作るきっかけになり、原作とも言える本。

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2005/04/16 11:07

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2005/09/18 09:25

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2006/07/22 11:48

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