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紙の本
イエスとは誰か (NHKブックス)
著者 高尾 利数 (著)
十字架と復活という正統的イエス理解でなく、生前のイエスの言行を『マルコ』を中心にたどって「稀有の人」を描く。伝統的なキリスト教信仰を再検討し、著者自身の「生活の座」からイ...
イエスとは誰か (NHKブックス)
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商品説明
十字架と復活という正統的イエス理解でなく、生前のイエスの言行を『マルコ』を中心にたどって「稀有の人」を描く。伝統的なキリスト教信仰を再検討し、著者自身の「生活の座」からイエスを捉え直す。【「TRC MARC」の商品解説】
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人間イエス
2003/06/25 05:37
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、私があるきっかけで知り合った女性が受けている講座の主催者に私が興味を持ち、その講座主催者が書いた物に同時に興味を持った為手にした書である。著者の著作は、その女性の勧めで既に読んでいた(「ブッダとは誰か」)。その時は、共鳴するところはあるものの、そんなに印象深いものではなかったが、本書は違った。著者の専門である為か、思慮深く、私にとって教訓となるべき記述が多々あった。本書は、ヒルティーの「幸福論」に次いで、思い深い書物となった。
私は、宗教に大いに興味がある。キリスト教もその対象の一つだ。しかし、キリスト教の教え自体には共鳴出来るところがあるものの、何か胡散臭いものも感じていた。その理由を本書は、明快に提示してくれていた。「目から鱗」的記述が多々あった。
聖書には、「マタイ」「マルコ」「ルカ」の福音書がある。私は、聖書を通読した事があるが、「何故、同じようなお話が続けて、登場するんだろう」という素朴な疑問が浮かんだだけで、その違いがどうこうというのは、全く意識出来なかった。多分、マタイさん、マルコさん、ルカさんが、それぞれイエスの言い伝えを纏めたんだろうなぁ程度の事しか考えなかった。それは、正解なのだが、そこには、大きな意味があったのである。まず、成立年代が、「マルコ」「マタイ」「ルカ」の順で、聖書の記載順序とは違っているのである。「マタイ」「ルカ」が、イエスの直弟子達が指導者になっていたエルサレム教会や、パウロによって展開されていたイエス理解を補足したものに対して、「マルコ」は、ガリラヤという地方で民衆の為に、民衆と共に生きたイエスの姿を福音書という形で残したのであった。そういう成り立ちの違いから、人間イエスを正確に伝えているのは、「マルコによる福音書」である事が分かる。ここに書かれている教会の権威への不都合さを隠す意味で、聖書の記載順序を「マタイ」「マルコ」「ルカ」とサンドイッチ構造とし、「マルコ」の意図するところをぼかさせたというのである。ここで、聖書編纂者の良心が見れる所は、「マルコ」を削除せず、見えにくくしたに留めた事であろう。
共感を受けた部分が多すぎる為、書ききれないが、本書で著者が人生の意味を完全に理解していると思える記述があったので、その部分のページを折って印しにして(本書の中程)、その後の感銘したところもページを折ろうと思ったら、最終的に9ヶ所のページに印を入れる事になった。それぞれ、その部分を紹介して「MY IMPRESSION」にしたい。
「仏教とキリスト教の共通した捕らえ方として、「人生の意味」を感じた」。
P.213:他の全ての人間や事物から孤立し隔絶され、自分一人で成り立っており、それ自体において永遠で不変な実体であるかのように思い込まれている自我(小我)など、本来存在しない妄想にすぎないということ(無我)を正しく認識し、今の自分というものが、本来不可思議・不可説の事実として絶え間無く流動しつつある大宇宙の生命のなかで生まれ生き死ぬる独特ではあるが一時の存在にしかすぎないこと(無常)を、明確に理解・自覚し、偽りの自我に執着するような生き方・考え方を廃棄し(涅槃)、その文字通り「有り難い」現実のただなかで、その宇宙的生命に呼応しつつ、他者と共に穏やかで喜ばしい交わりを日々努めるという生き様が真の我(大我)である。
本書を読み終えて、聖書を再び読みたくなった。私も、高尾先生のように、人間イエスを生きる上での一つの指標として捕らえていきたい。(本書評は、文字数の関係でかなり割愛してある。全文は、私のHP(http://ww3.enjoy.ne.jp/~torakichi)を参照されたい)