紙の本
かなりお徳な一冊
2002/06/16 12:47
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投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「早く続きが読みたい!」
という欲求があってこそ、読書という行為は成立する。この小説は、その欲求をうまくはぐらかすことで成立している。
各章ごとにある小説の断片が提示され、ちょうど興が乗ってきたところで、ぷっつりと中断される。読者の分身である「男性読者」と「女性読者」は、さまざまな理由で途中までしか読めない物語の続きを探しにいくのだが、そこでまた、まったく異なる種類の新しい物語を提示され……。
という形で、物語は進行する。
などと紹介すると、なにやら難解な、前衛的な小説のように感じるかも知れないが、さにあらず。なにしろイタロ・カルヴィーノである。モダンであることはあっても、難しくなることはない。
第一、断片的に提示される「小説内小説」がいい。
それぞれぜんぜん違った味わいの作品群なのだが、やはり、「どうしてこんな面白そうなもん最後まで読ませてくれないんだ!」といいたくなるくらい良く出来ている。
それが手だとわかっていても、みごと、作者の術中にはまってしまうのである。
わたしは個人的に、イタロ・カルヴィーノという作家は二十世紀を代表するストーリー・テラーのひとりだと評価していますが、この作品は、そのカルヴィーノの洗練された語り口がしっかりと味わえるかなりお徳な一冊なのです。
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投稿者:雲取 - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語は「あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。」という書き出しで始まる。男性読者が取り掛かったその『冬の夜ひとりの旅人が』、順調に滑り出した物語はしかし突然に中断される。なんとそれは乱丁本だった。繰り返されるばかりで先に進まない物語に腹立ち、落胆した男性読者は本を購入した書店に向かう。彼が語り終えないうちに、店員は事情を話す。すなわち、製本上のミスで他の作者の本と混じってしまったのだ、と。熱中し始めていたのが別の作品だったと知り、そちらを売ってくれと男性読者は頼む。もちろん、と請合った店員は、彼と同じことを言ってその別の本と交換した女性がそこにいると指す。ここで「男性読者」と「女性読者」が揃う。だが、そうして手に入れた新しい物語は、またも分断されて他の話に取って代わってしまう。
繰り返し断ち切られ、行方不明になる物語たちを何とか繋ぎ合わせようと、男性読者は世界中を巡る(まるで作者の分身のように)。一方、女性読者は作者にとっての理想的読者象として存在するのみである。
彼女が求めるのは「読んでいる事柄がそれに触れるような堅固なものとしてそっくりそこにあるのではなくて、そのまわりになにかは分からないけれどなにか別のものの存在を感じさすよう」な作品であり、「物語ろうとする欲求のみが、ストーリーにストーリーを積み重ねようとする欲求のみが原動力になっているような作品」であり、「謎や苦悩がちょうどチェスをしている人の頭のように精密で冷徹で影のない思考力によって濾過されているような本」なのである。
女性読者ルドッミラの姉ロターリアは、作品を批評する無粋で強引な人間=理想的でない読者、として存在する。
また後半で登場するサイラス・フラナリーという作家は、まさしく作者イタロ・カルヴィーノ本人のものと思われる主張を日記に記す。創作の困難、理想の物語と読者、そして分析者への批判を。
そして最後の章に出てくる七人の新たな読者によって語られる、彼らが求める本の在り方。読者と作者の二方向に引き裂かれた作者が選ぶ、物語の着地点とは…。
手法が型破りに見えるけれど、それ自体は重要ではない。「部分的なイメージを通じてあらゆるものを追求しうるように、あらゆる本を書く」という無謀にも思える試みが成し遂げられていることが素晴らしく、書くことと読むことについてここまで真摯に、繊細かつ大胆に描かれてしまっては、私たち読者はただ瞠目するしかない。
紙の本
冬の夜ひとりの旅人がしかし…
2001/08/03 16:50
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投稿者:ゲップ3号 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は説明できない。というか説明しても読まなきゃわからない作品。なぜかというと、それは読んでからのお楽しみ。あっといわせるような構造を持った作品だよ。
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一線を越えている、と思う。ストーリーは途中で何度も中断する。物語の重要登場人物のなかに読者であるあなたも含まれる。唯一確かなことは、この小説でしか味わえない奇妙な感覚を味わえるということだけだ。
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あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている。さぁ、くつろいで。
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「あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている」という出だしをどうしても引用したくなる、イタリア小説。
以前レビューした"Cloud Atlas"について、作者のMitchelが「カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』を読んで構成を思いついた」と言っていたのが読むきっかけになりました。有名な方ですが、私ははじめて読みました。
なんとなく、難解な作品を書く方なのかなと思っていました。この本も、10もの長編小説の出だしだけが提示され、「あなた」と呼びかけられる「男性読者」が「女性読者」に導かれたり惑わされたりしながらそれぞれの小説の続きを探していくメタフィクションだと聞いて、「うーん、なんだか難しそうじゃね?」と思っていました。
でも、実際読んでみると、ユーモアがあって、テーマも決してわかりにくくなくて、でも思いがけない場所へ読者を引っ張りまわす強さがあって、結構夢中で読みました。
出だしだけの小説たちもどれも面白いし(それぞれ誰かのパロディらしいけど、結構わからなかった…)、男性読者の「小説の続き探し」はどんどん世界をまたにかけたおおごとに発展していくし、いや、背伸びとかでなく普通にすごく面白かったです(←語彙が貧弱ですみません)。
考えたら、小説とは、本を読むとは、というテーマを、二人称で語りかけられながら追っていくわけですから、本好きに取っては切実なことで、興味を持たずにはいられません。
ちなみに"Cloud Atlas"とは全然似ていません。Mitchelの言いたいこともわかるけど。月がきれいだったからプリン食べたくなっちゃったくらいの関連性ですかね。
カルヴィーノのほかの小説もぜひ読んでみたいと思いました。読書を愛するすべての人におすすめ。
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2/24 読了。
「あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている」という一行から始まるメタフィクション。<あなた>と語りかけられているのは、モデル読者として設定されている<男性読者>。彼が読み始めた『冬の夜ひとりの旅人が』は、一章が終わると白紙になっていた。書店に講義をしに行くと、同じように落丁本を掴まされたという<女性読者>ルドミッラと出逢い、一目惚れしてしまう。『冬の夜』の続きが読めると言われて渡された『マルボルグの外へ』は一章から全く違う小説であり、<男性読者>はルドミッラにも報告しようと電話をかけるが、それを受けたのはルドミッラの姉ロターリアだった。
本に書かれているままに読みたいと願うルドミッラ、解釈ありきの研究者ロターリア、インチキ偽作者マラーナ、書けない小説家フラナリー、検閲者、スパイ、果ては国家警察など、さまざまな<読者>が入れ替わり立ち代り<男性読者>を惑わせていく。読む行為とは何かを楽しく考えさせるカルヴィーノらしい小説。<男性読者>と<女性読者>のラブコメ風追跡劇と、<男性読者>が読む作中小説を交互に読むことになるのだが、前者がいちおう直線的に進む物語なのに対し、後者は最後まで一章しか読めない。しかもそれぞれが誰かしらの文体模倣になっているらしい。ボルヘスと川端だけ分かった。追跡劇の方もコメディタッチながら話が進むにつれてジャンルが移動していく。スパイだらけの国でディストピアSFみたいになる章が好き。
関連本:リチャード・ブローディガン「愛のゆくえ」
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すごく楽しい読書時間だった。何というか、久々に仕掛けに凝った本を読んだ。著者の着眼点や物語を展開していく手腕に感心した。
これは「あなた」という二人称でつづられる小説。つまり主人公は読者自身であり、これはメタフィクション系の物語だ。物語は冒頭、「あなた」はイタロ・カルヴィーノの「冬の夜ひとりの旅人が」という小説を読みだすところから始まる。
しかし読み始めた小説は落丁本で、物語は途中で途切れている。読書の楽しみを中断されて憤慨した「あなた」は本屋に行って本を取り換えてもらう。だが受け取った本は最初の「冬の夜ひとりの旅人が」とは全く別の内容で、しかもこれも途中で途切れてしまっていた。二つ目の小説の続きを求めて、彼は大学の教授と知り合う。教授は「チンブロ語」という言語で書かれた物語を訳しながら朗読してくれるのだが、それは二つ目の小説とは全く内容が違った。しかも朗読してくれた続きは散逸されていて手に入らないという。三つ目の作品を別の言語に翻訳したものがあると聞いて研究会に赴くが、そこで出会うのはまたしてもそれまでの三作のどれとも違う小説。しかもまた途中までしかなくて――という繰り返しがこの作品の主筋。
「読んだ本の続き」を求める「あなた」の話と、「あなた」が実際に読んだ作品たちとが交互になった構成。作中作のそれぞれの話は有名な作家のパロディになってるらしく、確かにタイプの違う作品ばかりだ。日本人作家は誰のパロディなんだろう。雰囲気的に谷崎か川端かな。
いずれにせよどの作中作も面白くて、続きを読みたい「あなた」の気持ちがよくわかる。また、本を巡るストーリーを追ううちに、自然に「理想的な読者とは何か」、「自分は読書に何を求めてるのか」ということを考えてしまった。
私は小説を読むときは、その作品世界そのものを楽しみたい。
作家買いはするが、それはあくまでその人が生み出す作品群に惹かれるからであり、作品を楽しむために欲しい情報にすぎない。だがそれは私の「読み方」であり、読み手によって望むものが異なるんだろうな。そう色々考えるのも楽しい。
本を読んでいる間、同時に「読書している自分」をこんなに意識したのは久々かもしれない。
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文学の魔術師の力を体感するメタフィクション。あなたは次々に始まる小説群の続きを探す男性読者として、女性読者ルドミッラの影と、小説の続きを求め彷徨い、そして唐突な終わりを迎える。メタフィクションのパートは創作の苦しみの体験でもあるし、非日常への逃避行でもある。凝った仕掛けでとても楽しい作品だった。10本のタイトルの仕掛けには気付けなくて悔しかった。
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小説について語られる言葉が語り尽くされた本書について、これ以上何を語ればいいのだろうか。「小説のいくつかの書き出しだけで構成されたひとつの小説(これすら本文中の引用だ)」である本作は、多数の小説の断片とそれを結ぶ一つの物語から成り立っている実験的な作品であり、物語の断片はどれも世界文学の模倣の様だ。そして幾度も語られる、本について語られる言葉は「こんな風に本を語ってみたい」という言葉を全て先取りされてしまった気分にさせられる。それでも本を読むこと、それを語る事は決して止められるものじゃない。続けよう。
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メタフィクションの作品として、様々な技巧を凝らして物語の断片を提示しつつ、二人称小説と言う特異な形式を利用して様々な仕掛けを繰り出す手法に、また物語の断片を通して次々と繰り出される異なった文体のバリエーションには感嘆させられたが、正直途中で少し飽き始めてしまった。とはいえ、全篇を通して筆者の様々な試みと、書くという行為を通した切実な思いが読み取れる良く出来たメタフィクションだと思った。
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『誤読』から。不思議な読書体験。章立てられているから、知らん間に話が変わっていた、みたいなことはないけど、核となる語りの部分に(かといって、こっちも結構話があちこち飛ぶけど)、中途語りの小説部分を挟み込む体。なんとなく『仮往生~』とか『アラビアの夜の~』とかが思い浮かんだ。でもやっぱり、このたゆたう読書感覚に、まだまだ浸りきれない未熟な自分に気付いたのでした。いや、未熟なというか、個人的にいまひとつ趣味じゃないというか。解説を読んでいて、何となく自分には『木のぼり男爵』とかの方が合うんじゃないかな、って直感的に思った。それは今後の課題ってことで。