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紙の本
「飛光飛光 勧爾一杯酒――飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん 李賀」
2011/07/03 18:23
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本を読むとは、ときに不思議な体験だ。いまさらわたしが書評を書くなどおこがましい『深夜特急』。でもやはり書きたい。
著者は二十六歳のとき一年かけて、そのときしかできない旅をし、十年後に『深夜特急』を二巻書き、その六年後に三巻目を書いた。さらに十六年たってその旅とその三巻の本に関する本『深夜特急ノート』を書いた。わたしはどの本も出版後すぐ読んだ。
最近「初の短編小説集!」と帯に書いた著者の新刊『あなたがいる場所』を読んだあと、思いだして『深夜特急ノート』を本棚から出してきた。当然のなりゆきと言おうか、そのまま引き続き『深夜特急』を初めから終わりまで読むことになった。前は図書館のハードカバーで三冊借りたのだったが、今度は文庫で六冊買って読んだ。
前は読み過ごしていたところに目がとまった。付箋を貼り、行に線を引き、読み終わってからまたその頁に戻った。
飛光飛光 勧爾一杯酒
文庫で5「トルコ・ギリシャ・地中海」篇、第十五章「絹と酒」。書簡体で書かれた章の中で、二十六歳の「僕」がギリシャのパトラスという町から船に乗り、イタリアのブリンディジに渡ろうとしている。青い地中海、空も陸さえも青い。「僕」は旅で出会った若者たちのことを思いだし、「彼らがその道の途中で見たいものがあるとすれば、仏塔でもモスクでもなく、恐らくそれは自分自身であるはず」だと思う。そして「取り返しのつかない刻がすぎてしまったのではないかという痛切な思いが胸をかすめ」、「僕を空虚にし不安にさせている喪失感の実態が、初めて見えてきたような気が」する。甲板で酒を飲んでいた「僕」は「泡立つ海に黄金色の液体を注ぎ込んだ」。
ここで李賀の詩が出てくる。「飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん。その時、僕もまた、過ぎ去っていく刻へ一杯の酒をすすめようとしていたのかもしれません」
五冊目まで読んでくる間、頭から抜け落ちていたが、李賀は実は一冊目、第一章でちゃんと登場していたのだった。Tシャツ三枚靴下三足といった持ち物のなかに本は三冊、西南アジアの歴史の本と星座の概説書と、読める本といえば中国詩人選集の李賀の巻だけ、として出てくる。
李賀という詩人について、わたしは、昔『深夜特急』を読んだときはもちろん今回再読したときも、名前さえ知らなかった。それで読み落としていたのだ。
ここへ来て初めて一行だけ李賀の詩に触れ、とりあえずネットで検索してこの詩を全部読んだ。詩集を読むのは改めてのことにしても、李賀がどういう詩人か、だいたいのところを知った。
その目で読み直すと、『深夜特急ノート』には、持っていく本になぜ李賀を選んだかについての言及があった。 二十七歳で夭折に近い死に方をした、「長安に男児あり 二十にして心すでに朽ちたり」という詩がポール・ニザン「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」と共鳴しあって記憶に残った、と言っている。
わたしは唸った。著者は最初に李賀の名前だけをさりげなく出しておき、終章近くで詩人の神髄に触れる一行を置く、しかしこれもさりげなく。
しかも最初と最後が書かれた間には六年もの時間がたっていたのだ。
若いとき読んだ『深夜特急』はひたすらおもしろく、わたしはこんな風にしてひとり旅をしたいと思ったものだ、もちろんできはしなかったけれど。今老齢になっても、香港のところを読めば、もしかしたら香港だったら行けるかもしれないと思い、パリのところを読めば、それなりの旅行ならパリだって不可能ではないかも知れない、と性懲りもなく夢想している。
だがそういうことと別のところで、年を取って再び読んだこの本は、わたしのお腹の深いところに響いた。
飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん。
電子書籍
使者として
2019/09/29 20:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
役割を果たすも、旅の終わりが近づき何とも言えない喪失感が漂ってきます。出会った人々、眺めた景色、口にした食べ物、全てが心に残ります。
紙の本
本巻の終わり近くに珠玉の場面がありました
2016/11/19 16:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
旅はイランの首都テヘランへ。ローカルバスの旅で観光地化されていない、現地の人々や外国人貧乏旅行者との車中でのやりとりも面白い。
ノアの方舟の聖地アララト山を眺めながら国境を越えトルコへ。アンカラで日本からの使者をつとめたドラマや、イスタンブールで雑踏にまみれながらする町歩きなど読んでいて楽しい。
ただ著者も書いているが、旅に慣れてきたこと、またアジアからヨーロッパに近づくにつれ、いわゆる近代化された地域が日本と変わらなくなっていくことに、旅のはじめ頃の圧倒感がなくなってきている様子も読み取れる。
本巻の最後を飾るギリシア、パトラスでのエピソードには、読者としても心が洗われる思いがした。それは、道ですれ違った現地の青年から見ず知らずの家の誕生会に招待され、おじいさんから孫たちまでの食事会で、著者が退屈そうにしている子供のために始めた日本の紙ヒコーキ遊びに全員が興じ、そのまま言葉も通じない、その家に泊めてもらう場面。全部でたった5ページ分の記述だが、全編の珠玉とも言える箇所である。その最後の6行を引用させて貰う。
『その夜、私たちは何ひとつまともな会話はできなかったが、少しも退屈しなかった。顔を見合わせニコニコしているだけで充分だった。
用意されたベッドで横になった私は、電気を消した部屋の中でなかなか寝つかれなかった。それはベッドのスプリングや枕などのせいではなく、この一夜が旅の神様が与えてくれた最後の贈り物なのかもしれないな、という感傷的な思いがどうしても消えようとしなかったからだ。』
いい話に感動した。
紙の本
深夜特急5
2002/06/22 01:36
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:AKIZAWA - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネタバレしてしまっては、作者とこれからの読者に失礼だと思いますので、慎重に書きます。
深夜特急5では、トルコからギリシャ、地中海に渡る旅について語られています。
トルコで出会った旅行者からは、「禅」とは何か?と聞かれ、「ビーイング・オン・ザ・ロード」という言葉が浮かんできます。
また、作者は旅を顧みるうちに思い至ることがあり、いままで軽視していた「旅は人生に似ている」という言葉を実感することになりました。そして、表れた物事の裏にあるもうひとつの側面の存在を、経験を通してかみしめていくことになります。
作者は、旅が終焉に近づくにつれ、土地や自分以上に旅そのものが変化しているということを感じていました。
最後に、「一歩踏み外せばすべてが崩れてしまう」という危うさを孕む、一年を超えるひとり旅について思いを馳せながら、旅路は完結編へとつづきます。