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どくとるマンボウ航海記 改版 (新潮文庫)
どくとるマンボウ航海記
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紙の本
追悼・北杜夫 - ここからはじまる
2011/10/31 08:12
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「どくとるマンボウ」こと、作家の北杜夫さんが10月24日に亡くなった。84歳だった。
北杜夫さんをして初めて、私は躁鬱病という疾病があることを教えられた。陽気な自分と陰気な自分が変わるがわるにやってくるそうな、それは多分に自分にもあるような気分で、ひょっとして私もその疾病なのかしらんと思わないでもなかった。
特に北さんに限っていえば、斎藤茂吉という文学界の巨匠の息子として、時に暗鬱になることはあったにちがいなく、父の母校である東京大学ではなく東北大学に進学したことも忸怩たる思いがあっただろう。
北さんの逝去の報を受けて、多くの新聞がそんな北さんと父親である斎藤茂吉との関係に触れているが、時に青春期にあって目の前に頑とそびえる巨大な壁は北さんでなくとも実に重苦しい存在だっただろう。
そういう存在と同居するには、時に軽妙にふるまわざるをえない。
生涯数多く出版された「どくとるマンボウ」シリーズの初めとなったこの作品を書いて時、北さんはどんな思いであったのだろうか。そして、発表当時の昭和35年(1960年)以降、多くの読者を得たことに、何ほどかの戸惑いがなかったであろうか。
あるいは、それは父親から離れた別の人格として生きのびる快感を北さんにもたらしたかもしれない。
さて、おそらく何十年ぶりかで読み返した作品であるが、すこぶる面白かった。
時代はまさに高度成長期の初め、それでもまだほとんどの日本人にとって海外旅行など夢のまた夢の頃、北さんはわずか600トンばかりの調査船の船医となって、はるかヨーロッパの地をめざすことになる。
「どくとるマンボウ」の誕生である。
そこに描かれた各地のスケッチは、あとがきによれば「くだらぬこと、取るに足らぬこと」ばかりを書いた航海記録となった。
書かれていることのどこまでが事実でどこまでが創作なのかはわからないが、その軽妙なユーモアのある文体の奥に冷静な文明批判が秘められていて、敗戦からようやく自信を取り戻した日本人を勇気づけたといえるだろう。 まさにこの作品は、昭和の時代の「坂の上の雲」だったのだ。
北杜夫という作家はこれからも評価されるだろうが、この作品はまちがいなく戦後の人々を勇気づけた傑作として、これからもたくさんの日本人に読まれつづけるにちがいない。
紙の本
面白い!
2015/09/03 20:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:湯川 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いわゆる「純文学は読むけれどあまり好きではない」という立場の私でしたが、この本は面白かった!
小説でありながら随筆のようでもあり、なるほどなと納得することもたくさん。筆者の素敵な価値観に触れられる本だと思います。
紙の本
改版だそうで、活字も大きくなったりいろいろしてるんでしょうが、解説は出版当時のものがそのまま使われていて、正直、ピンときません。やはり、版を改めるときには時代に合った解説を追加するなりすべきでしょう。それにしても、笑えない本だ・・・
2011/01/31 19:35
7人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
多分、なんですがこの本、読むの、二度目だと思います。一度目がいつか、全く思い出せませんが、少なくとも学生時代でなかったことだけは確かです。ただし、友人たちはこぞって読んでいました。そのせいでしょう、天邪鬼な私はそっぽを向いてエンタメ街道まっしぐら。でも、なんとなく心惹かれていて、いつかは読んでやろう、と思ったものです。結局、その夢は子どもが生まれて漸く叶うことになったのですが。
で、今回は改版なった文庫での再読です。改版が1992年、とあります。子育てで忙しいちょうどその頃に、文庫は改版され、私は旧版の『どくとるマンボウ航海記』を単行本で初めて読んでいた、そんな感じでしょうか。とはいえ、その読書が楽しいものであったか、というと、期待が大き過ぎたせいか、空振りに終わったという記憶だけが残っています。あれから20年、この作品を今の私はどう読むのでしょう・・・
「この作品は昭和35年3月中央公論社より刊行された。」で、新潮文庫版のカバーは矢吹申彦、カットは佐々木侃司、デザインは新潮社想幀室。カバーは中公版のほうが、らしかったかな・・・。カバー後ろの内容紹介は
*
水産庁の漁業調査船に船医として乗
り込み、五カ月間、世界を回遊した
作者の興味あふれる航海記。航海生
活、寄港したアジア、アフリカ、ヨ
ーロッパ各地の生活と風景、成功談
と失敗談などを、独特の軽妙なユー
モアと卓抜な文明批評を織りこんで
描く型破りの旅行記である。のびや
かなスタイルと奔放な精神とで、笑
いさざめく航跡のなかに、青春の純
潔を浮き彫りにしたさわやかな作品。
*
です。読んでいて少しも面白くないので困りました。とはいえ、これが北の代表作の一つであり当時のベストセラーであったことは知っているので、村松剛の解説を読んでみると
*
とにかく面白い旅行記である。どこまでが本当でどこまでがウソなのか、茫洋として見当がつかない。どくとるマンボウを乗せた船は、春の海のようなのどかな笑いをふりまきながら、明るい青い空の下を、ゆっくりとすべってゆく。
日本の文学には、深刻癖がつよく、一般に笑いの要素がとぼしいといわれる。この「航海記」は、日本には数少ない笑いの文学の一つなのだ。
「どくとるマンボウ航海記」を読んで、だれしも気づくのは、そこにみなぎる少年のようなみずみずしい好奇心であり、またいつもはにかんでいるような著者の表情だろう。そしてこの二つが「航海記」を支えている二つの大きな要素なのである。
*
と、これまたどうもピンときません。ま、この解説自身が、昭和40年2月という40年近くも前に書かれたものなので現代人というか、現代日本文学の現状と乖離していることは確かで、解説もある時間がたてば、その時代のものに更新されなければいかないのでは、と思った次第。今のままでは、団塊の世代が孫たちに「面白いぞ」と押し付けるだけのことになりかねません。最後に目次を掲げておきます。
私はなぜ船に乗ったか
これが海だ
飛ぶ魚、潜る人
シンガポールさまざま
マラッカ海峡からインド洋へ
タカリ、愛国者たむろするスエズ
ドクトル、閑中忙あり
アフリカ沖にマグロを追う
ポルトガルの古い港で
ドイツでは神妙に、そしてまた
小雪ふるエラスムスの街
霧ふかいアントワープ
パリの床屋教授どの
わが予言、崩壊す
ゴマンとある名画のことなど
盲腸とアレキサンドリア
海には数々の魔物が棲む
本の話から船乗りのこと
コロンボのカレー料理
帰ってきた燕とマンボウ
あとがき
解説 村松剛
紙の本
お疲れのときに
2002/07/27 19:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MFTR - この投稿者のレビュー一覧を見る
漁業調査船の船医として搭乗した著者による航海記。シンガポール、マラッカをへて、スエズ経由ヨーロッパ入り。再び、エジプト、スリランカなどを通って帰着。とりたてて、情報満載というわけでもないのだが、軽い調子で書かれた本は、ちょっと疲れたときにぼおっと読むのにちょうどいいのかもしれない。