紙の本
英雄が動く
2023/08/18 12:21
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投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
下巻になってようやくアキレウスが動き始めて、事態が急転する。
神々も加わった戦闘シーンは勢いと迫力があっていい。
その迫力のあとに来る人情が味わい深い。
紙の本
トロイア戦争が舞台
2023/01/08 06:47
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投稿者:ないものねだり - この投稿者のレビュー一覧を見る
ギリシャの神々は数が多く表情豊かで人間臭い。積極的に人間社会に干渉する。抗い難い力に翻弄される人間、という人生観か。
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いよいよアキレスとヘクトルの一騎打ちが語られるが、その前にアキレス甥の死をいたむ競技会が長々と行われる、戦争を中断してオリンピックの原型みたいな物なのか、ちょっと中だるみがする、一騎打ちに決着がついてさあ木馬の登場か!と思ってたらいきなり終了、そうなの?なんで?消化不良な原作でした
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ヘラがゼウスを眠らせている間のギリシア軍の反撃。ヘクトル、アイネアス率いるトロイア軍の反撃。船陣での戦い。追い詰められるギリシア軍の姿を見てアキレウスに出陣を嘆願するパトロクロス。パトロクロス率いるミュルミドンの活躍。パトロクロスに倒されるサルペドン。ヘクトルとパトロクロスの戦い。ヘクトルに倒されたパトロクロスと奪われたアキレウスの武具。船の上からのアキレウスの威嚇。母ティティスによる武具の作成。アキレウスとアガメムノンの若い。アキレウスの猛攻。河神との戦い。アキレウスとヘクトルの一騎打ち。ヘクトルの遺体に加えられる侮辱。ヘクトルの遺体引き渡し。
1996年7月19日再読
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アキレウスは,従者パトロクロスをトロイエ勢の将ヘクトルに討たれて失くし,悲しみと怒りから戦線に復帰する.アキレウスに討ち取られたヘクトルの遺体を,トロイエ王プリアモスがアキレウスの陣屋へ受け取りに赴く.プリアモス王が帰還し,ヘクトルを荼毘に付すところまでが詠まれている.(続きはクイントゥスのトロイア戦記などで・・・).
憎しみと争いに身をやつす人間の業の深さを,これでもかというほどに描いている.約3千年後の現在も,やってることあまり変わってないなぁ.
巻末付録の(伝)ヘロドトス著「ホメロス伝」も興味深かった.
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パトロクロス死亡。
神からも人間からも好かれる男!
知略やら勇猛とかは他にもいるけど、心優しいとか他にいる?
アカイア勢で一番好きな男です。
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映画「トロイ」のその場面。アキレウスの無双ぶりに目が離せない。人の世の不条理。それを神々のいたずらになぞらえて古代の物語は紡がれていったのだなと感じました。
11/10/16
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ご存知トロイ戦争の一大叙事詩。
戦いシーンは、結構、細かい描写で血みどろなのがびっくり。あまりにも人間くさい神々と、神にもみまごう英雄たち。それを描写する雄大で優雅な比喩が気持ちいい。また、もとは韻文ならではの、決まり文句の枕詞もなれるとなかなか気持ちいい。
要するにとっても面白かったのですが、たぶん10年前に読んでも全然面白くなかったろうな、と思うと、この面白さがどこからくるのか、が不思議です。いろいろな物語を知って、結局、その骨格と醍醐味は同じものだ、と知ったからかな?先を急ぐこと無く、言葉を楽しむ、という余裕ができたからか・・。要するに年を取った、ということですかね^^)
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ほとんど、主要人物がピンチになったら神々が助けてくれる展開。
他力本願はよくないぜ。
ヘクトルの葬式で終了。
あれ・・・木馬は?
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これってあのトロイの木馬のシーンはないんですね。
大事な一戦まで神が加担すると正々堂々感が無くて何だかなぁと思ったりもします(笑)
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第13歌から第24歌までを収めている。上巻に続いて、ヘクトルによって押しまくられ、アルゴス勢は船陣で戦い、今にも船に放火され、帰国の方途を失い、異国の地で果てるという運命の瀬戸際である。みかねたポセイドンがアルゴス側に加勢する。また、アルゴス贔屓のヘラは化粧し、アフロディーテから恋の手管がつまった紐をかり、ゼウスに色仕掛けにいく。ゼウスはこれにだまされ、ヘラと寝入ってしまう。ここから反撃がはじまるが、反撃の主力となるのはアキレウスの従者パトロクロス、ネストルに説かれ、アキレウスに怒りを解くように進言し、自らがアキレウスの武具をつけて出陣したのであった。パトロクロスの反撃は成功し、トロイ勢は船陣から追われ、城下で戦うことになるが、パトロクロスはエウポルボスの槍をうけ、ヘクトルにトドメをさされ、アキレウスの武具を奪われてしまう。槍をうけたのは、神がパトロクロスの楯と鎧の紐を切ったからであった。パトロクロスの遺体をめぐってメネラオス、アイアスらが壮絶な戦いをして、なんとかパトロクロスの遺体を回収する。パトロクロスの死を知ったアキレウスは怒り、雄叫びをあげ、トロイ勢を追い返す。アキレウスの怒りを知ったトロイの智者はヘクトルに籠城戦をすすめるが、ヘクトルは野戦にこだわる。アキレウスが武具を奪われたことを母テティスに訴えると、テティスは昔助けたヘパイストスの所に行き、楯と兜とすね当てを作ってもらい、息子に届ける。アキレウスはアガメムノンと和解し、深くパトロクロスの死を悲しみながらも、トロイとの決戦に赴く。ゼウスも神々の参戦をゆるし、壮絶な戦いとなり、今度はアルゴス勢が押しまくり、河を越え、ヘクトルらを城下に追い詰める。トロイの王、プリアモスは味方が城内に逃げこめるように城門をひらくが、ヘクトルは自分が野戦を主張した手前、逃げ込むことを潔しとせず、一人残って神の子アキレウスと決戦、始めは逃げまくるが、最後に踏みとどまって戦い、アキレウスの槍をのど笛にうけて死んだ。アキレウスは遺恨のあまり、ヘクトルのかかとに穴をあけ戦車で遺体を引きずって、船陣にもどっていく。アルゴス側はパトロクロスの火葬を行い、つづいて死者にささげる競技を行う。戦車競争・拳闘・レスリング・やり投げなどである。これにはアキレウスが賞品をだした。アルゴス側の団結はこれで深まる。アキレウスは12日もの間パトロクロスの塚の周りをヘクトルの死体を戦車でひきづり回した。ゼウスはヘクトルの死体が辱められるのを不憫に思い、テティスにアキレウスを説得させる。いっぽう、プリアモスにもヘルメスを案内役にし、アキレウスのもとを訪れさせるのであった。アキレウスも亡きパトロクロスと自分の死の後で悲しむ父のことを思い、プリアモスに同情し、遺体を引き渡し、ヘクトルの葬儀がすむまでの12日間、攻撃は加えないと約束する。『イリアス』はヘクトルの葬儀で終わりである。いわゆる「木馬の計」や「アキレス腱」の逸話はでてこない。これらは『イリアス』にはないのである。「叙事詩の環」といわれる書物群、『アイティオビス』や『イリオス落城』に書かれているそうである(木馬の話は『オヂュセイア』第4歌にもある)。アガメムノンとアキレウスの和解では、お互いに「迷い」の神のせいにし、水に流す。人間は理性的存在ではあるが、ときに分別を失うこともあり、こういう「人間の限界」が「神」という形で解釈され、和解の装置になっているのであろう。現代のように神がなければ、人間の「責任」のみが問題となり、復讐は果てしがない。パトロクロスが討たれたとき、アキレウスは灰を顔に塗りたくり悲しみを表す。また、葬儀ではアキレウスが音頭をとって仲間たち全員がなく。こうした葬送儀礼も興味深いものである。銑鉄の小刀もでてくるが、すくなくとも鋼鉄は『イリアス』に書かれた時代にはなかったのではないかと思う。巻末に「伝ヘロトドス作ホメロス伝」がついているが、私生児として生まれ、塾の講師をしていたメレイゲネスが船長に誘われ、各地をめぐり見聞をひろめ、途中で失明するものの、最後には詩聖とされていく一生がかかれている。「ホメロス」とはギリシアの一地方の方言で「盲人」の意だそうだ。『イリアス』という名はトロイの聖都イリオスのことであろう。
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ホメロスによる西洋文学最初期の英雄叙事詩。ギリシア神話中のトロイエ戦争を材に取っている。このトロイエ戦争とは、アカイア勢(ギリシア軍)が小アジア(現在のトルコ地域にあたる)にあるトロイエのイリオスに遠征軍を送って行われた戦争で、主な登場人物は、ギリシア側ではアガメムノン,アキレウス,パトロクロス,オデュッセウスら、トロイエ側にはヘクトル,ラオコーンらがいる。「トロイの木馬」とラオコーンの逸話でも知られているが、本詩中では取り上げられていない。なおホメロスは『イリアス』と『オデュッセイア』の二大叙事詩の作者として一般に知られているが、そもそもホメロスという一個人が実在したかどうか、正確なところははっきりしていない。
一読して、ホメロスの描く人物には、奥行きが無い印象を受ける。ホメロスが描いた以外の語られない部分へと想像が全く向かっていかない、内面が無い、充足したそれ自体しか無い、否定性が無い。登場人物の心情が、描写に於いて全てが剥き出しにされていて、そこで完結してしまっているように感じられるのである。精神史上の「内面の発見」(B.スネル)以前に於ける、叙事詩の叙事詩たる所以であろうか。
凡そ英雄譚というのは、どれも野蛮で血腥い代物だ。「戦さは男の仕事、・・・」「・・・、今日のこの日に己れの意志で戦いを怠る男が、このトロイエの地から無事に帰国するようなことがあってはならぬ、ここで野犬の玩具になればよいのだ」「・・・、今こそ男子たる面目にかけ、己れが武勇のほどを思い起こしておけ」「いや、トロイエ人は一人たりとも、険しい死とわれらの手とを免れさせてはならぬ、母の胎内にいる赤子といえども、男児であるからは見逃してはならぬ、彼等は一人残らず跡も残さず、このイリオスから根絶やしにしてやらねばならぬのだ」。他者=敵を浄化せんとする殲滅思想、男は戦争・殺し合いをする存在でしかなく、女は愛欲と生殖の為の存在でしかない。そこに文化的な意匠が施されている点だけが動物との唯一の差異か。西洋文学の最初期から人間の即物的な醜悪さは今も変わらぬ。その暗澹たる事実を見せつけられる。
精神史上は、古代ギリシアのこの時期は、概念を神として具象化・擬人化し神話(ミュトス)という物語を生成し解釈していくことを通して生を紡いでいった、神話という神々の物語の解釈を以て思考としていた。それは理性・論理(ロゴス)に基づき抽象概念を用いて為される哲学的思考とは根本的に異なっていた。思考や生の機制が、現代とは全くその形態を異にしていたと云える。則ち、近代的な内省に於ける自己対話 monologue の代わりに、内面に於いて常に神々と対話していたのではないか、神々とともにある自己と対話していたのではないか。「彼とても、いつかその気を起こし、またいずれかの神が促して下さるならば、戦いに加わるであろう」 「だがその責めはわしにではなく、ゼウスならびに運命の女神[モイラ]、そして闇を行くエリニュスにある。その方々が集会の場でわしの胸中に無残な迷い[アテ]を打ちこまれたのであった――このわしがアキレウスの受けた恩賞(の女)を奪い取ったあの日のことだが。だがわしに何ができたで���ろう、神というものはどのようなことでも仕遂げられるのだからな」
古代ギリシアの文化とキリスト教以降の西欧文化との差異を考えさせられた。多神教のギリシア神話に現れる神々はみな人間臭く、一神教のキリスト教の神に観られる「神性」は一切無い。気紛れで心変わりしては両軍の人間たちを翻弄し・人間を唆して戦さをさせ・神々の間でも両陣に分かれて戦争を始め・愛欲には打ち負かされ・謀略を企てては取引をし・反目し合い・そして逡巡もするギリシアの神々は、決して揺るぎない「善」――キリスト教的「最高善」――を体現することはない。その反照として古代ギリシア神話には悪魔という存在が登場しない。そもそもキリスト教的な悪魔という観念が無かったのではないか。キリスト教世界に於いて初めて、神のアンチテーゼとしての悪魔の観念が誕生し、擬人化された悪魔から概念化された悪の観念も生まれたのではないか。上で引用したが、神々に自らの責めを転嫁するかのようなアガメムノンの言葉から長い思想的変遷を経て、人間の自由意志としての悪という観念がアウグスティヌスの時代に生まれる。
ギリシア神話の神々は、世界万象そのもの、神話という物語のうちに投影された人間的生の運命そのものであり、キリスト教的な超越的存在ではない、世界を超越した造物主ではない。だから「創世記」の類を記そうという発想も無かったのではないか。「聖書」「聖典」の類も存在しない。則ち、「此岸」から超越した別次元の「彼岸」という観念が古代ギリシアには無かった。ギリシアには、「神話」は在っても「神学」という知性の方向はついに生まれ得なかった。「神学」は、一神教の下でなければ生まれ難いのだろうか。アガメムノン(人)も血筋をたどるとゼウス(神)に行き着くという。勿論アガメムノンは神話中の英雄ではあるが、人と神との間の形而上的断絶という思考は、当時の人間にはそれほど強くなかったのではないか。プラトンによってイデア界/仮象界という二元的世界観・形而上学が構想されることで、人間は初めて自分たち以外の世界という観念をもつに到る。それまでは、人間も神々も同じ世界に並立していた一元的世界観であった。世界は神々の下に統べられているというよりも、神々の躍動とともに在った。そして神々が与える不条理を人間は運命として解釈することで受け容れていたのだ。そういう「生」を営んでいたのだ。
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下巻読了。面白かった。
後半はトロイア軍の大攻勢からアキレウスの活躍、そしてヘクトルの戦死まで。
やはり下巻もキャラ立ちが半端ない。とくに英雄アキレウスの残虐っぷりが抜きん出ている。倒したヘクトルの死体を10日に渡って引き摺りまわして痛めつけるとか、いくら親友を殺されたからってそこまでせんでもというやり過ぎな仕打ち。
もちろん神々も相変わらず。ヘラがゼウスを誘惑して、セックスし疲れて寝てる隙に人間の戦争に介入するって、なんなんだそれは、神様なにしてるんか。まあ、古事記に出てくる日本の神々も似たりよったりではあるけど。プリミティブな神々というのはおおらかでぶっ飛んでておもしろい。
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古代ギリシャの叙事詩。トロイア戦争の末期、英雄アキレウスの怒りから大将ヘクトールの戦死までの数日間を描く。戦場に響き渡る大音声の名乗りや叱咤、雑魚キャラを撫で切りしていく英雄たちの豪快さは、ジャンプやマガジンの少年誌、コーエーのゲームにも通じるものがある。絢爛で大仰な表現がテンコ盛りであけっぴろげな壮大さが心地よい。古典だとか文学だとか肩肘はらずに楽しめました。
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大英雄叙事詩の下巻。アキレウスが立ち上がり、トロイエ方を追い詰め、悲劇的な喪失を与えるまでを活写します。