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紙の本
石森章太郎の挿絵で描かれたシリーズが終わりとなります
2005/10/23 09:27
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
長い長い物語に、決着がつきました。
きっと話そのものはそんなに難解なわけではないのでしょうが、その中にいくつもちりばめられ、埋め込まれている世界観というか、巻末の解説の言葉を借りるなら文明観とでも言うべきイメージ、言葉が、時に読み進む力をそちらへ向けさせてしまいます。それで、何度も同じところを読み直したり、後へ戻って確認したり、用語集を紐解いたりすることになり、余計に長い物語という印象を強くしているのかもしれません。
たぶんここまでの全編を通しての主人公であるポウルの「予言」の問題も、母親であるジェシカの口を借りて、
「わたしの息子は、本当に未来を見たわけではなかったのですよ。あの子は創造の過程と、いまでも人々がその中で眠りこんでいる神話とその過程との関係を見たのです」
と語られています。また同様にジェシカの口から、
「生命とは、それをとおして宇宙が自己を表現するひとつの仮面です。わたしたしは、全人類と、人類を支えているすべての生物が、ひとつの自然な共同体を作っており、全生命の運命が個人の運命に賭けられているのだと、仮定しています」
と、この「デューン」全体を貫いているであろう生命観も語られています。なるほどなあと、これまで何となく歯がゆく感じていたものが、はっきりしたという点でも、1つの決着と言えるかもしれません。
また、この『砂丘の子供たち』で描かれているのは、ポウルの遺児レトとガニマには違いありませんが、抱えている問題はやはりこの世界をどう引き受け、どう引き継いでいくのかということなのかもしれません。彼らのように明確な記憶(?)として過去を受け継いでいるわけではありませんが、私たちも先人の経験や記憶を文化という形で受け継いでいるわけで、それをさらに来るべき世代に引き継いでいくというのが人間の営みではないでしょうか。だとすれば、レトやガニマの問題は、また“忌まわしきもの”と化してしまったエイリアの問題は、私たちの問題でもあるのでしょう。
「デューン」の物語はここで一区切りとなります。私が持っているシリーズは、一番最初に刊行された時の石森章太郎のカバー絵、挿絵のものです。そういう意味でも、一区切りという感が強いのです。