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著者/著名人のレビュー
今日は”旅の日”。 ...
ジュンク堂
今日は”旅の日”。
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へと、江戸を発った日にちなみます。
気のあった五人組で旅するのも楽しく、あるいは玄関に書置きして
放浪してしまうような旅もまたロマンがあります。
しかし、旅はもっとすぐそこにもあります。
月並みな言葉ですが、生きること自体が既に旅の途中なのではないでしょうか。
気付いたときには既に旅も半ばにさしかかっているのです。
さて、本書は愛する妻との新婚旅行と、彼女の死を撮影し
短い文章をつけた写真集です。
彼がこの本を編んだ時、表現者としての自身の性を呪ったことでしょう。
切なさが心に突き刺さります。
写真とは過ぎ行く時間への抵抗なのかも知れません。
普段は写真集に興味のない方も、是非手に取ってみてください。
泣けます。
【折々のHON 2010年5月16日の1冊】
紙の本
写真で語られる二つの旅
2006/10/29 21:50
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
写真集が文学足りうると初めて思った写真集。これは立花隆の意見だったとも記憶しているが。
奥様の陽子さんとの新婚旅行と その20年程度後の 陽子さんが一人で辿った死への旅を一冊に仕立て上げた白黒写真集。新婚旅行の陽子さんが 全く無表情である一方 不治の病と闘う陽子さんの見せる笑顔が対照的。この表情の違いの中に それまでの夫婦生活を深読み出来ると思う。
陽子さんの死への旅に それを写真に撮るという形でしか参加しえないアラーキーの哀しみは 数多く挿入されている東京の風景写真に見事に表されている。壮絶な作家魂と言っても過言ではない。
夫婦純愛小説と言うと陳腐だが そういう本だ。何度見ても心打たれる。
紙の本
センチメンタルな旅・冬の旅
2001/05/10 21:33
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:甘露 - この投稿者のレビュー一覧を見る
陽子さんという存在は、荒木さんの写真には欠くことのできないものであった。愛する人であり、妻であり、最高のモデルであった。
「センチメンタルな旅」の写真は、なんとも不思議な情感を漂わせている。新婚旅行のはずなのに、新婦である陽子さんの楽しそうな笑顔は一枚も写っていない。どこか「物思いに沈んだ表情」の陽子さんが“淡々と”描写されている。柳川の旅館にある広い庭園で撮影に熱中する二人。飯沢耕太郎氏は、その中の石で出来た直方体の椅子に石棺を見、花に蝶が舞っているカットに“異界”を発見する。陽子さんは偶然にもこの“石棺”に座ったり寝そべったりしている。この元武家屋敷である柳川の旅館そのものに“死のイメージ”が色濃いことにだんだんと気付く。夜のSEX場面が描写されるが、これには、死の館であるこの旅館の中での、生への再生の儀式を表している、と読む。すでにこの時点で陽子さんの黄泉の国での出来事を写真にしていたのか、と荒木さんもあとからそう振り返る。新婚旅行でありながら、“センチメンタル”で、“死のイメージ”が色濃いこの「センチメンタルな旅」を引継ぎ、「冬の旅」が始まる。
1989年の8月、子宮筋腫といわれ、女子医大に陽子さんは入院する。手術した結果、子宮肉腫とわかり、助からないことを荒木さんは知らされる。陽子さんは荒木さんから病気のこと、助からないことを一切話されなかった。しかし、長年連れ添った二人である。言葉で言わなくてもすべてが伝わっていたであろう。わかった上での陽子さんの「がんばり」だとすれば、それは自分のためではない。他でもない荒木さんのためにがんばっているのだ。その心中は察するに余りある。
公園の滑り台で遊ぶ少女、晴れた空の太陽を隠す柳。そして雪が降り始め、季節は真冬へと向かってゆく。早稲田のAat Roomへと歩く道すがら、表紙にもなっている「黒猫を抱いた少女」の看板を見る。この看板は荒木さんが陽子さんに見立てて撮影している。キャプションという形で陽子さんの手紙や言葉がたびたび出てくるが、実際の陽子さんは、最初の手術をした直後の8月に雑炊を一緒に食べた写真を最後に出てこない。そして1月26日に容態が急変し、翌27日に亡くなった。励まそうと荒木さんが買ったこぶしの花が哀しい。陽子さんの遺体と一緒に三ノ輪の浄閑寺へと車で向かう。二人での最後のドライブとなってしまった。
翌日、哀しいくらい良い天気。いつものようにバルコニー写真を撮るが、陽子さんがまだ生きていたときとなにも変わらない風景がそこに写っている。世の中は荒木さんの哀しみをわかろう筈もない。何も変わらない冬の日の日常が過ぎていく。しかし、荒木さんの中では違う。もう陽子さんは生きていないのである。例えようのない大きな喪失感。空を仰ぐと飛行機雲。
通夜。告別式。そして焼き場。骨になってしまった陽子さんを抱いた荒木さんの気持ちを想像することは出来ない。骨になり、小さい骨壷に収まるくらいになってしまった陽子さん。その不可逆的な事実に呆然とするばかりだ。葬儀のあいだ、病床の陽子さんからプレゼントされた真っ赤なマフラーを首からかけていた荒木さん。死という運命へのささやかな抵抗だったのだろうか。
残酷にも葬儀が終わると何事もなかったかのように翌日から日常は再開する。また雪が降る。日付は2月になっていた。雪の積もったバルコニーをチロが跳ね回るシーンでこの写真集は終わっている。ここまで読んできて哀しみで心は打ち震えた。気が付けば目からは涙が溢れている。写真集を見て涙したのは生まれて初めてだった。写真には人の心を直接揺さぶるだけのエネルギーを込めることが可能なのだ、と思った。