紙の本
壮絶な体験が生んだ映画、名作の背景を知る
2020/09/15 09:00
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
幼少時代の記憶は、それなりに想像しながら読めたが、文化大革命に巻き込まれていく最中の記憶は、壮絶すぎて軽々しく感想なんてものは書けない。普通の人なら、思い出したくもない、語りたくもない記憶になってしまうのではなかろうか。
しかし、彼は映画という手法を用いて「さらば我が愛、覇王別姫」を撮った。なぜあのような映画が撮れたのかが、この本を読んでようやくわかったような気がした。壮絶な体験があったからこそなのだろう。
監督にはまだまだ映画を撮って欲しい。しかし、残念ながら今の世の中では政治批判的主題のものは望めそうにない。近年日本で公開された夢枕獏原作「空海」(中国では「妖猫伝」)はスケールの大きなエンターテイメント作であった。この本を読んで改めて思う。本当に彼の撮りたかったものだったのだろうかと。
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映画「-さらば我が愛- 覇王別姫」の監督 陳凱歌(チェン・カイコー)の青春時代が語られた書下ろし作品。映画劇中の程蝶衣や段小楼などの描き方の原点が垣間見れる著書です。
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それは時代だったといえば、そうだろう。熱狂。権威に対する反逆。世の中を良くしようという社会参加意識。プロレタリア文化大革命に遭遇した中国の青少年は「紅衛兵」となり、革命の担い手として、権力者(大人たち)に立ち向かって行ったのであった。『黄色い大地』でその名を世界中に知らしめた陳 凱歌監督の回想録。「ビートルズも知らなかった」という一節に衝撃を受けたのは私だけでは無いはず。
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今NHKラジオ講座のインタビューやってるので読みました。
実体験した人にしか語れない文革。自然の中で得た人間の小ささ。自己存在についての感慨が印象的。この監督は今年のテーマになりそう。
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1000万人もの犠牲が出たと言われる文化大革命。その当時の庶民の暮らしってどんなんだろう。
映画監督チェン・カイコー氏が経験した文化大革命の記録。
氏はそのころ十代。多感なころを文化大革命という暴力の時代に過ごす。
庶民には毛沢東の崇高な思想は届かず、ただただ全体からはみ出すことを恐れて生きていく。もし逸れた者をみなされたら、徹底的な暴力と存在の否定が待っている。
氏ももちろんそれを恐れ、かつて国民党だった実の父親をも公衆の面前で罵倒する。
やがて、下方政策で地方に飛ばされ、圧倒的な大自然の中、次第に自己を開放していく。
毛沢東が死去し都市にもどった若者は、あれだけの犠牲を払いながら、何も変わっていない事実を突きつけられる。
この時に感じた、無常観、無力感は、後に優れた映画となって表現されることになる。
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これは僕が今まで読んだ本の中でもトップ10には入りますね。最強クラスの素晴らしい文章そして内容です。
「ああ、あの本ね。大した事無いよ」ていう人とは申し訳ありませんが、永遠に分かり合えないと思います。中学生をカツアゲしてでも買って欲しい本です。
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文化大革命を知りたい。
こういう青春時代を送った人だからこそ、
「覇王別姫」が撮れるんだな、と。
この年代の人にしか撮れない作品だわ。
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紅衛兵、文革を目指した毛沢東にもコンプレックスがあったのだろう。知識に対するコンプレックスは誰もが持っているだろうが、ここまでになると壮絶。
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新書を読みながら目を潤ませるなんて
そうそうある経験ではない。
1頁1頁としっかりと向き合うと、
ページをめくる前に何度も読み返してしまう。
けして不幸の羅列ではなくて
そこには心がずきずき痛むほどの苦しい経験に
向き合った著者の姿がある。
中国を知らない人にはこういう本を読んでほしい。
そして考えてほしい。
世の中で言われている中国・中国人の姿が
本当に正しい理解かどうか。
どこが正しくてどこが違うか。
自分はどういう風に捕らえるか。
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[ 内容 ]
「天国」を夢みた毛沢東最後の挑戦、文革。
彼の若き使徒、紅衛兵たちの反逆。
破壊と挫折の日々を、人々はどう闘い、傷つき、死に、生きのびたのか?
そして、下放先の大自然の中で得た、魂の新生…。
『黄色い大地』を撮った中国映画の旗手が、みずからの体験を、鮮烈な感覚でつづる、動乱期を生きた少年たちの、死と成長の記録。
[ 目次 ]
第1章 天国―北京の思い出
第2章 降臨―文革の勃発
第3章 群仏―街に繰りだす紅衛兵
第4章 狂灰―いくつもの死と生
第5章 青山―野焼き、そして、新生
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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毛沢東時代の中国は悲惨
その時に歪んだ教育を受けさせられた若者が今は中国のトップにいる
毛沢東より日本を批判する方が簡単だ
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では、何が彼らを駆り立てたのだろう。それは恐怖だ。
人が人である限り、集団から完全に抜け出すことはできない。文明の発展とは、社会における個体の配列と組み合わせを、より理想に近づけることにすぎにない。人の群れから排除される恐怖は、人類の根源的な恐怖だ。いまだにこのような恐怖が深刻だからこそ、中国ではそれがもっとも根源的な恐怖となってしまう。
一人ひとりの利益や権利が国家を通してのみ実現される制度とは、要するに、個人のすべてが国家の恩恵としか見なされないということだ。就職や住居、移動や教育、そして出産から結婚にいたるまでのすべてに、国家が決定権を持っている。そのような社会で恩恵を放棄することは、生存そのものを放棄するに等しい。つまり、何が何でもこの社会に残る以外に選択の余地はないのである。
選択肢が一つしかないとなれば、それはもはや選択ではない。砂鉄が磁石に吸いつく現象を、選択された結果と言わない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことで、はじめて砂鉄になれるのだ。磁石から離れれば、ただの砂にすぎない。だから、磁石の上に残ることが、唯一の願いとなる。唯一の恐怖は、磁石から落ちることだ。そこで、磁石がどちらへ揺れようと、砂鉄はそれにくっついて踊ることになる。物質なら、それは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である。
文革とは、恐怖を前提にした愚かな大衆の運動だった。(108~109頁)
集団から自分の力で離脱する自殺という行為は、集団への反逆を意味し、恐怖の超克、ひいては大衆の超克と同じことになる。従って、人々が安住する意識を動揺させるような自殺行為は、極めてグロテスクなものとなるのだ。(141頁)
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生まれて 青年になる時は 紅衛兵の時代だった。
大躍進運動の失敗によって
毛沢東は 窮地に追い込まれていた。
しかし、中国の体制に対する信頼はまだあった。
毛沢東が 少年たちをたちつけて
権威を 叩き潰した。
紅衛兵にも 階級があった。
そして、毛沢東が 紅衛兵の役割が終ったら、
さっさと 農村に送り込んだ。
下放をさせた。
陳凱歌は、雲南省で 青春の意味を理解する。
文章は とても うまいが
翻訳者が その文章のよさを充分に表現しえていない。
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未だに続く凄まじい文革、
敬愛する陳凱歌監督が紅衛兵だったというタイトルに魅かれて読み始めたが、恐怖が駆り立てる行動に震撼した。今COVID-19で右往左往しているの状況はまさに、この恐怖しかない。
文革とは恐怖を前提にした愚かな大衆運動だが、その恐怖に簡単に突き動かされるのが怖い。『ワイルドスワン』よりマイルドな描かれた方に思うが、後半の雲南省の描写が詩的、読んでいて美しい風景を映画で観ているような映像描写が素晴らしい。
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文革の途方もない愚かさに驚かされる。
価値の転倒を徹底的に行う。ツァラトストラのいうまさにおしまいの人間たち。強いものは間違っているという発想。弱者と貧者のルサンチマンと破壊のカタルシスだけで暴走したのだと思う。
毛沢東は農村こそ美しいといって、青年を農村に送り込む。それは青年にとって暗黒だったのだが、実際にはそこで再生する。自然の営みの長い時間感覚、美しさに触れて再生していく。結果的には毛沢東に自然のよさを本当に教えられるという皮肉な形になっている。
文章はやはり甘い。今時ではない。現代の文章はドライなものが主流なので、ウエットなところが引っかかる。