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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫)
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紙の本
村上ファンでなくても読む価値大
2009/05/11 16:37
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トグサ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は、“世界の終わり”という世界と“ハードボイルド・ワンダーランド”という世界という2つの世界が同時並行に順番に描かれています。
本屋で立ち読みし、そういう物語構成が好きになれなかったので読もうかなあと思いつつも、いつも断念していました。
が、他の長編をほとんど読んでしまったので、えいやと読んでみたのですが、これが面白くて、村上作品で一番、純文学の香りを感じ、今では高く評価している作品です。
“世界の終わり”という世界は(ややこしいですが:;)、それこそ全て生命体が死に絶えた世界で、やみくろという動物のみと門番が存在しています。
その世界に生きる「僕」は、なんとか“世界の終わり”を包んでいる城砦を乗り越えようと計画しています。
一方、“ハードボイルド・ワンダーランド”という世界に住む「私」は、彼しかない特殊な能力を持っており、シャッフリングという数字を扱うこの世界では、とても重要な任務を行っています。
この二つの世界に住む主人公は、最後までなんら干渉しません。
一つ、一つ独立した物語としても面白いですし、一般には、“世界の終わり”という世界を“ハードボイルド・ワンダーランド”という世界に生きる「私」の脳内とも読むそうです。
他の村上作品とは、少し毛色が違いますが読む価値大です。
紙の本
「心」へのナイーブな接近
2008/06/04 15:15
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
一ひねりされた上での続篇という位置づけをもつ『海辺のカフカ』を目にしている今となっては、その原点とされた『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、ずいぶんとシンプルな物語にみえる。もちろん、Wプロットによる同時展開していくストーリーは、いつもながらの洗練された職業、クールな人柄の主人公を軸に、「謎」をドライブとしてぐんぐん加速していく。その面白さは、当代屈指といってよいだろう。しかし、一方で、『ねじまき鳥クロニクル』以降ドギツクせりだしてくる暴力も、『ノルウェイの森』で一挙に前景化される性も、ここには、淡々とした形でしか描かれることはない。そうではなく、では何がメインに描かれているのかといえば、それは「心」である。作品全体、あるいは村上春樹という作家を考えれば、それを無意識を構造化した「精神」とも呼び得るのだろうけれど、ここではさしあたり「心」として提示される。しかもそれは、さまざまな仕掛けや隠喩を用いる村上文学にあって、異様なほどにナイーブなに描かれている。だから、この小説はタイトルやイメージに反して、たいへん内省的で、かつ「暗い」印象をもたらす小説であるに違いない。にもかかわらず、現代の読者がこの小説に惹かれ、時を隔ててなお、いよいよますます魅力的にみえるのだとしたら、それは、近年いわれるような「社会の心理学化」が進行した結果なのだろうし、それは個々人のレベルでも起こっている事態なのだともいえる。その意味で予言的に「心」をテーマにし、ナイーブに、それでいて切実に接近した、早すぎた「ゼロ年代」の小説なのかもしれない。
紙の本
この本を読みながら辻仁成『オキーフの恋人オズワルドの追憶』を連想するのは凄く簡単なんだけど、どちらかというとその違いがね、面白いんだよ
2003/05/18 16:11
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』を読むことは一生ないと思う。無論、それは作品の良し悪しとは関係がない。国民作家とまで言われる村上春樹のこの代表作を、今まで読んでこなかった私のひねくれた心のせいだ。でも、15年くらい前までは村上の単行本を初版で買っていたので、もしかするとこの作品も、実家のどこかにあるかもしれない。何故今になって、この本を読むのか、と聞かれれば『海辺のカフカ』があまりに面白かったからと答える。
この本について書こうとネットを覗いてみたら、私の出番なんてないくらい多くの記事がある。共通しているのは、この本が村上の、ベストではないけれど、少なくともベスト3には入るということ。それから、皆が凄く深いところまで本を読んでいること。例えば二つの世界を一方は生から死、一方は破滅から誕生へと二つのベクトルがあって、とか意識世界の生と死とか。私はそんな、評論家の解題みたいな本の読み方は出来ないし、したくもない。そんな気楽な読み方をしたせいか、面白さに気付いたのは話の後半だ。だから、どうしても書くのは下巻中心になってしまう。
この小説は、高い塀で囲まれた世界から隔絶された街で〈夢読み〉と呼ばれ図書館で夢を読む僕が語る「世界の終わり」と、老科学者によって意識に或る回路を組み込まれた35歳の〈計算士〉の私が活躍する「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つの物語が交互に進行する形式を取っている。二つの話の主人公は、彼らが置かれる外部の状況が違わなければ、同じ人間と勘違いするくらい似ていて、これが話の鍵になる。
で、私が好きなのは多分、一角獣の頭骨が出てくる「ハードボイルド・ワンダーランド」。図書館の受付カウンターにいる29歳の美女と主人公が、あっさり関係する。彼女のどことなく静かな佇まいと無類の大食漢というミスマッチがいい。彼女の食べる様子が、魅力的だ。それから、博士のちょっと太目の娘が、主人公にあけすけにセックスの話をするけれど、主人公が彼女の太り方好ましく思っていて、心の片隅で「寝てもいい」と思っているのが、素直に伝わるのがいい。「精液を飲まれるのが好き?」などと言った会話が、そよ風のように頁の上を流れていく。それは、レンタカー会社の受付若い女性との会話にも言えて、彼女みたいな人に応対されたら、男性はきっとその店に日参するようになるだろうなあ、と思ってしまう。
「世界の終わり」にも一角獣の骨と図書館の女性が出てくる。でも彼女の影は17歳の時に死んでいる。そう、この影というのが、この「世界の終わり」という場所では重要だ。でも私は、これ以上、話の構造に分け入って、貪欲に骨の髄まで味わおうとは思わない。たとえば地底で前をいく女性のスカートの中に目が行ってしまい、そこからパンティストッキングの話を、薀蓄を傾けるというのでもなくサラリと触れていく、ちょうどドビュッシーの音楽のような感じの流れに、のんびり身を浸しているので十分だと言う気がする。
娘と話をしたのだけれど、彼女も辻仁成『オキーフの恋人 オズワルドの追憶』を連想したという。読みやすさも、並行する二つの話の主人公が混同するくらいに似ていて、あっさり女性と関係を持てしまう点も。違うのは、村上の本が、後半になって話のテンポが緩やかになって、人間関係も透明感を増して開かれた形で終るのに対して、辻のほうは逆に複雑になっていって、いかにもミステリらしく閉じた形で終る点かもしれない。それと、男女関係の描き方の濃度が違う。サラサラの粉のような印象の村上と、それにちょっと水気をたらした感じの辻とでもいったらいいのだろうか。取りあえず、素敵な男女の姿を楽しみましょ。
紙の本
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
2011/04/16 21:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
「計算士」という暗号を専門とする特殊な職業の主人公が、「記号士」という対立集団との情報戦争に巻き込まれていく様が描かれる「ハードボイルド・ワンダーランド」のパートと時代も場所もはっきりしない、高い壁に囲まれ閉ざされた世界を描く「世界の終わり」のパートとが、交互に綴られ物語が進んでいく。二つの異なった世界、或いは視点で物語を進める手法は、「僕」と「鼠」の3部作や「1Q84」等村上作品ではよくあるが、いずれも二つの異なった世界が時に重なり時に離れを繰り返し、その重なったときに大きなドラマがあるという点で共通しているように思う。言わばうねりの中に山場を見せるという感じだ。しかしこの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は大きく離れた二つの世界としてスタートし、物語の進行と共に少しずつ距離を縮め、クライマックスで一つに重なるというシンプルな構成だけに、村上作品の中でも最もドラマチックな作品ではないかと思う。
「ハードボイルド~」パートのアクション映画を見るような、テンポ良い冒険活劇が面白いのは言うまでもないが、「世界の終わり」パートの独特の世界観も印象深く、私は断然こちらが好きだ。科学技術や文明といったものから取り残された土地で、人々が争いもなくひっそりと暮らす世界。そこには「金も財産も地位も存在」せず、人々は「年老いることもなく死の予感に怯えることもない。」「誰も憎みあわないし欲望も持たない。」「誰もが満ち足りて平和に暮らす」静かで穏やかな社会が「世界の終わり」だ。そこは人々が与えられた役割を淡々と果たすことで喜びを見出し、変わらない日常が延々と続くことに安心を得ている「完全」な社会でもある。しかしそうした「完全」さが、人々が心をなくすことで維持されているという逆説は、かつてユートピアを謳って個の抹殺に行き着いた共産主義社会を暗示しているようでもある。とにもかくにも、「世界の終わり」を構成している「壁」「図書館」「発電所」といった建造物や、「川」や「中州」、「森」とそこに住む人々等、道具立てがもの哀しく詩的であると思う。
紙の本
太ってもいいといってくれた。
2004/10/21 06:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:R2 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の村上春樹小説部門1番(2番は羊のあたり)。
健康診断で体重が増えてしまった。
体重が増えるたびに思い出してしまう、博士の娘。
普通に生活をしていると痩せちゃうので、
太ろう(ぽっちゃりレベル)と努力している。
やっぱり、ぽっちゃりでしょう…。かね?
まあ、ぽっちゃりにも程度がある。どこまでがぽっちゃり?
ぽっちゃりは、若い人に対する言葉かぁ、もしかして…。
30半ば過ぎは、“ぽっちゃり”ではなく“中年太り?”もしかして。
なんか書きたくて、好きな本にコメントしてるんだけど、
そういえば、
この本を最初に読んだは、20代はじめだったなぁ。
紙の本
上巻ではまだよくわからない
2002/05/30 14:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鼠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹の一番素晴らしい作品! と思います。かなり長い話ですが、一晩でば〜と読んでしまいました。「世界の終り」という空想世界(?)と「ハードボイルド・ワンダーランド」という現実世界(?)が口語に語られます。文庫の裏に書いてある説明を読んでもはっきり言って意味不明です。実際に読んでみないと分からないです。読んでみても複雑で分からないところもあったり…(焦)。
孤独とか、テーマは自己を掘り下げたというような重いものですが、出てくるキャラクターがなんだか憎めない奴らばかりで好きです! 物語の初めは、「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」のつながりも「?」だし、なんでこんなこと記述してるんだ???と思ったりしたけれど、でも読んじゃう。そしてそれらの伏線は下巻で明らかになるのです。
私が好きなのは、「ハードボイルド…」の主人公が淡々と買い物をするシーン。クリップを買ったり、深夜のスーパーマーケットで食糧を買い込んだり、そのくるくると時間の回る感覚がすごく好きです。
物語の核心は下巻に入ってから徐々に姿を現します!
紙の本
It’sMURAKAMI
2007/03/07 17:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:石曽根康一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「今、読みたい新潮文庫2007」に選ばれていて、その帯がついていたので買ってみた。村上春樹さんの作品を読むのは『ノルウェイの森』から2作目。
本書では、「私」が所属する、「ハードボイルド・ワンダーランド」と、「僕」が所属する、「世界の終り」という二つの世界が交互に語られていく。
「ハードボイルド・ワンダーランド」のミステリアスな始まり方は、読むものを物語の中に引き込んでいくだろう。そして、始まっていく、ある意味冒険譚。その間に挟みこまれる「世界の終り」という静謐な物語。
一体、これらの二つの世界はどうなっていくのか。もちろん、上巻を読んだだけでは、結論は出ない。しかし、最後まで読んでも「結論」は出ないのかもしれない。
この作品でも、ジャズや食べ物など、『ノルウェイの森』でも見られた小道具が頻繁に用いられる。そして、「私」も「僕」も色々なことを考える。それは、ストーリーに直接関係のあることもあるが、関係のないことも多い。
しかしそうやって、「私」や「僕」の思考様式を追っていくうちに、いつのまにか、読者は、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の世界に引き込まれていく。
表紙をめくったところについている「世界の終り」の地図も物語の雰囲気を高める役割を果たしている。
このあと、どう物語が進んでいくのか、下巻を読んでみたいと思います。
僕にとっては、「続きを読んでみたい」と思わせるくらい面白いです。
紙の本
村上春樹に出会ったしまった本
2002/04/28 21:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばんばん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、私が村上春樹に出会ってしまった本である。
なんとその出会いは、国語の教科書だった。世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドという2つの異なる話が、微妙な距離感を持って交錯し進んでいくその物語を、授業で見たのである。
変な本だな、どういう人なんだろう。
そう考えたのが運のつきで、風の歌を聞けやダンスダンスダンスなどにはまっていってしまったのである。
教科書には絶対難しすぎる。今でも理解できているかどうかあやいいものだ。
2つの世界+自分の現実世界の3つの世界が妖しく交錯しながら惑わせてくれること間違いなしの1冊だ。
紙の本
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
2001/03/23 18:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界の終りでは「僕」という主人公が、ハードボイルド・ワンダーランドでは「私」という主人公が活躍するのだが、二つの軸は前編では絡み合うことなく、ただ世界が終るということのみで僅かに繋がっている。
村上春樹独特というか、なんというか、ペダンティックではないぼんやりとした不思議さを漂わせながら、淡々と話が進んでいく。
紙の本
箱庭なりにおもしろいし、がんばってるのは分かるんだけど
2000/10/21 10:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹の本も昔はよく読んだなぁ。最近はもう手に取ることもないけれど、井戸をほりつくした感じがして痛々しいんだよな。いっそのこと映像の世界にでも足を踏み入れればいいのにね。同じ村上の龍の方より、よっぽどビジュアルのセンスがありそう。なんかいい意味でも悪い意味でも、せまい箱庭に閉じこもる傾向を感じるんだよな、作品も作者もね。詳しくは