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紙の本
古典の正しい読み方
2007/05/26 07:51
16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジョージ・オーウェルは元々共産主義シンパだった。スペインのフランコ政権独裁に反発し、人民戦線側に加勢すべくオーウェルはアンドレ・マルローやヘミングウェイらとともにスペインに渡り銃をとったのである。当初こそ、フランコ政権側を全体主義国家のドイツイタリアが支援し、人民戦線側をソ連や英仏が支援するという「ファシスト対民主主義」という構図であるかのように見えたが、やがて人民戦線側が内部分裂を起こす。ソ連が己に従わない連中を「トロッキスト」と非難するようになって人民戦線側が親ソ派と非親ソ派に分裂し殺しあうようになったのである。やがてソ連はナチスドイツと手を組み、人民戦線を見捨てるという行為に出る。こうしたソ連の行為に対し、かなりの欧州人共産主義シンパが幻滅を覚えソ連から距離をとるようになる。オーウェルはその1人だった。「ソ連を信用するな。ロシア人を信用するな。ソ連共産主義は恐ろしい全体主義だ」。こういうソ連共産主義に対する痛烈な皮肉・当てこすりとして書かれた小説が本書なのである。欧州ではハンガリー動乱やプラハの春が起こり遙か前からソビエト共産主義・スターリン独裁主義に対する反発がはじまっているのである。ところが極東の田舎国家日本では、こうしたソ連共産主義への「疑念」というものは全く生じなかった。丸山真男ごときはフルシチョフによるスターリン批判が起きた後でも「スターリン批判を行なうやつは許さん」がごときスターリン批判の批判なる珍妙なる論陣を張ったりしている。大内兵衛はソ連の圧制に対し立ち上がったハンガリー民衆を「百姓国家」として罵倒したりしている。オーウェルが書いた「カタロニア賛歌」はスターリンの非人間性を痛罵したものだし「動物農場」もソ連型全体主義に対する皮肉として書かれたものなのである。ところが日本では不思議なことにこうした共産主義批判はなかなか怒らなかった。ソ連が崩壊するまで共産主義を全体主義ととらえることを頑なに拒否する風潮が続いた。全共闘運動のように議会制民主主義破壊を目指す運動さえ起きたりし朝日ジャーナルなぞはその全共闘運動を煽るような記事を垂れ流し続けたのである。当然、オーウェルの著作から共産主義の恐怖を学び取ろうという読み方も、実はあまりなかった。むしろ「嫌な本」として遠ざける風潮さえあった。「グレートリープバックワード」と揶揄される大躍進政策を礼賛したり毛沢東の文化大革命を「偉大なる精神革命」などという論調が幅を利かせ、あれが中国共産党内部の過酷な権力闘争に過ぎなかったことは完全に見落とされていたのである(正確に事態を見抜いていたのは産経新聞)。それが昨今、オーウェルの「反共産主義」の本を「社会の右傾化を憂えるサヨク」が盛んにとりあげるようになったりするから笑わずにはいられない。「石原都政は『1984年』への道だ」「安倍政権の下で日本は軍国主義化し『1984年』のような社会になってしまう」という批判は当たらない。なぜならソ連は共産党一党独裁の全体主義国家で、政府に異を唱えるものはGPU・KGBによってとらえられ拷問・虐殺されていったが、日本は民主主義国家である。拳銃で立てこもった犯人も警察が遠慮しておいそれと射殺できない「馬鹿に優しい国」である。言論の自由がある国=日本、民主的な開かれた選挙でいつでも政権交代が実現できる国=日本と、異論を認めない共産党一党独裁の北朝鮮や中国のような全体主義国家では事情は根本的に異なるのである。監視カメラ先進国である英国に比べ、日本の監視カメラ設置数はまだまだ不足している。
紙の本
ディストピア文学の極北
2010/01/06 13:57
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
本作を象徴する狂気の科白を引用しよう。「相手が苦しんでいない限り、彼が自分の意志ではなくて当方の意志に従っているということが、一体どうやって確認できよう? 権力とは相手に苦痛と屈辱を与えることである。権力とは人間の精神をずたずたに引き裂いた後、思うがままの新しい型に造り直すということだ・・・われわれの世界における進歩というのは、より多くの苦痛を目指す進歩だ。過去の文明は愛と正義に基礎を置くと主張した。われわれの文明は憎悪に基礎を置く」
1984年、世界は3つの巨大な社会主義国によって分けられていた。オセアニアとユーラシアとイースタシアに。いずれも凶暴なまでに人間の自由を抑圧する、狂気の全体主義国家であった。
その1つ、オセアニアでは<偉大な兄弟>という絶対的指導者が君臨し、個人の生活はスパイ行為の奨励、監視体制、報道・娯楽の統制などによって完全に管理されていた。平和省は半永久的に戦争を遂行し、国民の目を敵国へと向けさせる。真理省は過去の記録を改竄し、歴史を捏造する。思想までも「思想犯罪」の名のもとに思想警察によって取り締まられ、「新語法」による言語統制によって反社会的な考えを持つことそのものが不可能となっていた。真実は歪曲され、隠蔽され、抹殺される。党のプロパガンダだけが真実なのだ。
この暴力と恐怖が支配する暗黒の世界にあって、外部党の党員ウィンストン・スミスは密かに体制への反発を感じ始める。そして同志を得て徐々に反逆心を強めていくが・・・?
スターリン体制をはじめとする共産主義政権の特徴を極端に誇張し、共産主義の本質を白日の下にさらした問題作。しかも、単にスターリニズム批判、全体主義体制批判に留まらず、無意識のうちに権力の危険性と権力者の本質、そして権力に盲従する人間の弱さをも突いている。それがゆえに、直接のモデルであるソ連が崩壊した後も、本作は輝きを失っていない。むしろ、国民総背番号制度が導入され、街中に監視カメラが設置され、ゆとり教育などの愚民化教育が推進され、国家によるネット検閲が行われる現代においてこそ、本書の説く悪夢がリアリティを持ち始めたと言えよう。オーウェルの先見性には感嘆するほかない。
たしかに開高健が「悲愴な失敗作」と評しているように、物語としては必ずしも成功しているとは言い難い。あまりにも誇張がすぎて白ける部分もあるし、物語の構成もさしてうまくない。しかし物語全篇を覆う圧倒的な絶望感と狂気は私たちに危機感を与えるに充分である。その意味でオーウェルは成功したといえる。
巻末に付された作者自身によるニュースピークの詳細な解説も必見。我々は言語を通じてのみ思考することができるのだから、語彙の抹消は思想統制に繋がる。オーウェルは作家ならではの優れた嗅覚で、言葉の重要性にいち早く気づいていた。その意味で、中国の簡体字や韓国の漢字追放といった公用語改革の孕む危険性は軽視できない。そして、当用漢字に飼い慣らされ「KY」などという無機質な略語に親しむ我々日本人も自戒すべき時が来ている。
紙の本
ディストピア
2002/07/26 20:35
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:boogie - この投稿者のレビュー一覧を見る
書かれた時代、そして過去、さらに未来に渡って輝く傑作。
全体主義で支配された国家は、規模は違えど、我々の生活に警鐘を鳴らし続ける。歴史の改変(二重思考/ダブルシンク)や言語規制(新語法/ニュースピーク)のアイディア、思考の管理・統制さえ行われる国家の姿は生々しい印象を与える。
「今でこそ読まれるべき」とよく聞くが、これはいつまでも読まれるべき名著である。
紙の本
情報化社会
2002/07/24 00:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やまたのおろち - この投稿者のレビュー一覧を見る
この小説は近未来のSF小説であるが、現代の情報化社会の中に潜む恐ろしさを内包している。情報という得体の知れない物をだれかが一元管理したときに、小説にあるように過去の改ざんによって、現在が輝かしいものであると人々に思いこませたり、存在すら不確かな仮想敵国を信じ込ませたりというような、不気味さに背筋が寒くなる。この小説の出来事はある意味でこれから起こりうることなのではないだろうか。
紙の本
1984年
2001/10/02 23:30
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あんぱん - この投稿者のレビュー一覧を見る
傑作である。全体主義に制圧された世界の中で主人公は一人抑圧された社会に挑んでゆく。
なんといってもここに描かれているのは遠い将来の私達の姿であり、この作品は抑圧された未来への警鐘でもあるのだ。
紙の本
古びない
2001/08/01 13:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
21世紀になっても、科学技術がどれだけ進歩しようとも、価値がさがることはないだろう。他人を支配し従わせようとする力がなくならないかぎり。国家や政府が、国民を見下すかぎり。
紙の本
渾身の一作
2000/08/19 10:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る
全体主義、ファシズムから思い当たる本は人によってさまざまだろうが、なんといってもこの「1984」なのである。作者の政治的な姿勢と文学上の記述が高いレベルで融合した、まさに渾身の一作を読むのは良いものである。だれも流行作家が口述で書き飛ばした(しゃべりとばした?)本なんて読みたくないし…まあどちらにせよ結果として楽しめればいいのか? 詳しくは
紙の本
今が読み時、恐ろしき古典話題作
2007/05/25 23:26
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:朝光 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、街で監視カメラがいたる所に有るようになってきました。防犯やセキュリティという事ですが、なんとなく重苦しく感じます。何でもネットワーク化されてゆく現代ですから、これらネットワーク化してコントロールされる様になる日は近いと思われます。
この本は古典SFですが、24時間 全ての生活を監視されている世界を描いたものです
独裁政治を行う政府「偉大な兄弟」が、国民をマインドコントロールして自らの権力維持を行っています。その体制に違和感を感じている男がどういう事にまきこまれて行くのか。。。 細かい状況や、心理描写など迫真の描写です。
人が一人一人分断されて、お互いが信じられなくなってしまう社会。考え方や感じ方まで国に強制(矯正)されてしまう社会。個人の尊厳や人間性を、集団や抽象的なシンボルの名で殺す恐ろしい社会です。
全体主義の行き着くところをこの本は、ストレートに表現と警告をしていると思います。
私たち戦後世代は全体主義の経験がありません。
この本は極端な例ではありますが、一体どういう社会があり得るのか 一度読んでおいて損はないと思います。
特に、最近の愛国心や君が代の強制、周りの人からの評判を人物評価にする仕組みなど、少しずつ心を拘束されてきている様で気になります。
紙の本
情報化社会ってだいじょうぶか。とおもったら
2003/12/14 05:10
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:arrow - この投稿者のレビュー一覧を見る
2003年4月7日は、あの手塚氏の「鉄腕アトム」の誕生日だった。
そこでかかれている未来は、車が空を飛び、アンドロイドも存在する
「21世紀」だった。
私が生まれた80年代以前から、21世紀とは、現在を越えた
未来型都市を待望するフィクションが多く存在した。それらは、
21世紀ってすごい、という根拠もない期待を膨らませてくれた。
だが、インド生まれの社会派小説家が描いた未来は、
杞憂に満ちたものだった。
高度に発達した情報社会では、全てに管理が行き届き、
過去さえ一瞬で書き換えられる政権が存在する。
そんな社会観も、確かに80年代以前に存在した。
主人公は、真理を司る省庁に勤務し、「真理」を常に監視していた。
その裏でも、主人公さえも指導者に監視されている。
一日何時に起きて、何をするのか。それらの行動は常に
テレスクリーンという装置が監視している。
徹底的な管理。
これが情報化の行く末だと感じる風潮が、
執筆当時にはあったのだろう。
だが、携帯電話で、すぐに個と個がつながるのが現代だ。
一部の諜報機関が隠れた一室で限られた諜報員が
ディスプレイにおどる文字を見つめている。
そんなイメージが、現代の管理社会だろう。
だが、技術は存在するのだ。
携帯電話の会社は契約者の行動を把握できるし、
政府の住民基本台帳ネットでは、
個人情報を公務員が簡単に閲覧できる。
管理された後の社会がどうなるか。
そのような心配をされた方には、一読をお勧めしたい。