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タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF)
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紙の本
テーマは「人間」と「愛」?
2007/04/25 14:30
9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年4月11日に、「猫のゆりかご」の著者ヴェネガットさんが亡くなられた。残念。ヴォネガットさんを偲んで「タイタンの妖女」を読む。
ヴォネガットさんは、捕虜として連行されていたドレスデンで英米軍の空爆を経験します。その時のアメリカ大統領はルーズべルト(フランクリン・ローズヴェルト)。シガレット・ホルダーを使い、グロトン風のテノールでしゃべるこの本の主人公ウィンストン・ナイルス・ラムフォードのモデルです。
彼は、障害者でありながら、車椅子姿をアメリカ人に見せようとはしなかった。
彼は、真珠湾攻撃の日本軍の通信を聞くお茶会を開いた。
彼は、日系人を強制収容した。
彼は、「マンハッタン計画」による原子爆弾開発を推進した。
マンハッタン計画での秘密主義、情報の不知は、この本の中の火星軍の兵士たちとおんなじだぁ。地球攻撃の意味が分かっていたのはラムフォードのみ。
この本に書かれていることは、決して、空想なんかで片付けられるものではない。今、そしてこれから起きるかもしれないという恐怖も味わいながら・・・SF小説というのは、楽しく読めちゃう。そこが魅力なのだとも思う。
一頭の愛犬(獰猛な種類だそうな)と共に、ある時間等曲率漏斗に飛び込んでしまったウィンストン・ナイルス・ラムフォード。妻のビーとは冷たい関係である。ビーには、最初の実体化現象の時にこう告げた。「コンスタントと君はいずれ火星で結婚することになるだろう。正確に言えば、結婚ではなく、家畜のように番わせられるんだ」と・・・「天にいるだれかさんに気に入られている」マラカイ・コンスタントは、愛を知らなかった父親に株で儲けた財産と、その財産を得る方法を教わった、全米一の大富豪でかつ悪名高い女たらし。すこぶる低級でいやみな男。「火星、水星を経て、地球に戻り、最終目的地はタイタン。そこにはビアトリスと二人の間でできた子ども、クロノも一緒。クロノが火星で拾った金属片は<幸運のお守り>と呼ばれるそれは大切なものだ」と告げられる。
以上が出だしで、その予言どおりに話は進んでいく。
マラカイ・コンスタントの苦労は、まるでヨブ記のようだ。この場合、神役はウィンストンなのか、かれのタイタンでの友達、サロなのか、それとも、トラルファマドール星人のなせるUWTB(そうなろうとする万有意思)なのか。散々にもてあそばれるという感じだね。でも、変わって来るんだなぁ。人格が。 “七十四歳を迎えたマラカイ・コンスタントは、ぶっきらぼうで気の優しい、がにまたの老人になっていた。頭はつるつるに禿げ、きれいに刈り整えたヴァン・ダイク風のあごひげのほかは、一糸まとわずに暮らしていることが多かった”という姿のなんと魅力的なこと。
マラカイを精力的に売り、警察ににらまれている息子が好きな、そんなビーも、掃除嫌いで『太陽系の生命の真の目的』という本を書き続け、力強く誇らしげな声でコンスタントに朗読するビーも、とっても素敵。
題名の“タイタンの妖女”は、白い服、金歯、褐色の肌のビーを象徴しているようだ。それは、ラムフォードの「亭主たるもの、まるきりかたなしじゃないか」という立場への復讐がなせる業とも見える。ヤキモチ?彼はトラルファマドール星人に利用されたと思い込んだままどこかへ消えてしまったが、彼の分のUWTBでそれができたのなら、その分で人間を愛することもできたろうに。阿呆やねぇ。予言能力があっても、運命に抵抗しなければ、むなしいねぇ。で、彼は最後までつまらぬ男であった。
「猫」同様、皮肉、ユーモア、風刺、がちりばめられ、一気に読めてしまうけれど、読んだあとに「レ・ミゼラブル」と同様のテーマ「人間の醜さ、悲しみ、美しさ」や「愛」とかが思いうかぶのでした。ぜひご一読を!!
紙の本
空疎な大衆的熱狂への距離と優しさ
2007/09/01 10:00
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:cuba-l - この投稿者のレビュー一覧を見る
全宇宙と時間に遍在するラムファードは59日に一度地球の邸宅で人の体として実体化して出現し、人類救済や崇高な目的のため、神のごとく予言をたれる。そんな予言を受けた若き大富豪コンスタントは、ある目的のため転落と流転の運命に巻き込まれていくのだが、この過程で様々なジンルイの偉業、高尚なスローガン、群衆的熱狂、宗教の愚劣さ、火星人の地球侵攻と滅亡、といった人間への冷徹な観察眼と皮肉に満ちた卑属なプロットが作品には溢れかえる。そして読者は次々に現れる高尚にして俗悪な人間の営みの描写にブンブンと振り回される。(これだけでも十分おもしろい)
やがて物語の舞台は遠く土星の衛星タイタンの上に移り、ついには人類の歴史と人間の活動の意味が明らかにされるのだが、時空を超えたドタバタの挙げ句に現れた人類の目的は、なんと宇宙人のある活動のために操られ利用された「屁」のようなものだった。
高尚な政治・宗教・経済といった偉大な全人類史との落差を際だたせて、あっけにとられる読者を放り出す作者の仕掛けはたいした物だ。
ただ、ここまでなら、俗っぽい皮肉に満ちたペーパーバックコメディーで終わるところだが、この作品の本当のテーマは最後にその提示の場が用意されている。大げさなテーマを持ち出して読者を振り回した果てのラストの一連の描写は、それまでのドタバタと一転して、美しい衛星タイタンや日々の静けさとともに深くしみわたる。この過剰な対比こそがこの作品の真骨頂であり読み手の快楽であるといってもいい。
ニヒリストの作者が繰り返し意地悪く描くように、世の中の偉大な義務や高邁な社会的・経済的目的、あるいはイベントや流行に見る作られた群衆的熱狂は決して人間個人を幸せにするものではないのだろう。それではいったい何が人にとって意味あることなのか?
物語のラストを覆う充実感と、作者の優しさとに包まれて、ぜひその答えと幸福感に浸って欲しい。