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紙の本
向田邦子さんの世界昭和のエッセイ集
2004/11/20 18:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はて奈 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和のエッセイ集ですが現代にも通じるユーモアや気遣い感性が伺えます。表題の『眠る盃』は、あるものを向田さんが誤変換してしまった話。その他は、子供のころ飲んだ謎のジュースをめぐる話。疎開に行く妹に大量に持たせた字のない葉書の話。もしかしたら、義理で書かれたのかもしれない展覧会の話。(あくまで推測。)などなど。この中での私のお気に入りは、『眠る盃』なぜなら、子供のころ同じ様な間違いをしたから。向田邦子さんのどこか、優しくて鋭い感性はいつまでも私の心をひきつけて止みません。多感な中学生時代から、ずっとファンの作家さんです。
紙の本
子どもたちとは、こんなふうに接したい
2003/12/18 23:31
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
向田邦子さんは、とても素敵な人である。このエッセイ集のなかの「あ」というタイトルのごくごく短いエッセイを読んでも、それがよくわかる。
小学六年生になったつもりで、ほんの少しだけ背伸びをした感じで、感想文を書いてみた。
<向田邦子さんの「あ」を読んで 六年二組 すなねずみ>
「あ」、なんとも奇妙なタイトルのエッセイである。タイトルに即して内容をまとめるとこんな感じだ。
ある冬の朝、通勤客でごった返すバスの車中、筆者は週刊誌を読んでいる。
ページをめくろうとすると、「あ」という声がする。なにごとかと声の主をさがすと、すぐそばに立っている小学校低学年と思しき男の子が、筆者の週刊誌に載っている漫画を読んでいたのだとわかる。
その少年にさりげなく漫画を読ませてあげる筆者のやさしい心遣い。「これ、読みたいの?」などと余計な言葉をかけても、おそらく少年を恥ずかしがらせるだけだったはずである。そこで無言のまま、ただ見せてあげる。なんとも女性らしい細やかな心遣いである。
少年も少年で、さっきはただ「あ」としか言わなかったくせに、いざ読ませてくれることがわかると、漫画のセリフの部分を声に出して読む。そして読み終わると、また無言のまま目を上げて筆者を見る。微笑ましい限りである。
しばらくして少年を見ると、なにやらポケットを探りながら、やはり無言のまま困っている。どうやらお金か、それとも定期かを忘れたらしい。さっきはささやかな無言の交流を楽しんだ筆者も、今度はさすがに無言というわけにもいかず、それでもきわめて短い言葉で「忘れたの?」と声をかける。
やはり無言のまま、しかも怒ったような顔をしてうなずく少年に、筆者は無言のままバス代を渡す。そして、少年が降りる停留所にバスがつく。降りぎわに無言のまま少年は胸ポケットから赤鉛筆を抜き出して、筆者に渡して去ってゆく。精一杯の、やはり無言のお礼というわけである。
このエッセイには後日談のような形で、もうひとつのエピソードが書かれているが、こちらは簡単にまとめると「大好きな子犬を失った少年が、やはり無言のまま(「ベエ!」というのは言葉ではないと思う)、筆者のもとから去ってゆく」という話である。
いずれのエピソードも、自分の言いたいことを上手く言うことができずにいる、でも精一杯それを自分なりに伝えようとしている少年と、筆者とのささやかな交流の話である。そんなエッセイに「あ」というタイトル(もちろん、あのバスのなかの少年が発した「あ」という言葉でもあるのだが、それはまた日本語の五十音で一番最初にくる言葉でもある)をつけるなんて、とても洒落ていると思う。(了)