紙の本
血を越える仕事
2011/08/21 22:32
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投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公・秋幸は日に照らされて働くのが好きだ。
自分が土となり草となり風となるような瞬間が何より好きだ。
人は誰しも、血を見ればキリがない。血の関係に惑わされない人間などいないはずで、血の誇りと血の穢れは裏腹で、そんな人間たちにとって、土や草や風と一体になれるような瞬間こそ、血が地に成り代わるような瞬間こそ、何にも得がたい。
咲き誇る夏芙蓉のむせ返るような匂いが、種の繋がりを生む交配という事件の引き金であるように、今目の前にある労働にひたすら打ち込む秋幸の肉体から立ち上る汗は、やがて起こる荒ぶる事件の前触れのように、物語の通奏低音として全編に染み込んでいる。
土方仕事を愛する秋幸の血は、土地の成り上がり者として、蝿の王とさえ呼ばれる実父・浜村龍造の血に囚われている。同じ土地、同じ路地に暮らし、それ以外に行きようのない者たちにとって、血の監視は逃れられない日常として生涯共にある。俗な毎日に繰り返される血の物語の焼き直しは、次に訪れる破局の時にこそ、その悲劇性故に、神話のような輝きを持って聖なる時へと昇華される。
うねるように繰り返される愛憎の語りを、路地はすべて飲み込んでそこに在る。血も遡れば地になる。血がつながることで地になっていく。そこに山や海と共にただ在ることの完全さ。絡め取られんばかりの血の中でも、秋幸の肉体が奏でる仕事は、血を乗り越えるための人間の所業であり、越えられても越えられなくても、それは切ないほどに尊く、完全なまでに崇高に見える。
紙の本
すぐそこにある別世界
2001/05/25 01:16
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投稿者:鬼頭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
強い光が満ち、酔芙蓉の香りが漂い、波が繰り返し打ち寄せる紀州。そこの路地は、遠い神話にさかのぼる物語にあふれていた。
『岬』に続く主人公である秋幸は、自分を捨てた父親に戦いを挑み、異母妹と交わり、異母弟を殺す。うねるような物語は、土地に根ざした人間の生命を見事に描き、読者を別世界にいざなっていく。
紙の本
結局これは抜けなかった
2014/01/09 14:27
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投稿者:月 光 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの当時、三田さんは「あまりに褒められすぎで」あえて今年の収穫アンケートを白紙で出したとあとで告白。
高橋三千綱は「体重100kgもあっちゃケンカしたらどうなるって」
と当時はハズしたような発言がおおかった。
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中上健次との出会いの一作。ひとりの作家には、どうしても書かなければならないことが決まっている。自己憐憫とは全く違う。ただ己が体をえぐり続け、血と肉で恨みも憎しみも昇華させてしまう。頭を抱えてしまいます。
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文句ナシの傑作。中上文学、いや日本文学の到達点がここにある!初めはとっつきにくい文体かもしれないけど、読んでいくうちにハマりますから、ぜひ。
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中上健次ほど、日本の作家(この定義も曖昧だけれど。日本語を標準テクストとして書いている作家として)の中で、海外の作家に例えられることが多い人もいないんじゃないかと思う。ガルシア・マルケス、スタインベック、ウイリアム・フォークナー、あるいはミッシェル・フーコー。何かしらの強い磁場を持った人たち。どうしようもなく自分から切り離せない沁みついてしまった何かを、根こそぎにするような文章を書いている人たち。ドメスティックな舞台を描きながらも、そこにぽっかりと口を開けて待っている何かに吸い込まれるように、僕は『枯木灘』を読んだ。一時期、渋谷だとかの「場所」が持つ「存在不安」のようなものが書かれた小説がいろいろあったけれど、本を閉じれば消えてしまうそれと違って、中上健次の作品の中には、本を閉じた瞬間からやってくるどうしようもない何かが筆圧のある文章で書かれている。はっきりいって、そのへんのホラーより恐い。
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物語の典型をギリシャ悲劇に観て、新宮の海は地中海のように在り、説経節はエレクトラの悲劇として在る。短編『岬』がエレクトラの構造をそのまま新宮に置き換えたのなら、『枯木灘』はのちの『地の果て 至上の時』への橋渡しにすぎないのか? いや、『枯木灘』はエレクトラの悲劇のその後が書かれているのだ。その後、とはポストの意である。乗り越えるために書く。書くことは、乗り越えることである。
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複雑な血縁関係が入り乱れ、巻末の血縁図を参照しながら少しずつ、読み進めていった。人物の相関関係の説明が何度も出てくるのは雑誌などに連載されていたからなのだろうか。
人に、文学に、世の中に「正しさ」だけを求める人にとっては、もしかすると耐えられない世界かもしれない。しかし、それらの「良識」を凌駕してあまりあるエネルギーが、この小説にはある。
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『岬』に続く秋幸物語第二弾。ばりいかつい話しやった。しかも方便がばり僕の感覚にあってるし、心地よかった。これは名作やでえ。土方。24-25.
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2009/2/8,12,13
「岬」の続編短編小説である。
去年の中期ごろ、「岬」を読み、今までに読んだことがないほど登場人物が多く、とても人々同士の内部がいりくんでいる物語だと思った。
血縁関係の複雑さとその苦悩がとても離れない作品だった。
「枯木灘」はその「岬」の続編であり、私は少しばかり重い気持ちで読み始めました。
この本は主人公・秋幸の「岬」での深くとても煌びやかとはいえない境遇を知っていたとしても、やはり衝撃を受ける作品だった。
血縁関係に対する秋幸の苦悩、死んだ兄に対する苦たる思い、実父に対する憎き思い、その腹違いの姉妹達に対する悲愴な思い。
そして暴力。
中上健次がほとんど自らの身の上を書き綴っているといえるこの1冊は私の中に今までなかったであろう胸が騒ぐ思いを残した。
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至高の作品。ち(血・地)にとらわれた人々のお話。
お兄ちゃんが…
方言がこれまた良い味を出してます。
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血縁関係や文脈が複雑で、且つ長いので読破するのに時間がかかった。
半分を越えたところぐらいから話がどんどん動き始め、話の中に入り込めた。
青山真治監督の北九州サーガは『枯木灘』(及び『枯木灘』を含む紀州三部作)にかなりの影響を受けているのだなと思った。
こうやって発刊から永い年月を経て読んでいるとその直系の影響下も理解できてまた別の読み進める愉しさがある。
読み終えたあとは、巨人・中上健次にしり込みせず向き合い続けた達成感と、彼の言葉の威力に圧倒され、しばらく呆けてしまっていた。
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中上健次の言葉に圧倒された。
きっとこの小説を読んで、新宮や熊野に行こうと思い
そして行くようになったのだろう。
『奇蹟』がいちばん好きな小説には違いないのだけれど、
それは『枯木灘』があってこそなのだろう。
2002年6月9日読了
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秋幸サーガ第二作。
秋幸の父の存在で、物語はようやく動き出す。
誰かの視線と噂が、自らの物語を形作る。
「路地」は人間の内部に在る。
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一度は読まなければと思いながら、思っているうちに著者は逝ってしまった。何度も書店で手に取りながら買うには至らなかった。「重い」「暗い」「血」といった先行イメージが植えつけられていたせいだろう。
著者は戦後生まれで初の芥川賞の受賞者で46歳という若さであの世に旅立った。死因は腎臓癌。
『枯木灘』 はこの著者では数少ない長編で集大成だと何かで読んだので第一冊めに選んでみた。
末尾にこの物語に登場する人たちの家系図が掲載されているほど血縁関係が入り組んでいる。本編でもくどいほど関係が書かれているが、それでも、家系図を折々に見なければ理解しにくい。
「変形私小説」という書評もあった通り自己の内面を深く追求した小説なのかもしれない。
予備知識を裏切らず、重く、暗く、エロく、汚い世界が展開していた。
しかも読みにくい文章なので何度も読み返さなければ理解できない。
こういう書き方があるのかと、妙なところで感心させられた。
こんなしいどいものは二度と読みたくないと思うけれど、次々と読みたくなる作家らしい。
でも、私は、もう、いい。
うまく表現できないが、しばらく立ち直れないような感じで読書から足が遠のきそう。
それだけ、存在感があるということなのだろうか。
一冊だけで忘れられない作家。中上健次…。
ふと、思った。
同じ設定でファンタジー風に書いたらどうなるんだろう、と。