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商品説明
少年の日々、退屈極まりなかった世界文学の名作古典が、なぜ今、読めるのか。小説を読む至福と作法について、明晰自在に語る。『熊本日日新聞』『道標』ほか掲載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
なによりも読書の楽しさを感じさせる
2012/04/14 09:01
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は「私と西洋文学」という副題があるように、『逝きし世の面影』の著者が長年、自国の文学よりも親しんだらしい西洋の作家、その小説について、ここ何年間かのあいだに書いたものの集成である。過去に読んだものを懐かしむというより、これまで読んでいなかったものに挑戦している傾向があり、その姿勢に共感をおぼえる。
大きく取り上げているのはディケンズ、ゾラ、そしてトゥルゲーネフ(ツルゲーネフという表記が一般的)だが、そのほかの作家もふくめて知ってはいるがあまり読んではいない人と作品が並んでいるのが私には好ましい。すでにかなり読んでいる作家・作品なら(著者がどう取り上げるか、への関心はあるにせよ)新たな知識欲はかきたてられない。逆に全然知らない作家・作品なら、やや気が重くなるということがありそうだ。
その点、上記の三人の選択は絶妙なところがあるし、紹介も兼ねた批評的読解も面白く、これらの作家の諸長編を読みたくなる気持ちを生じさせた。もっともディケンズ、ゾラの場合はそうだが、トゥルゲーネフになると、読みつつ始末しようとしている気味もあり、ロシアのこの作家が時代を経て読まれなくなったことの構図が掘り下げられ、かなり突っ込んだ作家論になっていると思う。
全体的に本書のいろいろな文章には、大きな仕事をこれまでしてきた著者がリラックスした気分で、とはいえ若々しい挑戦的な気持ちももって、好きな分野の本を読み、それらについて書くという幸福感の感じられるものが多い。
シュティフターの『晩夏』は確か篠田一士が大推薦した長編小説として名は知っていたが、結局読まずじまいできてしまった。その邦訳が入った集英社世界文学全集の一冊、ジョージ・エリオットの『ロモラ』を最近、百円棚で買ったばかりだが、これもすぐ読む気持ちにはなれない。だが本書のなかで取り上げているディケンズとともに、このジョージ・エリオットを大きくあつかっているF・R・リーヴィスの『偉大な伝統』は意外と好きな本であり、『ロモラ』よりもっと長い『ダニエル・デロンダ』をかつて読んだのも、そこで大きくページを使ってふれていたせいもあったかもしれない。
『偉大な伝統』には、本書の著者がかつて少年時に挫折し、近年《おもしろく読んだばかり》のディケンズ『ハード・タイムズ』についての長めの分析もある。だが久しぶりに引っ張り出してきた『偉大な伝統』をめくりながら気づいたのは、小説というものは批評や紹介だけ読んだのでは記憶に残らないことだった。小説自体を読めば、たとえば『ダニエル・デロンダ』にしても、ヘンリー・ジェイムズの『ある婦人の肖像』との差をふくめた風味のようなものが残る。またコンラッドの『ノストローモ』など(この大作も『偉大な伝統』でずっしりと論じられている)、細部まで覚えている。本書ではそのコンラッドの短編「エイミー・フォスター」が論じられているが、ともあれ細部はダイジェスト的なストーリーのなかにはない。
作品は実物を読まないと残らないものの、批評は本書やリーヴィスの本のように手堅いものであれば(規模や構想はもちろん違う)、著者の姿勢というか書くかたちは読むものに残る。今回、著者の本を初めて読むが、そう感じた。
本書のタイトルはこんな文章からとられている。《いまは何よりも人生の事実がおもしろい。人生の瑣末なくだらなさがたえられる。くだらない瑣末と思えた生の細部に、もの寂びたやさしい光、あるいはおどけたよろこびが宿っているのが見える。》
次のページには《そのディケンズがおもしろくなったのは、自分の一生に展望がついて、夢は具体的で平凡な事実に宿るしかない、そういう細部に輝き出る夢こそ語るに値すると覚悟したからだろうか》という文章がある。著者の言いたいことが分かる気はするものの、「自分の一生に展望がついて」というほど達観していない分、本当のところ分かっていないのかもしれない。
「書物という宇宙」は語り言葉による戦前、小学生以前からの読書体験ばなしだが、本書のなかでは例外的に外国文学以外の本への熱中にふれている。戦争や飛行機の本などだが、もう一方に「世界名作物語」の世界があるので、この講演録が収録されている意味はあるだろう。なによりも戦前・戦中という時代のなかでの読書を語りつつ、湿った議論になっていないのがいい。
ところで『逝きし世の面影』の平凡社ライブラリー版の帯には「10万部突破!」という文字が大きく踊っていて、びっくりさせられる。奥付をみると今年1月の日付で25刷とあり、これも凄い。2005年に書かれた「平凡社ライブラリー版あとがき」には《版元が重版をしなくなってから、この本は幻の本になりおうせたとのことで、古本屋を探したが手に入らぬ、何とかならぬかという問いあわせをずいぶんと受けた》と冒頭に書かれている。最初、この言葉は版元を移したことへのゼスチャー的な言葉と勝手に感じていたのだが、実際に旧版元で、本が売れながら増刷しないかなり長い時期があったようだ。その理由を記す旧版元の社主の言葉も釈然としないものがある。社主の名をどこかで見たような記憶があり、調べてみると、やはり『柄谷行人論』の著者であった。
『逝きし世の面影』はいま読んでいるところだが、江戸末期の普通に生きていた人々の生活を膨大な外からの眼・文書をとおして描くその方法に惹かれながら、いまのところ全面的に入り込めないもどかしさのなかにいる。だが関心をもたずにいられないので、『日本近世の起源』などにもあたろうとしている。