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商品説明
臓器移植、遺伝子操作、iPS細胞…。生命科学における「技術」の進歩は、「生命」の捉え方を大きく変貌させた。「生」のありようを考察し続けてきた著者の集大成にして、新しい時代の生命哲学。『現代思想』連載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 第一章 ヴィータ・テクニカの哲学へ
- 第二章 生態学的転回について
- 1 自然の非本質主義について
- 2 ビオスとゾーエ
- 3 エコ・バイオ・キャピタルへ
- 第三章 生命における主体/生態における視点
- 1 自己触発について
- 2 内部観測について
- 3 ドーキンスと遺伝子の自己
- 第四章 確率・環境・自己
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著者/著名人のレビュー
20世紀の哲学・思想の軸として描かれてきた...
ジュンク堂
20世紀の哲学・思想の軸として描かれてきた「言語論的転回」に変わり、檜垣は21世紀の軸として、「生態学的転回」を提唱する。言語や意味作用の遂行では、生命は成立しない。意味の外側、意味作用としては「無意味」である「質料(≒物質)」こそ、生命にとって不可欠であると考えるのである。
私の身体は、生殖という起源をもち、生命体としての基盤をもつ。それは徹底的に贈与されたものである。即ち、圧倒的な受動性である。我々は、テクノロジーを備えることで、そこにいかほどか能動的、自発的な行為を差し挟む。人間は、技術的な生として、「ヴィータ・テクニカ」を送らざるを得ないのである。
テクノロジーという観点から見ても、20世紀の哲学・思想は豊饒だ。ハイデガーの「ゲシュテル」がすぐに想起されるし、フーコーの言う「規律権力」もテクノロジーであり、「自己への配慮」もテクノロジーである。ドゥルーズ=ガタリにおいては、金属こそがテクネーの対象であった。
「ヴィータ・テクニカ」の思考は、生命から生気論的前提を一切奪い去る。生命の実体性極力退け、生命科学が提示する、生命の物質的な基盤への解体をそのままに肯定するのだ。