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紙の本
紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代 (越境する近代)
著者 姜 竣 (著)
戦前には「不気味なもの」として、警察によって都市から排除される一方で、教育現場に包摂され、活用された紙芝居。その歴史をふまえて、紙芝居とその時代に映る「不気味なもの」から...
紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代 (越境する近代)
紙芝居と〈不気味なもの〉たちの近代
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商品説明
戦前には「不気味なもの」として、警察によって都市から排除される一方で、教育現場に包摂され、活用された紙芝居。その歴史をふまえて、紙芝居とその時代に映る「不気味なもの」から幻想と異端の実相を逆照射する。【「TRC MARC」の商品解説】
戦前には〈不気味なもの〉として街頭から排除された紙芝居は、一方では、教育紙芝居や国策紙芝居として活用されていった。紙芝居の昭和史をたどり、『ゲゲゲの鬼太郎』を生んだ紙芝居『墓場奇太郎』などを分析して、近代における異端の実相を読む。【商品解説】
目次
- 序章 境界と両義性を超えて
- 1 はじめに
- 2 トーテミズムから人類学機械へ
- 3 タブーから不気味なものへ
- 4 歴史の天使と民衆
- 5 紙芝居研究の原点
- 第1部 紙芝居はどこからくるのか
- 第1章 紙芝居の時代
著者紹介
姜 竣
- 略歴
- 〈姜竣〉1966年韓国生まれ。城西国際大学人文学部准教授。専攻は民俗学、文化人類学、表象文化論。共著に「新しい民俗学へ」「エスノグラフィー・ガイドブック」「韓流サブカルチュアと女性」など。
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書店員レビュー
戦前から昭和初期に...
MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店さん
戦前から昭和初期にかけて、子供たちの間で人気を博した生活風俗の一つに街頭紙芝居がある。自転車で町を巡業する「紙芝居屋さん」の姿を懐かしく思い出す方もあるだろう。
本書では、ヒット演目『黄金バット』や水木しげるの『墓場鬼太郎』のルーツとも云える『墓場奇太郎』等、紙芝居作品における“不気味なものたち”と当時の社会との関係性が、様々な角度から考察されている。公序良俗そこのけの奇怪さと聖性を備えた紙芝居のヒーローたちは、どのような存在として街角を跋扈したのか。
柳田民俗学やフロイトのタブー論、中上健次の小説の語り部・オリュウノオバ考など、切り口は多方面に及び、読み応えのある内容になっている。
札幌店 人文担当 武良
紙の本
見たこともないのに。なつかしく。
2007/08/29 00:47
13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
盆休み、今更ながら、「東京タワー」(リリー・フランキー)を読んでみた。小学生の「ボク」は夏休みのたびに、小倉のばあちゃんの家を、訪れる。友達がいるわけでもなく、「帰省」でもない不思議な滞在。「ただ毎日本を読んだりテレビを見ているだけで」(en-taxi連載第二回より)、しかし、当時すでに寂れつつあった「ボク」と「オカン」の住む炭鉱の町「筑豊」と違って、この「小倉の公園には色んな物売りがきた。(中略)この公園には紙芝居が来ていた。(中略)紙芝居の内容はその時代でも「古過ぎるよ、それ」という感じで「赤銅鈴之助」とか「月光仮面」とか」。(同上)
へえ、と思う。同じく昭和後期世代だが、街角で、生の紙芝居を見た経験はない。「赤胴鈴之助」はアニメで見た。
ふと「ALWAYS 三丁目の夕日」(原作・西岸良平先生、監督/脚本・山崎貴氏)では紙芝居、どんな題目だったかなと、オタク心が湧いてきた。確かにあったはずなのだ。あの「茶川」さんとこに転がり込んだ子が、タダで遠くからみているシーンが。この前のTV放映の時ホリキタマキの方言を聞いて、あわてて途中から録画したビデオをチェックした。ないのだ。そんなシーンなど。勝手に頭の中で、あの時代を扱う「ノスタルジックな映画」にはそういう紙芝居のシーンがあるはずだと思い込み、疑いもしなかった。マンガと混同したのかもしれない。法事のついでに年嵩の親族に聞いてみた。「紙芝居ってみたことある?」「一回はあるやろけど、なんやしらん気色わるうて、おもろなくて」。
本当は誰が「紙芝居」をなつかしんでいるのか?栄えていたころの紙芝居とは。実際はどんなものだったのか?
本書は、実際の紙芝居の歴史を克明に追い、分析した最新の成果である。そして水木しげる先生に代表される現代マンガと紙芝居との切り離しがたい深い関係とその決定的な違いを分析した書物でもある。ノスタルジーとは程遠い、硬質な序章には少し戸惑ったが、文中の「人類学機械」(アガンベン)という初見の概念が心にひっかかった。
第1部「紙芝居はどこからくるのか」から、ずんずん面白くなってくる。「紙人形芝居」という祭りや縁日の見世物は原型としてあったもの、現在イメージされるスタイルの紙芝居は1930年代初頭、世界大恐慌の最中に金解禁を行なって、とんでもない恐慌に陥った日本、東京有数の貧民窟で生まれたというのだ。
「赤マント」など、当時の「都市伝説」などとも交錯しつつ、瞬く間に街路に「はびこった」街頭紙芝居とその「黄金バット」などのキャラクターたちは五,六年もしないうちに、戦時体制の元、当局と「良心的」教育者たちの「検閲」「善導」で子どもたちの街路を教育空間に変える「教育媒体」=「教育紙芝居」へと変貌していく。そして敗戦。GHQはアメリカに対応するものがない紙芝居に直面し、相当苦慮しながらも事前検閲を励行する。紙芝居の生産・流通、当時の「紙芝居屋さん」のライフヒストリー、当局・各自治体の対応にわたる細部に渡る、著者の綿密な調査がうかがえる。
そして第3章「醜いヒーローの形態学」、第4章「絵の声を聞く」は紙芝居作家としての前史をもつ水木しげる先生のファンのみならず、友人の家で「お兄さん」の「蔵六の奇病」(日野日出志先生)、「エコエコアザラク」(古賀新一先生)などを、キャーキャー言って怖がりながらも楽しみ、楽しいながらも、暗い帰り道は本気で怖かった…という経験をお持ちの方に、是非読んでいただけたら。あの「怖さ」の底にあった「マンガ以前」の何かに触れることができるのではないでしょうか。
紙の本
それを語るには、分量が足りない。
2022/10/15 15:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:L療法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちょっと文体が読みづらいとこがあるのですが、これは作者の母語が日本語ではないっぽいことと関係するのかな?
本書は、不気味なものと近代についてのざっとした見通しです。
ちょっと詰め込みすぎて、どこか存在する講義を聞いてのノートを読んでるようなところがあります。
ちょっと枝葉が多くて、本題が見えなくなりがちですが、「紙芝居」について、かなり突っ込んだ話をしてますから、それだけでも読む価値あり。
フロイトの話題に集中するあまり、全く紙芝居の話が出てこない章があるのはどうかと思います。二冊に分けるか二部構成にするか、日本での影響関係に絞った方が良かったのではないのかな。
とはいえ高密度なこの本は何度も読む必要があるでしょう。
不気味なものは、科学の発達がオカルティズムに新たな命を吹き込んだように、近代にメディアとの関係を取り結びます。
それを語るには、分量が足りない。