サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。

電子書籍化お知らせメール

商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。

電子書籍化したら知らせてほしい

  • みんなの評価 5つ星のうち 5 1件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2005.7
  • 出版社: 現代企画室
  • サイズ:20cm/275p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7738-0412-2

紙の本

失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える

著者 文 富軾 (著),板垣 竜太 (訳)

韓国社会を覆ったさまざまな形の暴力の生々しい記憶は、どこへ消え去ったのか。「釜山アメリカ文化院放火事件」の「首謀者」として逮捕、投獄された著者が、運動と暴力をめぐる「記憶...

もっと見る

失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える

税込 2,750 25pt

予約購入とは

まだ販売されていない電子書籍の予約ができます。予約すると、販売開始日に自動的に決済されて本が読めます。

  • 商品は販売開始日にダウンロード可能となります。
  • 価格と販売開始日は変更となる可能性があります。
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて予約購入しても、予約一覧から簡単にキャンセルができます。
  • honto会員とクレジットカードの登録が必要です。未登録でも、ボタンを押せばスムーズにご案内します。

予約購入について詳しく見る

ワンステップ購入とは

ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。

こんな方にオススメ

  • とにかくすぐ読みたい
  • 購入までの手間を省きたい
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
  • 初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。

キャンセルについて詳しく見る

このセットに含まれる商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

商品説明

韓国社会を覆ったさまざまな形の暴力の生々しい記憶は、どこへ消え去ったのか。「釜山アメリカ文化院放火事件」の「首謀者」として逮捕、投獄された著者が、運動と暴力をめぐる「記憶」と「忘却」の問題を提起する。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

文 富軾

略歴
〈文富軾〉1959年韓国生まれ。光州抗争の真相を知り、釜山アメリカ文化院に放火。6年半の監獄生活を送る。季刊誌『当代批評』を創刊し、以後、同雑誌の編集に携わる。著書に「花々」など。

あわせて読みたい本

この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

この著者・アーティストの他の商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

みんなのレビュー1件

みんなの評価5.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (0件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

日本の社会運動への問いかけとして

2005/09/18 10:12

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:紅衛兵 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 韓国で民主化という「成功した」闘争を闘った立場からの、「切れば血の滲み出るような」(訳者・板垣竜太さんの評)内省の書。
 軍事独裁に抗した民主化闘争——韓国社会を覆ったさまざまな暴力の生々しい記憶はどこへ消え去ったのか。82年の釜山アメリカ文化院放火事件の「首謀者」として逮捕,投獄された著者・文富軾はこの問いを直視し,自省を重ねる——。
 「成功した」運動の聖化と闘う文富軾の闘いは,同時にまた,全共闘運動やプロレタリア文化大革命に触発されて,大学へ行かずに下放(肉体労働)についた私の胸にささった。あの時代の熱い運動や闘いはどこへ行ってしまったのだろうか? せめて学問のあり方をめぐって体制にに異議申し立てをしたのならば,思想に生き死にを賭けるとまでは言わずとも,思想の論理と倫理でもってふりかえるべきではないか——文富軾の声は私にはそう聞こえた。
 本書は、海の向こうの「革命」は礼賛しても、足元の、自分自身が関わる出来事には傍観者を決め込む——そのような似非革新派、似非進歩派への批判でもあろう。著者の真摯な観点は,文学なき政治は人々の魂にふれえないということを教えている。ある新左翼組織が武装闘争放棄にあたって言明した「日本人民は武装闘争を望んでいなかった」との総括にはどのような内省があったというのだろうか。
 「ある時代は,それを記憶する人たちがいる限り,ただあっけなく消え去ることはない」(文富軾)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。