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- カテゴリ:一般
- 発売日:2018/07/06
- 出版社: 慶應義塾大学出版会
- サイズ:19cm/468,10p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-7664-2528-4
- 国内送料無料
紙の本
私は自由なのかもしれない 〈責任という自由〉の形而上学
著者 斎藤慶典 (著)
生命の自己保存を至上命令とする自然に生きる私たちに「自由」はいかにして可能か。この世界の存立構造の内に「責任」という仕方で兆した「自由」の可能性をめぐって、現代科学の議論...
私は自由なのかもしれない 〈責任という自由〉の形而上学
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商品説明
生命の自己保存を至上命令とする自然に生きる私たちに「自由」はいかにして可能か。この世界の存立構造の内に「責任」という仕方で兆した「自由」の可能性をめぐって、現代科学の議論を参照しつつ、独自の思索を紡ぎ出す。【「TRC MARC」の商品解説】
あなたの人生には、あなたに
しかない固有の色が着いている
のかもしれない。
だが、それがどんな色かを、
あなたを含めて誰も見ることが
できない。
これが、「自由」ということなのだ
▼生命の自己保存を至上命令とする自然に生きる私たちに、「自由」はいかにして可能か。
▼私たちの世界の存立構造の内に「責任」という仕方で兆した「自由」の可能性をめぐって、本書は、現代科学の議論を参照しつつヨナス、アレント、ハイデガー、レヴィナスらと共に、そして彼らに抗して、独自の思索を紡ぎ出す。
本書は、「自由」の起源を自然界における「自発性」に見出し、「心」から「意識」の成立を、一方を他方に還元できず、かつ両者の間には一方が他方を「支え」、他方が一方を「包む」という固有の関係性として捉え直すことで、形而上と形而下の論理を繋ごうとする。
このようにして生命の論理の支配下にいることに常に意識的でありながらも、それにも拘わらず、私は自ら欲したところのもので「ありうる」(「私は自由なのかもしれない」)。この純粋な可能性の次元に生きようとすること、これは誰に命じられたのでもない「自由」である。【商品解説】
「私たちの世界はどのように存在しているのか?」という問いを巡り、フッサール等の現象学的考察を整理しつつ、その在り方は私たちの「自由」と密接に結びつくことを、生命科学や現代英語圏の議論も参照し、徹底して論じる。自由が「ありうる」可能性を深慮した、強靭な思索の結晶。【本の内容】
目次
- はじめに
- 序章 「ある」に訪れた危機
- 1 存在=現象
- 2 現象以前
- 3 現象以後
- a 「ない」 b 固有性
- <b>第Ⅰ部 自由</b>
著者紹介
斎藤慶典
- 略歴
- 〈斎藤慶典〉1957年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。同大学文学部哲学科教授。哲学博士。著書に「フッサール起源への哲学」「生命と自由」など。
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