紙の本
「脳から社会を語る」研究。誠実で赤裸々で刺激的な研究者の言葉である。
2010/10/02 15:29
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
わかりやすく説明するというだけとはちょっとちがう雰囲気の、一般向け脳科学の本である。最先端の脳科学研究者の一人がどんな風に考え、研究を進めているのか、具体的な実際の研究説明だけでなくその背景にある考え方や現状の悩みまでが、ある意味誠実に、赤裸々に書かれている。
言葉は平易だが、最先端の説明もあり、「方法論」「考え方」という形而上学的とでもいっていい内容も入っていて、脳を刺激された。
著者は脳の社会的な機能の解析を目指している。認識や運動制御など、個体内での脳機能の研究(個々の脳の研究)はめざましく進展しているとはいえ、「他者との関係」の部分はまだまだこれからの分野である。本書の「言葉が平易」なのは、著者も言うように「新しい分野にはまだ専門化した用語が確立していない」せいもあるかもしれない。しかし、著者の「こだわらない、気負わない」人柄も理由のような気がする。最先端の研究、たとえばミラーニューロンの評価などにも直截な批判の言葉が書かれているが、それも真摯な科学者の態度に感じられるて受け入れやすい。わかりやすい例えも多い。
ただ、「脳科学はヒトを幸せにできるか? 」という設問が最初に立てられていることについては、私的には少し方向を惑わされる感があった。「幸せとは何か」という、これまた複雑な主観的要素の多い問題が入ってくるからである。
前半は10年ほどの脳科学の急速な進展で見えてきた壁の話である。著者が自らの研究テーマをどう選び、どう進めていこうか悩むところの話は、予算の獲得という生臭い話も含め、「現実の研究者」がとてもよく描かれている。
壁をどう越えるか、で研究者はみな苦労をしているのだろうが、「壁が見えた」というのは、「前途にはなにがあるのかわからない」初期の状態からそこまで進んだのだ、とも言えるのではないだろうか。
限界が見えればそれを越える方法も見えてくる。限界が指摘できる、そういう段階に至ったことは喜んでも良いと思う。なんだか相対性理論で物理学の壁を越えた時の物理学の状況を想起させられた。
著者は個々の神経細胞の記録よりは小規模の集団での活動記録で社会行動の解明を目指している。個々の神経細胞の活動様式の詳細も、全体像の基礎となる重要な知識である。しかし、集団同士の関わりやその結果は、個々の細胞の詳細がわからなくてもわかることはあるだろう。こういった「階層的」な考えも人間は上手く取り入れてここまで知識を広げてきた。社会学や経済学はそういったものの一つと思う。個々の細胞レベルの探求ではないレベルでの脳神経活動・行動研究も、その間の階層の研究としてなくてはならないということではないだろうか。
これまでの著者の実験、測定データの解析もあるが、よい文と絵でわかりやすい。動物心理学や行動学と近いところに位置した脳科学、ということがよく理解できる。「相手の目の動きから相手の注意の方向を推測するという機能が損傷すると会話が上手く行かない、意思の疎通が悪い、などが起こる」という「共同注視」の話は、やはり目線、眼力という言葉には根拠があるのだと教えられたりもした。
細胞の集団である脳でも、人の集団である社会でもつながり方には共通性がある、ということも著者の主張の一つであろう。意図的かもしれないが、それを説明する「例え」がかなりあり、「そうかもしれない」と納得させられる。
あとがきで「最近のぼくの頭の中に溜まっていた、いろいろな妄想や経験をざっくり書き出した」と著者もいうとおり、結論はないが、教科書は本にはのらないような荒削りのヒントがそこここにある。これからなにか研究をはじめたい、と思っている若い人にもとても参考になるのではないだろうか。現在進行形で活躍中の研究者である著者だからこそ書けた、そんな感じもする、実感がこもっていて内容の濃い本である。
投稿元:
レビューを見る
情動 emotion 感情 feeling 情動 急速に引き起こされる一時的な意識状態で、怒り、恐れ、喜び、などを指し、発汗、呼吸、脈拍などの生理的身体変化が観察されるもの 感情 喜んだり悲しんだりするココロの動きであり、ある状態に対する主観的なラベル 情動は短期反応 感情は比較的長く続く 感情 情動を含む意識下の認知システムの処理結果を、意識的に取り扱うための主観的認知ラベル ベンジャミン 本来の反射的な情動システムは、進化の遺産として私たちの脳の中に組み込まれています。進化的には、この既存の情動システムを新皮質が覆う形の構造になり、環境に応じたより複雑な適応行動をとることができるようになりました。この仕組みは、私たちのようなヒトに至り、学習や記憶のメカニズム、そして言語的な認知ラベルと結びつくことで、新しく出会う相手や環境に対しての新しい情動表現、つまり感情を獲得するということにつながりました。 ベンジャミン リベット 私たちが自分の行為を意識する300ms前に脳が準備活動をみせる。
投稿元:
レビューを見る
購入はしていません.
筆者の意欲は分かります.通常の脳科学研究には限界があるからそれを乗り越えようとしているのは分かります.しかしながら,やはり,脳からのデータをどう読むのか,解釈するのか,というところが脳科学の問題だと思います.
例えば,「背外側前頭前野が壊れたり,機能不全になったりすると,社会的機能に影響する」という知見(筆者が限界があると指摘した方法による知見)を使って,立場的に上位のサルの方が下位のサルよりも活動が大であるという結果を得ていますが(p.106-110),これはいったい何を反映しているのでしょうか? 部位が壊れるということは,この部分についての活動はゼロということなので,ゼロに近い「下位のサル」の方が社会的機能が劣っていることになると思うのですが,筆者の解釈では「下位のサルは空気を読めている」ということになっているようです.むむむ.
「ある行動が生じているときは,どこどこの部位が活動している」とかではなく,「どこどこの部位がなぜその行動を引き起こすのに関係してくるのか」という仕組みを明らかにする研究,もっと言うと,「脳のあちこちのニューロンはほぼ同一の動きしかとらないのに,そこから言語とか知覚とか社会性とかがどうして発現するのか」という研究が一向に現れませんが,それこそ「脳からヒトを知る」ことなのではないでしょうか.
脳(サルの脳)がすぐに触ることができるから余計に,現物に束縛された研究しかできないのかもしれません.
投稿元:
レビューを見る
脳科学の新たなブレイクスルーとして主に社会性に注目し、サルを使ったなるべく自由観察に近い脳の分析方法が紹介している。
いくつか面白い観察結果も報告している。身体性認識の問題や、社会性の基本は「抑制」なのではという結論など。
脳の解明に身体性が不可欠知見は結構目にするし、認知科学でモデルとしての社会性を研究は長く行われているが、実際に脳の状態を観察しながらの社会性の研究というのは確かに新しいのかもしれない。しかし、この著者自身認めるところだと思うが、こんなことが新たな試みとしてようやく行われ出したのだから、実質的な脳研究は全然進んでいないんだなということを思い知る。まだまだ、脳の周辺をなで回しているイメージだ。
後半は、著者が思いついた脳に関する様々なトピックスが挙げられていて、興味深くはあるが、直感的に「それはどうかな?」と思う事柄も結構あった。例えば、「こころの理論」に著者はかなり懐疑的なのだけど、なぜ怪しく思うのかあまり説得的には書かれていない。ただ、ここら辺微妙な問題で、扱うものが「脳」だけに、「こころの理論」や「ミラー・ニューロン」のように(脳自身が)直感的に「うん!多分そう!」と判断するトピックは定説になりやすいような気がする。私たち自身の意識やらなにやらは脳のごく一部のしかもかなり独特の修飾をなされた姿を感じているだけに過ぎないから、実は全然勘違い、ということもあり得るのかも知れない。著者のような独特な懐疑論者がしつこく実証的に研究することで、想像とは全然違う脳の新たな地図が将来示されたらそれはそれで素晴らしいなと思う。
投稿元:
レビューを見る
脳科学の行く手にたちはだかる大きな壁-、技術の壁、スケールの壁、こころの壁、社会の壁。これらの壁に対して、最前線の脳科学者たちは、どのように問題を解決しようとしているのか。自由意志や社会的適応、ココロの理論、あるいは脳科学の実験環境や、話題のブレイン-マシン、インターフェイスなどを押さえながら、「脳と社会」の関係性から脳の解明を目指す気鋭の論考。 -20091228
投稿元:
レビューを見る
脳は、他人の脳ともお互いに影響を与え合っている。大きな見かたをすると社会脳となる。その検証や仕組みなど。影響しあっているのは、とても自然なことと感じた。
投稿元:
レビューを見る
脳科学なら誰もが知ってる池谷先生と茂木さんが絶賛するこの本♪
今までの脳科学の歴史や戦法、そして今大きな壁にぶつかっている脳科学の問題点を掲げて、今までのような考え方ではなく、著者は全く新しい発想・着想で脳を理解しようと試みており、その発端が専門とするソーシャル・ブレインである☆今まで読んだ脳の本で、ベスト3に入るくらい興味深い本でした。研究的な内容で臨床にはすぐ活かせることは難しいですが、専門的な用語も少なくすっと頭に入りやすいので、ぜひPT・OTにお薦めしたい本です。
個人的には機器を使用した仮想空間でのリハ、ブレインインターフェイス等が臨床にも登場できる日が来たら、明るいリハビリが待っていると思うし、これからはどんどんそんな他分野を取り入れていかなければいけないとも思う。
投稿元:
レビューを見る
現在の脳科学が当面している「壁」を、どうやって乗り越えていくかという視点で、いくつかの実験的な手法が紹介されている。
筆者の真摯な姿勢が随所に伺える。
仮想空間を利用した脳機能計測の章は、たいへんに刺激的であった。
投稿元:
レビューを見る
現在の脳科学の実験は環境を完全にコントロールし、被験者にタスクを課し、脳機能を把握するというアプローチが主流である。
fMRIなどは頭も動かせないほど動きが制限される。これは脳の血流を測定しているためノイズがのるためであるが、実際の生活を模擬しているとは言いがたい。
しかしながら、我々が日頃感じ、考え行動している「行為」は上記のような実験から明らかにすることはできるのであろうか。
本書の主題はまさにこの部分である。他者との関係性から社会性を獲得し、脳の高次機能が生まれるのに対して、現状の脳科学で明らかにする事実は十分でないし、実際の脳活動を正しく把握できな可能性するある。
ちなみに大学でもfMRIを使っていた筆者にとっては、限られた範囲でしか実験することができないことは学術的および社会への還元という意味では限定的であると日頃から感じていた。他の研究者の意見もほぼ同じであったため、筆者の言わんとすることは別に新鮮でも何でもない。
が、筆者の素晴らしいところは研究のアウトリーチ活動として平易な言葉で筆者の研究を解説しているということと、その卓越した業績であろう。
筆者が開発したデバイスと社会性についての新しい切り口は面白い。
5年後くらいにまた研究結果を出版してほしいと思う。
投稿元:
レビューを見る
P134:4行目・・・人の賢さは目に宿るといいますが、実はそれはサルにも言えること。賢いサルの目は、そうでないサルと比べて違います。
投稿元:
レビューを見る
説明がとても上手です。文章の構成や表現に過不足がなく的確で、読んでいて全くストレスがありませんでした。
研究に対する姿勢や選ぶ言葉などから、冷静かつ謙虚なお人柄なのだろうなという印象を持ちました。
投稿元:
レビューを見る
「こころを科学する」心理学を学んできたけど、脳科学のことも、もっと知りたいと思うようになった。
人は、相手がいないことには自分を認識することもできない。
だから、脳科学もぜひ、人と人の関係性の中で発生する事象をもっと明らかにしていってほしいと思った。
こころの病気も、脳から出る物質によって引き起こされているのだから。
この本の核論ではないけど、「自分が、自分の行動を意識する前に脳がすでに活動を始めている」ということはやっぱりショックだな・・・
投稿元:
レビューを見る
レビューはこちら
http://kadenmirai.blogspot.com/2010_10_01_archive.html
投稿元:
レビューを見る
「脳科学」というジャンルが一般人にもなじみの言葉になって長いが、それ以前から深く研究してきた著者が、「脳」の機能について単体でなく「つながる」ことによってさまざまに機能するのでは、という視点から書かれた本。サルなどを使った実験の他に、例えばトヨタという会社の意思決定の仕組みについては、いかに外から研究しても本当のところはわからない。実際に社員となって内部に入らないとそのメカニズムを理解することはできないのではないかと言及。最終的には、人類が幸福を感じるためには、リスペクトが経済より大切である。リスペクトが循環する社会では、人の関係を安定したものにし、物事の価値が勝ち負けだけではなく社会的評価軸を含んだものへ移行するのではとの提案をしている。リスペクトというものは、人からもらうものではなく、与えてもらうものであり自分が与えるもの。と考えると、自らが人を尊重する気持ちを持つことで人との関係が変わり、世界も変わるのだろう、と思う。
投稿元:
レビューを見る
社会脳ばやりの世の中であるが、切り方、方向性など多彩で、また多くの基礎科学研究者からは、解析に影響する因子が多くてアンタッチャブルな領域という認識があると思う。
でも、脳の研究者はみんな原点としてあるんだと思う。研究を進めるうちに、何にもわかってないんだというところから、研究対象を絞らざるを得ない。
そんな研究の在り方に真っ向から挑む著者は、相当な自信家である。でも、確かに面白い。ECoGとモーションキャプチャーを用いて、「自発的」なサルの脳活動を「広範囲に」とらえる手法は、魅力的で期待できる。
著書の中で述べている藤井先生の持論の中で、「社会脳は抑制をその本質とする」という部分と、「心の理論(Theory of Mind)は
社会性の本質ではない」というくだりが、とても気になった。
筆者の、長年にわたるサルの行動観察から導き出された結論、一方で、若輩ながら障害児にかかわってきた1小児神経科医の観察。
共感する部分は大きい。抑制の利かない点は、社会性障害の本質である。この点は、まさにその通りである。しかし、心の理論は、筆者の述べるように「他者の立場に立つ」ことではないと私は思う。発達心理学的観点からは、theory of mindには、一種の自発性
が含まれており、1歳児がtheory of mindの課題をビデオで提示された際に、乳児の視点が誤信念課題をクリアすることは最近知られることである。
私の考えはこうである。
「社会的抑制」なき「心の理論」はない。行動抑制できないヒトは、誤信念を理解しない。ここでいう「理解」は多分に学習ではない無意識的な過程を含む。
サルの例を見るまでもなく、社会的抑制は、「余裕」を生み、自と他、三項関係など「まなざし」を生む。これぞまさに、「社会性は余裕のあるところに生まれる」と述べる筆者の意見に合致すると思う。
日本人がモラルを守り抑制性の高い民族であるという事実は、高度に社会的な国民性であると思う反面、便利が生み出した「抑制しないでも済む社会」のもたらす社会的弊害を思わずにはおれない。