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商品説明
戦争体験者から見た震災、過酷な運命の変化に備えるということ、安全を妨げる「絶対安全」という暴論…。東日本大震災のもたらした未曾有の国難に直面し、いま、何を考えどう行動すべきかと模索する日本人に捧ぐ緊急提言。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
曽野 綾子
- 略歴
- 〈曽野綾子〉1931年東京生まれ。聖心女子大学卒。NGO活動「海外邦人宣教者活動援助講演会」などを通した社会活動でも注目を浴びる。著書に「極北の光」「哀歌」「二月三十日」など。
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紙の本
80歳が握ってよこす炊き出しのおにぎりの味わい。
2012/03/06 10:13
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名の脇に小さく「東日本大震災の個人的記録」とあります。
連載の雑誌などで、ちょこちょこ読んでいたはずなのですが、
読後感は、その印象とは違って、一冊の充実感が伝わります。
読んでよかった。
たとえてみれば、3・11という梅干をまんなかに、
非常時のおにぎりを、パッパッと握ったような、
そんな一冊(妙なたとえご勘弁ください)。
はじまりには、こうありました。
「幸か不幸か地震と共に私は、たくさんの原稿を書くことになった。私はいつも周囲の状況が悪くなった時に思い出される人間なのではないか、と思う時がある。」(p27)
非常時の「炊き出し」ならぬ「書き出し」の要請に、機敏に対応する80歳が、ここにいました。
そういえば、釜石の防災教育で知られるようになった片田敏孝氏のことが新聞に載っておりました(産経新聞3月3日の3面にコメント)。
「教育委員会には防災教育の普及をお願いしてきたが、『余計な仕事を持ってくる』と嫌がられ、われわれにとって『敵』だった。だが震災以降、全国の教育委員会から『釜石の防災教育を教えてほしい』と依頼が来るようになった。受験戦争や国際化への対応など教育現場は大変だが、それは生き残ってからの話だということに気づいてくれたのだと思う。・・・」
片田氏とともに、想定外になると、発言を求められる曽野氏であります。
この本にはこうもあります。
「途上国の医療機関は、元々電気がないか、あっても充分ではないかなのだが、電気が切れた瞬間からすべての法規や組織は一時的に壊滅して、超法規になる。そして前に書いたように、各人が職種を超えて、臨機応変の行動をとる他はない。その時に初めてその人がそれまでの人生で得た知識、体力、資質、訓練、心構え、判断力、あるいは信仰などが、力となって生きてくるのである。」(p189)
曽野綾子さんの「それまで人生で得た」さまざまな考察が、ここにさりげなくも握りこまれている。そのような味わいの一冊となっております。
ここでは、年齢に関する語りを、すこし引用。
「今度初めて七十歳以下の人々は、3月11日以前の日本社会が崩壊したのを見た。彼らはそのような日本の姿が崩壊する日があろうかとは思わなかったようだった。そして未だにこの現実をどう受け入れていいのかわからないで落ち込んでいる。日本の繁栄に関する彼らの揺るぎない信頼がこれほどに厚いものだと知った私の方が、逆に驚いたのであった。」(p71)
そういえば、菅直人さんは、首相の時の国会中継で反駁する際に、「私は60歳をすぎて、それなりに分別や経験を積んでいるのですから」というような言葉を持ち出していたことを思い出します。
「・・・・『安心して暮らせる生活』と『もうダムはいらない』『コンクリートから人へ』の三つの言葉が、これほどにも早く間違いであることが証明されるとは、私も思ってもいなかった。私が日本を『夢のお国』と言うと、たいていの若い世代は本気にしなかった。」(p70)
「敗戦時に、今と違って地域的な被害ではなく、国民のすべてが多かれ少なかれ家や財産を失っているのを若い人たちは知らない。何しろ健康保険も、生活保護も、避難所も、仮設住宅も、ボランティアの支援もなかった時代に、今の八十代九十代の人々は住む家も焼け、衣服も食料も日本中になくなった中で生きなければならなかったのだ。救いなどどこからも来るわけがなく、それがいつまで続くかもしれなかったのである。」(p235)
さて、この炊き出しのおにぎりのような、非常時の臨機応変の一冊。その味わいの有無を、どうぞ、お確かめください。と、ぜひとも薦めたくなる一冊。まあ、それはそれとして、私もまた、この味わいが何であるのか、あらためて、読み返してみます。
紙の本
誰にも答えの出ないことを、誰かに問うてはいけない
2012/01/11 08:11
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨年(2011年)の夏開催された東京国際ブックフェアの「読書推進セミナー」という講演で曽野綾子さんの講演を聴きました。足を少し不自由にされていてと話されていましたが、背筋はまっすぐ老齢を感じさせないパワーを感じました。
また、その話しぶりも、歯に衣も着せぬというのでしょうか、ズバズバと話されて、これは高齢者の力なのか女性の力なのか、と圧倒されましたが、あれこそはまさに「ソノアヤコ力」ともいえる個性だと思います。
本書は曽野綾子さんが東日本大震災で感じた感想なり批判なりを「個人的記録」としてまとめた一冊ですが、「私の性格はかなり偏っているだろうが、そのような一人の個人が見たことを記録するのが、しかし作家の任務」とここでも「ソノアヤコ力全開」の内容となっています。
被災者あるいはその関係者の皆さんにとっては少し嫌な思いをする表現もないわけではありませんが、この国の指導者たちのどこかにごまかしがあるようなものより、曽野さんの諸々の発言の方がうんと説得力あるように感じます。
曖昧なままの発言ではYESもNOも何の意味も持ちません。曽野さんの発言を受け入れないのであればそれにNOすればいいのです。そのNOこそ、読者の姿勢になります。YESも、また。
今回の大震災は「想定外」な災害であったとしばしば言われます。
しかし、曽野さんは「人生には常に想定外のことがあるものだ」と思っています。だから、どんなことをも受け入れる力があるのだといえます。
「想定外」という態のいい言葉があるばかりに、私たちはついその言葉を使ってしまいます。曽野さんが言われるように「想定外」は常にあるものとするだけで、心構えもちがってきます。
原発問題もそうです。いったい誰が決めた「想定内」か、想定の基準を決めることで間違った安心をしてしまったのは事実でしょう。
東日本大震災は悲しい事実です。その事実は消せません。
本書の中には曽野さんの「個人的記録」を通じていくつもの次の備えのための発言がたくさん書かれています。次に大地震が起こらないとは誰がいえるでしょう。その時、私たちはどのように対処すべきか。
まさしく「個人的」な対応が問われることになります。