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学問というものを生き方と重ね合わせることができる幸せ。
悉く苦しめられた郡代の末期をさえ悼む心境に驚嘆する。
やまない雨はない、と思いたい。
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江戸後期の日田の儒学者・教育者で清冽な生き方を貫いた「広瀬淡窓(たんそう)」を主人公にした小説。
「霖雨(りんう)」とは長雨のこと。「どんなに降り続く雨も、いつかは上がる」
「人を潤す慈雨となる生き方をしなければならぬ」と語る淡窓。
葉室麟らしい坦々とした清冽な作品。うける売れるものではなく、描きたいものを描く小説、ある意味”マニア向け”。
権力の理不尽に耐え、決して諦めない清冽な生き方を『雨』に例え、全編『雨』で表現する。「底霧:すべて白濁の中」「雨が蕭々と降る」「銀の雨:針のような銀色の雨」「小夜時雨:雪まじりの時雨」「春驟雨:驟雨が間断なく通り過ぎ」「朝霧:一面霧に覆われ白く霞んでところどころ樹影が黒く滲んで浮かび上がる」そして、「雨、上がる」「天泣:晴れた日の雨(狐の嫁入り)」
派手なシーンはほとんど無く、坦々と話が進んでいく。過激な「動の大塩平八郎」と対照的に「静の淡窓」を対比し、漢詩や詩を交えて映像化する。改めて葉室麟の素養と実力を感じる。
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咸宜園、広瀬淡窓の生き様を淡々と語りながら、人への想いや教育への志が熱く伝わる。人を殺すのは何があっても許されない、人を生かさなければならないという信念は、静かに心に染みた。
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広瀬淡窓(全然知らない人でした)の生涯を描いた作品。取っつきは今ひとつでしたが、ジリジリと面白くなってきます。ただ、主人公は学者で、武士などと比べるとやや地味(ごめんなさい)なせいか、今ひとつ盛り上がりに欠けるような気がします。
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大分県日田市が物語の舞台である。詩人、学者で私塾・咸宜園を主宰する広瀬淡窓は、からだが弱いため学者の道を選んだ。保身のために咸宜園を利用しようと目論む代官は、家臣として召抱えたいと云ってきたが断る淡窓。
一方、家業の博多屋を継いだ弟・久兵衛は代官所御用達の干拓工事を請け負い、農民たちから暴政であると訴えられ、代官が罷免。久兵衛を恨む農民たち。
亡き妹に似た女性と弟との二人連れの入門者が淡窓の前に現れる。そして彼は騒動を起こし姿をくらましてしまう。大塩平八郎の乱という歴史的史実を絡ませて物語は展開する・・・。
男と女の修羅場も読みどころだし、物語の終盤、一度裏切った人物である門人に対し師として何も繕わずありのままの姿で受け入れる淡窓の心の広さが胸に沁みる。ちなみに「霖雨」とは幾日も降り続く雨。長雨という意味である。けれど止まない雨はないというようなセリフが散らばめられている!とてもとても静謐な余韻が残る読後感。
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月刊文庫「文蔵」の連載に加筆修正し単行本化したもの。
豊後日田に広瀬淡窓が開いた儒学と詩作の私塾「咸宜園」が舞台。
天領であるため、咸宜園の高名を自分の手柄としたい西国郡代(代官)の執拗な塾運営への介入に苦しみながら、淡窓は実家の御用達商博多屋が代官の擁護によって繁盛しているためにそれを排除できない。
代官の圧力で辞めさせた門人が、大塩平八郎が主催する大坂の私塾洗心洞に学んで乱に参加し、日田に逃れて来たため咸宜園は窮地に陥るが、淡窓は覚悟を決めて代官所に伴おうとするのだが。
九州に足場を置く著者が温めてきた題材なのだろうが、淡窓の人物像に今ひとつ共感できないのが残念。
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広瀬淡窓という人は教科書に出てくるらしいが
おそらくスルーした人物である。
九州の知人によると授業で名前が出ると時間が割かれたという。
ご家族には「広瀬淡窓を知らないのか」と呆れられた。
天に抗うことなく、信念を秘めながら雨がやむのを待つ人である。
ひたすらに耐えるためか、地味な印象。
千世のことはもっとなんとかできなかったのか・・・
淡窓のよさはやっぱりよくわからない。
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2012/10/10-10/14 ⓪生きているって苦しくて楽しい ①「鋭きも鈍きも共に捨て難し。錐と鎚とに使い分けなば」広瀬淡窓のことば。人物を批評するのは、小さい小さい。 ②咸宜園由来「詩経 玄鳥篇」ひとの善悪好悪を言わず、「ことごとくよろし」 ③「人を教える」とは、「様々に欠けたところがあるのを埋めるように、目指すものに向かって努力怠りなく続けることができて、はじめてひとは真価を発揮できる。」その努力を粘り強く見守ること。
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面白かった。決して先がどうなるかとワクワクして読み進めるような作品ではないけれど、残り数ページとなってさて結末はどうなるか、一気に読み切ってしまった。そして最後辿り着いてそこには爽やかなというか題名のような長雨がやっと上がってそこに晴れ間が覗いたかのようなそんな読後感。作品中の政治というか世の中のあり方について語られる言葉には現在の政治家にも聞かせたいようなそんな言葉が盛りだくさん。葉室麟作品、藤沢周平作品に似ているようで決して似ていない。他の作品も是非読みたくなってきた。
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江戸後期の儒家の広瀬淡窓とその弟の久兵衛の天保年間の物語。
史実部分だけでも面白い解釈と思いますが、架空の登場人物(臼井佳一郎と千世)によって「大塩平八郎の乱」と絡ませることで淡窓の思想を浮き彫りにしたのは見事です。
ただ、架空の登場人物に関しては何らかの決着をつけておかないと消化不良気味になってしまいます。
つまり、その後の淡窓と久兵衛は佳一郎や千世と全く関わらなかったのか否かということが気になったということです。
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久兵衛の生き方がすごいなあ。淡窓も弟に触発されて生き方が変わっていく。人生は、しとしととふる雨の中を歩きつづけるものだと考えてひたすらあきらめずにたんたんと歩き続ける。すごいけど、私は晴れの中を歩いていたいよ。ずっと雨の中は勘弁願いたい。
千世と佳一郎は、日田から立ち去るしかなかったねえ。千世は、義弟と
日田へ来たことが間違いのもとです。そりゃあ勘違いされてもしかたないでしょう。
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小説は映画と違って頭の中で映像化しなければいけませんが、その作業は人それぞれで自由だと思います。作者の表現と自らの想像力が噛み合ったときには自分だけの映像が現れ、それは自分だけのものとなる感覚になります。
僕の中では小説は単なる娯楽という位置づけですが、時に娯楽を超えて、主人公の生き様から喜怒哀楽が強烈に僕の胸に突き刺さることがあります。
淡窓を中心に久兵衛、千世、佳一郎は勿論のこと、塩谷郡代や茂知蔵ですら入り込むことができ、それぞれの立場での苦悩や葛藤を感じることができました。
あまり注目されていないものからこのような小説を見つけたときには大変嬉しいです。
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2013.6.25読了。図書館。日田の儒学者とその弟、その家族、思いを人情味溢れる構成で書き綴られた小説。少し、暗かったかな?
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天領である豊後日田(大分県日田市)で、私塾・咸宜園を主宰する広瀬淡窓(儒学者・詩人)と家業を継いだ弟・久兵衛の物語。入門にあたり年齢・学歴・身分を問わない淡窓の教育方針は当時としては画期的。全国から入門希望者が集まったが、お上にとっては危険な存在で、西国郡代からのいやがらせが続く。一方、掛屋を営む弟の久兵衛も、公共工事を請け負わされ、民の反発をかって苦境に陥っていた。
そんな折、大塩平八郎の乱に加わった元塾生が淡窓のもとに逃げてくる。お上に叛旗を翻した乱に加わった弟子に対し、淡窓はどんな決断を下すのか。また久兵衛は難局を乗り切ることができるのか。
手を携えて困難に立ち向かいながらも清冽な生き方を貫こうとする広瀬兄弟の姿を通し、「長い雨が降り続いて心が折れそうになっても決して諦めてはいけない」というメッセージが切々と胸に迫る。。。。
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私塾・咸宜園を主宰する広瀬淡窓の学問することと、生きる社会の中で周りと関わる事の難しさと楽しさがしみじみと感じられる。