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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2011.10
- 出版社: 白水社
- サイズ:20cm/461,53p 図版16p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-560-08165-5
- 国内送料無料
紙の本
ハドリアヌス ローマの栄光と衰退
「ローマ五賢帝」のひとりで、帝国に繁栄と安定をもたらしながら、同時代の厳しい批判も浴びた皇帝ハドリアヌス。優れた軍人かつ芸術家肌であった彼の生涯を時代背景ごとに描き出す。...
ハドリアヌス ローマの栄光と衰退
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商品説明
「ローマ五賢帝」のひとりで、帝国に繁栄と安定をもたらしながら、同時代の厳しい批判も浴びた皇帝ハドリアヌス。優れた軍人かつ芸術家肌であった彼の生涯を時代背景ごとに描き出す。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
アントニー・エヴァリット
- 略歴
- 〈アントニー・エヴァリット〉1940年生まれ。ケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジ卒業。アーツカウンシルに長年勤務し、事務局長を歴任した後、ジャーナリストに。著書に「キケロ」など。
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紙の本
魅力あふれる、人間臭い1人の皇帝
2020/08/06 08:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:司馬青史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
彼は人間性に大いに問題ありな人物だった。
自己中心的で、自己顕示欲が強く、良くも悪くも極端な所があった。
非常に有能だが、自信家で、良くも悪くも人には厳格だった。
しかし、彼は賢帝であり、人々に平和と幸福を齎した善良な皇帝だった。
ローマ帝国皇帝・ハドリアヌス
彼の人間性には、確かに問題があった。
しかし、あの時代のローマ帝国には、彼のような皇帝こそが必要だった。
もし、ハドリアヌス帝がいなければ、ローマ帝国の未来は危うかった。少なくとも、五賢帝時代の繁栄と平和、幸福は、あれほど続かなかっただろう。
彼は人間性に大いに問題ありな人物だった。
だが、彼にはそれを上回る魅力があった。否、それらすらも、魅力の一つだった。
彼は皇帝ではあったが、聖人でも完璧な超人でもなかった。
彼は皇帝ではあっても、どこまでも人間らしかった。
ローマ帝国皇帝・ハドリアヌス
この本は、そんなどこまでも人間らしく、理想と信念を追い求めた、1人の皇帝の魅力を余す事なく描いている。
そんな素晴らしい1冊である。
紙の本
趣味と仕事に生きた皇帝
2024/01/06 20:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:DB - この投稿者のレビュー一覧を見る
ハドリアヌスは古代ローマ最高のリーダーだ。
優秀な行政官であると同時に百戦錬磨の軍人でもあったハドリアヌスには、拡大を続けていたローマ帝国の領土の拡張をやめ長壁を築いて目に見える形に遺した。
そして文化と軍事、芸術と武力が台頭に共存する国家としてローマ帝国をつくり変えていった。
ハドリアヌスが属するアエリウス氏はスペインのアンダルシアにあるバエティカ属州の有力氏族で、イタリカの有力氏族でありトラヤヌス帝を輩出したウルピウス氏と懇意だった。
そのため十歳の時に父親を亡くしたハドリアヌスの後見人になったのが、当時執政官の地位を狙っていた軍人で後に皇帝となるトラヤヌスだ。
ティトゥスとドミティアヌスに重用されたトラヤヌスは、暴君ドミティアヌスの暗殺で皇帝に選ばれたネルウァ帝から養子に指名される。
これもトラヤヌスがスラを使って裏で手をまわした結果だったようですが、この時ハドリアヌスは二十一歳、人生のターニングポイントを十分に理解できる年齢だ。
ハドリアヌスの成長と軍歴を詳しく見ていく中で、二世紀のローマの教育や社会も知ることができた。
ハドリアヌスは皇妃プロティナの勧めでウルピウス氏の女性であるサビナと結婚したが、サビナの母親マティディアをハドリアヌスは心から慕っていたという。
プロティナといいマティディアといい、年上の女性に愛されるような男だったのか。
トラヤヌス帝のもとでハドリアヌスは財務官や護民官、法務官といった仕事をしながら詩作や文学に没頭していたようです。
ダキア戦争での勝利に貢献したハドリアヌスはトラヤヌスからダイアモンドの指輪を贈られたが、これはトラヤヌスがネルウァから贈られた曰くのある指輪だったとか。
トラヤヌスのもとでハドリアヌスはパルティア戦争には将軍として参加し成功をおさめたが、トラヤヌスの領土拡大政策の結果起きたアルメニア、メソポタミア、バビロニアの混乱を目にしたことが、ハドリアヌスが皇帝になって領土拡張を中止し内部の充実にあてる決意をさせたのかもしれない。
トラヤヌスが病死しハドリアヌスがその死の間際に養子に指名されたと公表されたのが四十一歳の時だ。
ドナウ川での騒乱鎮圧を引き継いで対処していた時、ローマでは四人の元老院議員が処刑されるという大事件が起こっていた。
ローマにもどったハドリアヌスは元老院の懐柔や税の免除と剣闘士試合の開催による民衆への人気取り政策を成功させ、内政が安定したタイミングを見計らって旅に出た。
『ヒストリア・アウグスタ』からの話が多いが、ローマを重要視していることを示すために神殿の建設と祝祭日を新たに作ると、まずはゲルマン前線へ向かいます。
兵士たちと同じものを食べて同じ訓練をこなしながら軍規を引き締め軍の能力を向上させた。
ハドリアヌスの長壁を作らせたり、狩猟を楽しんだり、パルティア問題に取り組んだり、建築や経済開発を推し進めたりと旅先でも忙しい。
屈折した性格だと言われることが多いハドリアヌスだが、キリスト教徒への判断は穏健だったし、自分の犬や馬を愛していて死ぬと必ず墓を建てるような一面もある。
美青年アンティノウスとの関係については、当時のローマの男色についての詳しい解説と共に一章を割いて語られています。
公私ともに充実した日々ですが、やはり老いの影には逆らえない。
晩年の後継者選びにまつわる騒動もあるが、ハドリアヌスは受け継いだローマをより強固に美しいものとして残した。
ローマを訪れる機会があったら、アエリウス橋とカステロサンタンジェロ、それにパンテオンでこの個性豊かな皇帝を偲びたい。