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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.5 3件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2008/01/01
  • 出版社: 筑摩書房
  • サイズ:22cm/278p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-480-86380-5
  • 国内送料無料

紙の本

政治の約束

著者 ハンナ・アレント (著),ジェローム・コーン (編),高橋 勇夫 (訳)

ソクラテスからマルクスにいたるまでの政治思想の変遷を検証。絶滅戦争がリアルな可能性の問題となり始めた1950年代の時代情況を背景に、政治の意味を論じる。「全体主義の起原」...

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政治の約束

税込 3,300 30pt

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商品説明

ソクラテスからマルクスにいたるまでの政治思想の変遷を検証。絶滅戦争がリアルな可能性の問題となり始めた1950年代の時代情況を背景に、政治の意味を論じる。「全体主義の起原」以降の思索の全軌跡。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

ハンナ・アレント

略歴
〈ハンナ・アレント〉1906〜75年。ドイツのユダヤ人家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガー、ハイデルベルク大学でヤスパースに哲学を学ぶ。ナチスから逃れアメリカ等へ亡命。著書に「人間の条件」等。

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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.5

評価内訳

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紙の本

「達意」の翻訳だが・・・

2010/08/22 05:56

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:丸山眞男 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「さて訳出作業は、正直、苦労した。ハンナ・アレント政治哲学の難解さについては今さら言うまでもないが、文章そのものの晦渋さも並大抵ではなかった。たぶん彼女は思考することが主目的のような書き方をするから、いきおい多層的というか累乗的というか、ときとして蜿蜒たる文章になってしまうのだと思う。しかし不思議なことに、内容への理解が深まってくると、難解きわまりないはずだったアレントの文章は、嘘みたいに腑に落ちて来始める。だから本質的には論理的なリズムを持った文章なのだと思う。ぜひ再読、三読願いたい」(「訳者解説」)

高橋勇夫氏は1953年生まれの「英文学者」(東京大学文学部英文学科卒業)である。わたしなどよりはるかに「英語」ができる(はずだ)し、日本語も非常にうまい。しかし、「嘘みたいに腑に落ち」たという彼の翻訳は、問題だらけである。その原因は、一言でいえば、内容(文脈)が理解できていないのを「勝手読み(主観的解釈)」と「翻訳日本語のうまさ」で強引に補っている(加えて、ドイツ語の一次資料にあたる労を省いている。ドイツ語からの翻訳[佐藤和夫訳『政治とは何か』岩波書店、2004年]を参照しているかどうかも大いに怪しい)。

高橋訳1(128-129頁)
いまだかつて地球的規模で起きたことはないが、人々が活動者として排除された歴史的事例はふんだんに存在するのだ――一人の人間の意志が無制限の自由を与えられる古めかしい専制体とおぼしき統治形態であれ、あるいは非人格的な高次の「歴史的諸力」とかプロセスと称せられるものが解き放たれて人類は自らの勤め(サービス)の奴隷になるような、より近代化された全体主義的統治形態であれ、こうした統治形態の本質――深い意味では紛れもなく非・政治的なものなのだが――は、それ自身が生み出し、それ自身の指標ともなる力学のうちに明瞭に見て取れる。その力学の中では、つい昨日には「偉大」と見なされていたすべての人や物が、今日には忘れ去られかねないし、もし運動がそのままの勢いを保ち続けるならば、間違いなく忘れ去られてしまうだろう。それでもそうした忘却はほとんど何の慰めにもなりえないのである。なぜなら、一方では、同様の無力さが大衆民主主義の市民たちの間にいわば自然発生的に、しかも脅迫手段を用いることなく、蔓延し始めており、他方では、同様の、無際限に続く消費と忘却のプロセスが定着し始めており、たとえそれらの現象は、自由で非脅迫的な世界においてはまだ狭義の経済・政治の領域に限られているとしても、私たちの不安は払拭されないからである。

コメントと分析
「それでもそうした忘却はほとんど何の慰めにもなりえないのである」以下が意味不明である。指示語と構文の完全な取違いがある。similarの「比較の対象」が曖昧、というか、全くわかっていない。

試訳(ぎこちない日本語だが、英語の構文がわかるように訳してある。括弧内は注釈)
たとえもし、自由でテロ(恐怖)のない世界(「自由民主主義」と呼ばれている非専制・非全体主義社会の中)で、以下に示す諸現象がいぜんとして言葉の狭い意味での経済や政治の領域に限られているとしても、そのことはほとんど慰めの原因とはなりえないだろう――私たちが指摘(注目、留意)せざるを得ない以下のような懸念のまっただ中では。すなわちその懸念(=諸現象)とは、一方では大衆民主主義の一般民衆のなかに、(専制・全体主義社会と)同様の無力感がいわば自然発生的に広がっており、しかも一切のテロを用いることなくそれが広がっている。他方では、(高度消費社会の中で)消費と忘却という、(専制・全体主義社会と)同様の永遠に自己永続的なプロセスが根を張りつつあるという懸念である。

上の文章は、アーレントが「砂漠」と呼んだ現象が(「砂嵐」たる全体主義運動のみならず)自由民主主義システムをも浸食しつつあることを鋭く指摘した部分である。だからこの誤読は致命的だ。


高橋訳2(221-222頁)
絶滅戦争において破壊されるのは、敗北した敵側の世界をはるかに越えるものだ・・・。つまりそれは、何を措いても、中間地帯、すなわち紛争当事国やそれらの国民同士の間に横たわる空間のことであり、全体としてみれば、地上の世界を形成する領域のことなのである。以前私たちは、人間の手によって破壊されたものは人間の手によって再び制作されうると指摘したことがあるが、それはこの中間の世界――制作ではなく、人間の活動によって創造される世界――には当てはまらない。なぜなら活動――人間の本質的な政治的活動力――から生起する関係性の世界は、建築業者や加工業者が唯一の主人であり支配者であり続ける製造された事物の世界に比べれば、それを破壊するのははるかに困難だからだ。しかしひとたびこの関係性の世界が破壊されたなら、政治的活動――その過程を覆すのはきわめて困難なことなのだが――の諸法は砂漠の法に取って代わられて、そこは人間と人間の間の荒野と化し、壊滅的過程(devastating processes)が解き放たれることになる。その破壊の過程には、関係性を構築する自由な人間的諸活動に固有の「節度の欠如」が、同じように内在しているのである。

コメント
「なぜなら・・・それを破壊するのははるかに困難だからだ」は理由になっていない。Forで理由を書こうとしたが、まず譲歩してしまった。理由の中心はBut以下にあると考えるべきだろう。the same以下の解釈も完全に間違っている。高橋訳を活かして最低限の修正を加えると、

・・・以前私たちは、人間の手によって破壊されたものは人間の手によって再び制作されうると指摘したことがあるが、それはこの中間の世界――制作ではなく、人間の活動によって創造される世界――には当てはまらない。なぜなら、たしかに活動――人間の本質的な政治的営為――から生起する関係性の世界は、建築業者や加工業者が唯一の主人であり支配者であり続ける製造された事物の世界に比べれば、それを破壊するのははるかに困難だが、しかしひとたびこの関係性の世界が破壊されたなら、政治的活動――その過程を覆すのはきわめて困難なことなのだが――の諸法は砂漠の法に取って代わられて、そこは人間と人間の間の荒野と化し、壊滅的過程が解き放たれることになるからだ。その破壊の過程は、関係性を構築する自由な人間的諸活動に固有な「節度」の、(何と?)同じような欠如を(人々の内部に?)生む(bear)のである。

まとめ
要するにアーレントがここで批判的に分析しているのは、全体主義社会そのものというよりはむしろ、自由民主主義システムにも内在する「全体主義」の根源――近代の極北たる「大衆社会状況」「高度消費社会」における、アーレント的な意味での政治=公共性=自由の喪失と解体、だったのである。この最重要ポイントを高橋氏は押さえ切れていない。

教訓
翻訳書――特にすらすら読める達意の翻訳書は、眉に唾を付けて読め。

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2008/05/07 22:05

投稿元:ブクログ

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2017/09/20 20:58

投稿元:ブクログ

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