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紙の本
目と耳と足を鍛える技術 初心者からプロまで役立つノンフィクション入門 (ちくまプリマー新書)
著者 佐野 眞一 (著)
テーマの見つけ方から、取材、構成、執筆まで、著者の作品を題材に解説するノンフィクション入門。社会と人間を見る目を養い、歴史観と問題意識を身につける方法を伝授する。『西日本...
目と耳と足を鍛える技術 初心者からプロまで役立つノンフィクション入門 (ちくまプリマー新書)
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商品説明
テーマの見つけ方から、取材、構成、執筆まで、著者の作品を題材に解説するノンフィクション入門。社会と人間を見る目を養い、歴史観と問題意識を身につける方法を伝授する。『西日本新聞』連載にブックガイドを付して書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- はじめに
- 1 「目」のつけどころ
- 『遠い「山びこ」』/綴り方の傑作/取材は狩猟/“引き”の強さ/庶民の戦後史
- 2 「足」に刻みつける
- 大文字と小文字/語って説かず/金や銀よりええなあ/説得力と破壊力/中内ダイエー/未知の情報/体験取材の強み/店内巡回の衝撃
- 3 「耳」をとぎすます
- 肉声を再現する/精神の傷痍軍人/豆腐の値段/歴史意識/国家を人質に/凄絶な末路/目と足と耳でとらえた北京オリンピック
- 4 人物を見、社会を聞き、時代を歩く
- 『巨怪伝』/天覧試合/リビドー/「日本人だ」/評伝とタイトル/背中を書く
- 5 発想をかえる
著者紹介
佐野 眞一
- 略歴
- 〈佐野眞一〉1947年東京生まれ。早稲田大学卒業。ノンフィクション作家。「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。ほかの著書に「枢密院議長の日記」「甘粕正彦乱心の曠野」など。
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紙の本
がんばれ、ノンフィクション
2008/12/07 19:48
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、私の感度が鈍ったのか、出版界の潮流が変わったのか、ノンフィクションは元気がない。
最近の大宅賞の受賞作名をみても、どうもぴんとこないのである。
かつて、児玉隆也、柳田邦男、立花隆、沢木耕太郎、上前淳一郎、伊佐千尋、近藤紘一、山際淳一、そして佐野眞一…綺羅星のような書き手がいて、あれほどきらめくような作品がそろっていたノンフィクションなのに、である。
ただ残念なのは、こうして名前を並べてみて、今は彼岸の人が何人もいることだ。
それほどまでにノンフィクションの書き手は過酷な作業を余儀なくされているようで、痛ましい。
本書の中で佐野が書いているような「脳みそに汗をかき」、目と耳と足をフル活動させなければ良質な作品が書けないとすれば、それもまた痛ましい作業であるといえる。
本書は実作者佐野眞一によるノンフィクションを書く技術論であるが、それは同時にノンフィクションとは何かということの考察でもある。
佐野は冒頭こう書いている。「すべて事実をもって語らしめる文芸というのが、私のノンフィクションの解釈である」(3頁)。
ここで佐野が「文芸」という単語を使っているのが興味深い。
例えば、本書で佐野は自身の作品『巨怪伝』の書き出しの場面に言及しているが、正力松太郎の評伝である作品で長嶋茂雄のあの「天覧試合」を描いた、そのことが「文芸」たる所以だと思う。
そこに嘘はない。嘘はないが、それをどう書くか、どこで描くかで、作品の深みが違うものになる。
ノンフィクションに嘘は描けない。
そして、事実と事実をつなげるものは書き手の想像力でなければならない。
ノンフィクションで許されるのはそのことだけだろう。
佐野がいう「ノンフィクションとは、固有名詞と動詞の文芸である」(126頁)は、極めて単純化されているが、この文芸の本質をよくついている。
しかし、ある意味、佐野が書く、そういうノンフィクションの書き方はすでに方法論として成熟している。
では何故、現在ノンフィクションに元気がないのか。
それは書き手のこだわりの希薄に起因していないだろうか。
塊のようなこだわりを持った書き手が少なくなっているような気がする。初期の柳田邦男は航空事故に発して人間の意識の有り様にこだわった。沢木耕太郎は「敗れざる者たち」に代表される未完の思いを何度も描いた。そして、佐野眞一は戦後という時代を自分に問うように書き続けた。
ノンフィクションが輝いていた時代は書き手たちがこだわりをもっていた時代であった。
そういう数多くの書き手が競うことでより良質な作品群を生み出し続けたのではないか。私はそう考えている。
本書を読んで新しい書き手が誕生することを期待する。
そして、それはノンフィクションだけでなく、フィクションも含めた、大きな「文芸」の世界の復興につながるはずである。
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