紙の本
気に入ってます
2019/03/01 13:58
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投稿者:チョコ74 - この投稿者のレビュー一覧を見る
猫が好きで猫に関する招請を探してました。猫好きの作家にとっても共感できます
紙の本
色んな時代のネコ(^_^)
2019/11/08 09:57
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投稿者:あっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
どちらかと言えば「昭和のネコ」が多いかも、です。いつの時代もネコには胸キュン!!ですが、当時ならではの少し残酷な表現もあったりする。個人的には大佛次郎さんのエッセイが好き(^_^)旧仮名遣いが多いのと難しい漢字が出てくるので漢和辞典は必須。
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作家は視線、つまり観察眼と、それを表現するわざを併せ持っているから、なにを書くにも注目されるところがある。絶対数がそもそも多いのだから(むろん全人類に比べればずっと少ないが)、猫好きとすぐイコールで結びつけられると、ちょっと「ん?」と思わないでもない。
けれど猫はかわいい。気品もある。『けもの』なのだ。人間世界に必ずしもとらわれない、つかみどころのない様子がとてもいい。人間の『下』にいない、人間常識が通じないところなどは、真実とても好ましい。
このアンソロジーに編まれた作品たちは、おおかたが、そういった『猫への愛』を前提に置いて綴られている……ように思える。猫を振り回し、猫に振り回されながら、そんな気ままな猫たちに親しんでいる。どこかしみじみしているようにも感じられる。
ひとびとの『生活』があって、そこに猫が自然に居る。それが私などにはとても嬉しい。野溝七生子さんのエッセイが特に好き。
2017.7.18.
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‹内容紹介より›
大佛次郎、寺田虎彦、太宰治、鴨井羊子、向田邦子、村上春樹…いつの時代も、日本の作家たちはみんな猫が大好きだった。そして、猫から大いにインスぴレーションを得ていた。歌舞伎座に住みついた猫、風呂敷に包まれて川に流される猫、陽だまりの中で背中を丸めて眠りこんでいる猫、飼い主の足もとに顔を擦り付ける猫、昨日も今日もノラちゃんとのデートに余念のない猫などなど、ページを開くとそこには様々な猫たちの大行進。猫のきまぐれにいつも振り回されている、猫好きにささげる47編‼
ーーー
猫についての小説、エッセイ、詩などが47編集められています。
大佛次郎や太宰、上林暁、内田百閒など読んでいて面白く感じたものもあれば、詩や村上春樹など個人的に苦手なジャンルのものもあり。
総じて猫についての文学なので、猫好きの私としては楽しんで読むことができました。
‹目次›
のら猫・外猫・飼い猫
仔猫がふえる!
猫も夢を見る
猫には何軒の家がある?
そんなにネズミが食べたいか
パリの猫、アテネの猫
「仔猫がふえる」と「猫には何軒の家がある?」に収められている各作品はなかでも面白く読めました。
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z・私は犬好きでもなければ猫好きでもない。どちらも好きでもなければ嫌ひでもない。要するにペットを飼つたことがないだけである。どうでも良いのである。庭に糞でもされれば犯人ならぬ犯猫捜しをするし、やかましくほえれば嫌な犬だと思ふ。その程度である。それでも和田博文編「猫の文学館」1、2(ちくま文庫)を 読まうと思つたのは単なる好奇心に過ぎない。犬の文学館でも良いのだが、売つてゐたのが猫だつた、それだけのこと、本当に猫に対する好意の類などはどこに もないのであつた。で、おもしろかつたかときかれれば、2の方がおもしろかつたといふぐらゐのもので、猫好きであらう編者に叱られさうである。
・最初に大佛次郎の短いエッセイが何本か載る。この人相当の猫好きである。知らなかつた。さういふ読み方のできる人と作品なのかどうか。だとするとおもし ろいのだが、そこまで作品に猫好きを反映させる作家もゐないであらうと思ふ。この大佛次郎、「猫が十五匹以上になったら、おれはこの家を猫にゆずって、別 居する」(1、13頁)と家人を「脅迫」して「猫の人口(?)制限出来た。」といふ。それも「住込み」だけである。「通い」を入れると15匹を超えたこと もあるらしい。それにしても猫好きは多い。木村荘八は「飼っている猫の数では、まず日下開山の両横綱であった。」(1、19頁)で、その時、大佛家より多 い14匹だつたとか。もらつたり、その家で拾つてくれるのを期待してそこに捨てていつたりするので増えていくらしい。私でもさういふ話はきくが、かういふ 人があちこちにゐるとなると、私には想像を絶する世界となる。家猫といへど、現在の地域猫のやうな存在であるらしい。現在ほど猫や犬の放し飼ひを厳しく言 はなかつた時代はかくも大らかであつたといふことである。だから、捨てるのも気楽らしい。私は捨てた経験がないので、その時の気持ちを想像できないが、本 書中のエッセイを読む限り、かなり気楽に捨て、時は池に放り込んだりしてゐる。現在でもさうなのであらうか。Ⅱは小説等も何本か載る。しかし、それ以上 に、例へば内田百閒の「ノラやノラや」(2、98頁)の涙には驚く。要するに飼ひ猫行方不明につきで滂沱たる涙なのである。もちろん手をこまねいてゐるわ けがない。折り込みのチラシを出したり、あらゆる情報を確かめたりしてゐるのである。それなのにみつからないから滂沱たる涙を流す。猫を飼つたことがない 人間には分からないことである。佐藤春夫も似たやうなもの、身内も含めて、死んだ人々には涙を流さなかつたのに、飼ひ「猫の死に対してだけがこんなに多く の涙がながれるの」(2、144頁)である。それを「自分でもどうしてもわからない。」(同前)といふ。私にも分からないが、単純に考へれば、とにかく猫 を可愛がつてゐたからだといふに尽きるであらう。そんなにまで可愛がられた猫は幸せ者である。そこらの人間よりもよほど幸福な人生、いや猫生を送つたと言 へるのであらうと思ふ。そのペット・ロスの後に続くのが「猫の精霊ばかりが住む町」「化け猫と不思議な話」「猫の一族」である。筒井康隆に始まり宮沢賢冶 に終はる。ほとんどがフィクションである。ここ���有名なアルジャノン・ブラックウッドの「いにしえの魔術」が入つてゐたらと思ふが、これは小泉八雲以外は 日本人限定のアンソロジーである。ここにうつてつけの作品である。これがなくとも、筒井康隆のショートショートや菊池寛など、おもしろい作品がいくつもあ る。かういふアンソロジー、猫好きの人は楽しめるのかと思ふ。作品の中の猫と、我が身近くの猫とではずいぶん違ふやうな気がする。いかがであらう。
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これは読むに堪えない。
冒頭の話から女中に猫を捨てさせまくる。
この作家以外の人の作品もとにかく猫を捨てまくる。
吐きそう。
そういう時代だったのだろうけど、今読むにはひどすぎる。
覚書として、P146まで読んで、あと最後の向田邦子と村上春樹は読み終わり。
ヒグチユウコさんのカバー画はとってもかわいい!!
これが見られたのが救い。
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猫に関する随筆や詩を集めた文庫本。
寺田寅彦、萩原朔太郎、村上春樹…
気になるところからペラペラと読んだから全部は読めていない。
太宰治の「ねこ」という未発表の短い散文がものすごくすてきだった。
…私の胸は浪うつた。わが恋は容れられたり。(p.38)
猫に対する気持ちを表すとき、それは片想いと同じなのだ。
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猫の引越し / 大佛次郎(1897-1973、横浜市中区、小説家)
猫の出戻り / 大佛次郎
お通夜の猫 / 大佛次郎
舞台の猫 / 大佛次郎
猫一つだに / 円地文子(1905-1986、台東区、小説家)
猫と妻 / 島尾敏雄(1917-1986、横浜市、小説家)
ねこ / 太宰治(1909-1948、五所川原市、小説家)
猫 / 窪田空穂(1877-1967、松本市、小説家)
猫の奪還 / 葉山嘉樹(1894-1945、福岡県みやこ町、小説家)
猫 / 室生犀星(1889-1962、金沢市、詩人)
猫 / 三好達治(1900-1964、大阪市西区、詩人)
黒猫 / 与謝野晶子(1878-1942、堺市、歌人)
猫 / 与謝野晶子
甲子と猫 / 壺井栄(1899-1967、香川県小豆島町、小説家)
猫の不幸 / 阿部昭(1934-1989、広島市中区、小説家)
猫 / 尾崎士郎(1898-1964、西尾市、小説家)
猫の恋 / 岡本一平(1886‐1948、函館市、漫画家)
猫と詩と颱風 / 串田孫一(1915‐2005、港区、詩人)
子猫 / 寺田寅彦(1878-1935、千代田区、物理学)
猫煩悩 / 上林暁(1902-1980、高知県黒潮町、小説家)
猫が口を利いた / 内田百閒(1889-1971、岡山市中区、小説家)
猫 / 萩原朔太郎(1886-1942、前橋市、詩人)
猫の見る夢 / 吉行理恵(1939-2006、東京、小説家)
猫と婆さん / 佐藤春夫(1892-1964、新宮市、詩人)
猫きち / 野溝七生子(1897‐1987、姫路市、小説家)
猫の眼月 / 尾形亀之助(1900‐1942、宮城県大河原町、詩人)
猫 / 川端康成(1899-1972、大阪市北区、小説家)
愛撫 / 梶井基次郎(1901-1932、大阪市西区、小説家)
小猫 / 幸田文(1900-1904、墨田区、随筆家)
どら猫観察記 / 柳田國男(1875-1962、兵庫県福崎町、民俗学)
猫がはこんできた手紙 / 井上靖(1907-1991、旭川市、小説家)
猫には七軒の家がある / 金井美恵(1947-、高崎市、小説家)
猫 / 志賀直哉(1883-1971、石巻市、小説家)
猫と蟻と犬 / 梅崎春生(1915-1965、福岡市中央区、小説家)
ネコとネズミ / 坪田譲治(1890‐1982、岡山市、小説家)
猫 / 高村光太郎(1883-1956、台東区、詩人)
猫の記憶 / 小林勇(1903‐1981、駒ケ根市、編集者)
鼠と猫 / 寺田寅彦
猫 / 井伏鱒二(1898‐1993、福山市、小説家)
誰か猫の雌雄を知らんや / 尾崎一雄(1899‐1983、伊勢市、小説家)
ヨーロッパの猫たち / 鴨居羊子(1925‐1991、豊中市、下着デザイナー)
八百屋の猫 / 大佛次郎
猫家一族 / 大佛次郎
猫の没落 / 阿部昭
猫-マイペット / 谷崎潤一郎(1886-1965、中央区、小説家)
猫自慢 / 向田邦子(1929‐1981、世田谷区、脚本家)
人喰い猫 / 村上春樹(1949-、京都市、小説家)
編者エッセイ:猫が宿る日本語 / 和田博文(1954-、神奈川県、日本文学)
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私は猫を飼ったことはない。だから愛猫家の気持ちも分からないのだけれど、ここまで猫に対する愛情を示されると圧倒される。阿部昭の洒脱なエッセイが面白いと思った。それからもちろん金井美恵子。犬に対する同様なアンソロジーを想像するとどうしても集まる作家がマッチョに感じられるのだけれど(もっともそんなアンソロジーは読んだことはないので、推測するしかないが)、このアンソロジーはその意味ではフェミニンで良い意味で温かい。猫にじゃれついて遊ぶ文豪たちの姿を想像して、思わず笑ってしまった。このアンソロジーは二巻も楽しみだな
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和田博文 編「猫の文学館 Ⅰ」、2017.6発行。佐藤春夫(1892~1964)「猫と婆さん」、向田邦子(1929~1981)「猫自慢」、室生犀星(1889~1962)「猫}、吉行理恵(1939~2006)「猫の見る夢」、幸田文(1904~1990)「子猫」、志賀直哉(1883~1971)「猫」などが収録されています。
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萩原朔太郎『猫』/吉行理恵『猫の見る夢』/佐藤春夫『猫と婆さん』/野溝七生子『猫きち』/緒方亀之助『猫の眼月』/川端康成『猫』/梶井基次郎『愛撫』/幸田文『小猫』/柳田國男『どら猫観察記』/井上靖『猫がはこんできた手紙』/金井美恵子『猫には七軒の家がある』/志賀直哉『猫』/梅崎春生『猫と蟻と犬』/坪田譲二『ネコとネズミ』/高村光太郎『猫』/小林勇『猫の記憶』/井伏鱒二『猫』/尾崎一雄『誰か猫の雌雄を知らんや』/鴨井羊子『ヨーロッパの猫たち』 /谷崎潤一郎『猫-マイペット』/向田邦子『猫自慢』/村上春樹『人喰い猫』
時代背景がよくわかる短編集。そして村上春樹とは合わないなぁ~。主人公たちの感性が異次元に感じる。ほかの作家も「うーんわからん」と思うことはあるけれど、時代的なものかな、くらいですむのに。 猫と遊んでいて自然に猫の耳に噛みつく梶井基次郎が離れない。大佛次郎の猫に対する愛情はさすが。寺田寅彦はやっぱり理系の眼をしてるなぁ。芥川が大槻文彦の辞書『言海』の猫の説明に噛みついたという話にも触れている
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なかなか残酷な話もあって、読みづらかった。でもひとつひとつの話が短く、様々な作家の猫に関する考え方、捉え方がわかってまあ楽しめた。
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猫好き?によるの猫についての随筆、小説、詩などを収録したアンソロジー。
・やっぱり尾形亀之助の詩…好きだな…
・「猫の眼月」…ほら、もうタイトルが好みすぎる
・向田邦子のエッセイはどうしてこうも””読ませる力””があるのか…
・まさかオチが村上春樹の小説だとは…
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だいたい昭和初期の短編が多く、当時のペット(家畜)の考え方に馴染みのない、嫌悪感を抱く人には向かない短編集。
もちろん、猫っ可愛がる話や、海外で暮らす猫の話など微笑ましいものもあり、猫についての考察や、巻末の猫に纏わる日本語などは興味深く、面白く読めました。
「鼠と猫 寺田寅彦」の中で、家に出た鼠を子供らの前で始末する場面にて、子供らの教育に良くないので、こういった生命を断つ行為は残酷で見せない方が良いとしつつも
「このような重大な現象を無感覚に観過させないまでもそれを直視させるのを強いて避けるのもどんなものであろうか。」
とあるように、死というものから遠ざけられた私たちの価値観が、いまのペットとの向き合い方に現れているようにも思えました。
時代の流れでペットを飼う理由が変わってきたことや、経済の発展で生活に余裕が生まれたこと、動物医学の発達で避妊手術が身近になったことなど、時代と考え方の変遷を感じることもできる短編集でした。
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猫好きにはなんとも贅沢な文庫だ。
なんといっても、装丁がヒグチユウコ。
そして、最後は編集者の和田氏のあとがきでも、これでもかと言うほどうんちくと愛情の猫まみれである。
読むにつけて、今は昔は鼠捕りが必ずワードとして文学になるのがなんとも時代を感じる。
猫の文学館Ⅱももちろん読みます!