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紙の本
みみずく偏書記 (ちくま文庫)
著者 由良 君美 (著)
奇(稀)書、古書、名著。絢爛豪華な精神世界…。才気煥発で博識、古今東西の書物に通じた著者が、書狼に徹し書物を漁りながら、読書の醍醐味を物語る。【「TRC MARC」の商品...
みみずく偏書記 (ちくま文庫)
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商品説明
奇(稀)書、古書、名著。絢爛豪華な精神世界…。才気煥発で博識、古今東西の書物に通じた著者が、書狼に徹し書物を漁りながら、読書の醍醐味を物語る。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
自分の能力への絶大な自信と自己に欠落した部分に対する秘されたコンプレックス
2012/06/02 11:07
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る
由良君美は、コールリッジを専門とする英文学者であるが、愛書家、読書家として知られ、美術にも造詣が深い。平井呈一に私淑し英語、翻訳においても一家言をもつ。曽祖父は明治時代に英和辞典を編纂した学者。父はカッシーラと親交のあった哲学者という恵まれた家門に生まれる。蒲柳の質で、幼少期から家で本ばかり読んで過ごしたという筋金入りの書斎人。単に読書量の多い所謂読書家とはちがい、本というものを愛する愛書家、本人の言葉を借りれば「書痴」である。
そのため、この本の中でも、本というものの体裁、造本から構成まで、現今の本には厳しい批判を加えている。その一方で、あまり世に知られていないが、筆者の目にかなう本、著者については、手ばなしで絶賛している。その両極端に走る性向には、熱心な讃仰者がある代わり、敵も多かった。学習院、慶応で学位を取得、後に東大教授となるが、学内出身でないこともあり孤立。晩年は酒量も増え奇行が目立ったと伝え聞く。蝶ネクタイにパイプというダンディーぶりで知られるが、洋行経験はない。自分の能力への絶大な自信と自己に欠落した部分に対する秘されたコンプレックスという矛盾したアイデンティティにこそ由良君美という文学者の真骨頂がある。
由良も好んだ批評家、花田清輝に「楕円幻想」という一文があるが、由良本人も自分の中に二つの中心があることを意識していたふしがある。たとえば、詩について文語、雅語を典雅に使用した詩に魅かれる半面、平明な散文を駆使した詩にも魅力を感じるといったように。その振幅の大きい自我に内在する批評性こそが由良の持ち味である。
独断と偏見に満ちた一刀両断のごとき切れ味の文章の裏には、犀利な知的営為が存するのであり、無闇矢鱈に敵に切りかかっているのではない。専門莫迦では到底不可能な古今東西の文献を気の向くままに渉猟し、しかもそれを記憶する傍から忘れ、やがて厖大な無意識の底に沈める。あるとき、それは、新しく出会った何かと反応し意識の表面に浮かび上がり、全く異なった相貌の見解となって由良の筆先から躍り出すのだ。
1983年に青土社から出たものの文庫化。筆者自ら書いているように「本についての本」である。こちらの不勉強を棚に上げていうのもなんだが、採りあげている「本」と、その著者が、ほとんどはじめて目にする名前ばかり。中には夢野久作の父、杉山茂丸の『百魔』のような名の知れたものもあるが、由良の専門分野である英文学や哲学に関するものは、全くもってお手上げである。連載当時の雑誌読者には自明なのかもしれないが、一般読者には初耳だろう。それでも読ませる。世界には、こんなにも凄い人がいたのかと驚き、やがて自分の知的領域の狭さに気づかされ畏れる。それが狙いなのだ。悪くとれば虚仮脅かし。「どうだ、凄いだろう。世界は広いのだ。ちっとばかし日本で文学や哲学をかじったところで、そんなもの何ほどのことがある。」といったところか。
稚気溢れるといっては失礼千万。悪口ではない。こと文献渉猟に関して由良の右に出るものなどない。その道の大家が素人に向けて大見得を切って見せるような大人気のなさがひとつの魅力になっているといってもよい。畏れ入りました、とかしこまっていればいいのだ。由良に愛された弟子たちのように、この碩学の博学多才ぶりに驚き呆れながらも、憧れ仰ぎ見て、その導きによって知の大海に漕ぎ出せばいい。自分の不勉強を棚に上げ、地位に便々として恥じぬ輩には厳しくとも、同じ道を行こうとする若輩には懇切丁寧に教えを垂れてくれるのだから。
紙の本
翻訳論まで学べる一冊
2012/05/21 00:18
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:インザギコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
収録された文章は、長年さまざまな媒体に掲載されたものをまとめたため、執筆時期にずいぶん幅がある。それでも、著者の書物にたいする姿勢と愛情はまったくぶれていない。
本書を読んでいると、著者がこの本を書いている時点ですでに「情報を得るための読書」が幅を利かせて始めていることがうかがえる。著者にとっての読書とはこうだ。「大きな本はどこかに(略)親切な<手抜き性>を蹴飛ばす、ケタ外れの意地悪さを必ず伴っているものだ」「そういう本と<出会い>、そういう本と<付き合い>、そういう本と<対話し>、そういう本と<ともに育つ>のが、何というか読書の秘訣であって、そのほかに、いやしくも<本>と言いたい本はないのではないだろうか」。次の言葉はもっとカッコいい。「読みに読み、忘れに忘れて、やがてそれが意識下に溜り、知を産む腐葉土となり、そこから育ったあらぬ連想のわが、じりじりと円環を描いて、いくつもぶつかり合いながら意識の表層に頭をもたげ、観念の磁場をつくり、そのうち幸運なものだけが、格好よいゲシュタルトをつくる」
翻訳についての考察もなるほどなあ、と思わされた。事実を間違いなく伝えることに一喜一憂するあまり、真実を等価に伝える芸術性の問題が見過ごされているのではないか、というのは、耳が痛い。これは翻訳にとって永遠の課題なのだ。どこまで「翻案」、最近では「超訳」が許されるのか、びくびくしながら毎回試している。下手な者が手を出すと、まず間違いなく大失敗する。
辞書や参考書についても、さすが専門家だけあって具体的で詳しい。辞書は何冊か揃えて用語を見比べる、英和の場合、訳語にぴんとこなかったら英英を引く、というのは鉄則。でもさすがに、昔の作家が使っていた時代の辞書を使う、ということまでは今はしないだろうなあ。
本の読み方だけでなく、翻訳の正しい方法まで教わった。