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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2007/04/01
  • 出版社: 筑摩書房
  • レーベル: ちくま文庫
  • サイズ:15cm/136p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-480-42323-8
文庫

紙の本

倚りかからず (ちくま文庫)

著者 茨木 のり子 (著)

「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかると...

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倚りかからず (ちくま文庫)

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商品説明

「もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」。強い意志とナイーヴな感受性によって紡ぎだされた詩集『倚りかからず』に「球を蹴る人」「草」「行方不明の時間」の詩3篇と高瀬省三氏のカット16点を添えて贈る瀟洒な一冊。【「BOOK」データベースの商品解説】

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みんなの評価4.3

評価内訳

紙の本

倚りそへよ、今し世は秋の時なり。

2009/09/28 12:08

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

暑さがつづきますが、秋ですね。
なんだか、詩でも読みたくなります。
ということで、NHK出版生活人新書の一冊
小池昌代編著「通勤電車でよむ詩集」をめくってみました。
うんうん。普通の詩のアンソロジーではおめにかかれない
はじめて読む詩が、そこには並んでおりました。
こういうのを見ていると、さて、私ならどんな詩を並べるだろうなあ。という気持になってきたりします。

ということで、ちょうど思い浮かんだ詩三篇。


    秋の歌        ルミ・ド・グウルモン

倚(よ)りそへよ、わがよき人よ、倚りそへよ、今し世は秋の時なり
愁(さび)しくも濡(しめ)りがちなる秋の時なり、・・・・

  ・・・・・・・・・

倚りそへよ、わがよき人よ、秋風は激しく叫びてわれ等を叱咤するなり。
小径に沿ひて、風の言葉は鳴り、
茂れる葎(くさむら)のうちに、
山鳩のやさしき羽音はなほきこゆ。
   ・・・・・・・・・・

倚りそへよ、わがよき人よ、さびしき秋は、今し、
冬の腕(かひな)に身を委ねんとしてあり、
されど夏の草なほ生え出でんとし、
咲きいでし芝草の花はやさしく
最期(いまは)の靄に包まれては、
花咲ける蘚(こけ)にも似たり。
倚りそへよ、わがよき人よ、倚りそへよ、今し世は秋の時なり。

・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・

      ( 堀口大學編訳「月下の一群」講談社文芸文庫より )


堀口大學のこの「月下の一群」は関東大震災の2年後(大正14年)に第一書房より刊行されておりました。それはまるで、現地フランスにて梱包された荷物が、ひらかれると同時にその場の雰囲気まで匂いひろがるようなそんな気分の詩集です。時代を超えて現代でもほどんど違和感なく、まるで丁寧に冷凍保存された荷物が、そのままに解凍されて出されたようなみずみずしさえ感じさせます。
この本の序にはこうあります。

「最近十年間の私の訳詩の稿の中から・・・仏蘭西近代の詩人66家の長短の作品340篇を選んでこの集を作った。最初私はこの集を見本帖と云う表題で世に問うつもりであった。と云う理由(わけ)は、たまたま此集が仏蘭西近代詩の好箇の見本帖であったからである・・・読者の見らるるとおり、私がこの集の訳に用いた日本語の文体には、或は文語体があり、或は口語体があり、硬軟新古、実にあらゆる格調がある。然しそのいずれの場合にあっても、私が希(ねが)ったことは、常に原作のイリュジヨンを最も適切に与え、原作者の気凛を最も直接に伝え得る日本語を選びたいと云う一事であった。・・・・」

これにまつわる有名はエピソードも引用しておきましょう。

「『月下の一群』のあの詩人群の大方は、その頃まだ日本には名さえ知られていなかった。ぼくはその人たちの作品を、名もない詩誌のバックナンバーや、市販には見出せない小部数発行の詩集やを探し集めては、読み耽り、気に入っては翻訳可能の一篇でも見つかるとこおどりして、これに立ち向かった。ヴァレリーもコクトーもぼくは自分で見つけた。」


こうして原作者と同時代・同国で出会った詩を封印したような一冊。
いまでも本をひらけば、煙が立ちのぼるような錯覚をおぼえる一冊。


さて、次にいきましょう。
茨木のり子さんは1926年大阪生まれの詩人。
ここでは、夫・三浦安信氏について、
安信氏は1918年8月28日生まれ、山形県鶴岡市出身。
旧制山形高等学校理科乙類に進まれ、
1945年に大阪帝国大学医学部を卒業。46年には新潟医大の助手。
1949年に学位をとられ、秋に結婚。都下東村山にある結核予防会・保生園の医師に。
1954年に北里研究所の付属病院に。
1961年に蜘蛛膜下出血の大病を患います
岩崎勝海氏によりますと、
「恢復までに大変長い期間を要された。数年たって、久しぶりにお訪ねした時、病の後の、以前とは見違えるほど暗く、そして一段ともの静かになられた安信先輩と遭遇した。のり子さんは看病疲れの気配も見せず、毅然としておられた。それからも私は、ときどきお邪魔して、以前と同じように勝手なおしゃべりを安信さんにきいていただいていたが、安信さんは肝臓癌で1975年5月22日に亡くなられてしまった。57歳であった。」

さて、茨木のり子は2006年2月17日に亡くなります。
そのあとに残された詩篇が「歳月」と題して出版されたのが、2007年2月でした。
その詩集「歳月」に「椅子」という詩がありました。


    椅子   茨木のり子

―――あれが ほしい―――
子供のようにせがまれて
ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子
ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子
よろこんだのも束の間
たった三月坐ったきりで
あなたは旅立ってしまった
あわただしく
別の世界へ
―――あの椅子にもあんまり坐らないでしまったな――
病室にそんな切ない言葉を残して

わたしの嘆きを坐らせるためになら
こんな上等の椅子はいらなかったのに
ひとり
ひぐらしを聴いたり
しんしんふりつむ雪の音に
耳かたむけたりしながら
月日は流れ

今のわずかな慰めは
あなたが欲しいというものは
一度も否と言わずにきたこと
そして どこかで
これよりも更にしっくりしたいい椅子を
見つけられたらしい
ということ




詩集「歳月」には、あとがきにかえて「『Y』の箱」という宮崎治氏の文が添えられておりました。そのはじまりは

「『歳月』は、詩人茨木のり子が最愛の夫・三浦安信への想いを綴った詩集である。
伯母は夫に先立たれた1975年以降、31年の長い歳月の間に40篇近い詩を書き溜めていたが、それらの詩は自分が生きている間には公表したくなかったようである。
何故生きている間に新しい詩集として出版しないのか以前尋ねたことがあるが、一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさいのだという答えであった。・・・・」


そこで、思い浮かぶのは生前に発表された詩集「倚りかからず」でした。
そこから詩「倚りかからず」を最後に引用。


     倚りかからず    茨木のり子


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

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紙の本

名文づくし

2021/05/20 10:14

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:帛門臣昂 - この投稿者のレビュー一覧を見る

一篇単位で茨木のり子の詩を読んだことがある人も多いだろうが、やはり詩人は詩集を読んでほしいものだ。
この詩集はその価値がある。文明への批判、それは自己反省をも含み、読者に「あり方」を問うている。

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紙の本

必携の一冊

2016/10/09 10:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:読書好き - この投稿者のレビュー一覧を見る

とにかくオススメです。
一番好きなのは、ヒマラヤを超える鶴たちの描写。NHKの番組を観て感動したのですが、それを言葉にするとこうなるんだ、と一撃を食らった気分になりました。

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紙の本

孤高の中にあたたかさを感じます

2021/05/05 13:27

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あかねさす - この投稿者のレビュー一覧を見る

戦争を潜り抜けた人の強さ、そこからにじみでる優しさを感じます。
ただ、子供の頃に叩き込まれたであろう、愛国精神や、国家神道に、敗戦を通じ、無力感や、絶望感を抱きながらも、捨てきれず、それが、世界平和への祈りへと、昇華しようともがいている、ひたむきさ、健気さが、伝わってきます。

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紙の本

主体的であることとは

2015/09/30 00:59

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:garuhi - この投稿者のレビュー一覧を見る

倚りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足でのみで立っていて
なに不都合のことあるや
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


茨木のり子さんの詩はいつも自分の足で立ってスックとしている。潔い歯切れの良さがある。脱イデオロギーが進んだ二〇世紀後半。確かに思想にたいしてもマスコミにたいしても労働組合にたいしてもアカデミズムにたいしても自分の主体性を押し通すことは一番大切なこと。しかしそれは既成のものに対してだ。梅本克己言うところの「そこで死んでいいところの理由」真の意味での思想・イデオロギー体系は人間という存在が生きてゆくためには絶対に必要なものだ。だがしかし・・・・・・・。

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ガツンと刺激をうけたくて

2015/08/14 12:00

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:john - この投稿者のレビュー一覧を見る

常日頃の自分のものの考え方にたいして、ガツンと刺激を受けたくて買いました。やはり、いろいろと感じさせてもらえました。

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紙の本

優しさに裏打ちされた強さ――「茨木のり子」に憧れる。

2010/01/15 21:03

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:惠。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

茨木のり子の詩集はとても分かり易い(個人的見解)。難しい単語はほとんど登場しない。美しい日本語。柔らかな言い回し。しかし時に厳しく心に響く。あぁきっとこの人は、「本当に」やさしいひとなのだろうな。

山頭火も言っていたけれど、詩や俳句を読む時は、著者の生い立ちを軽くでもいいから知ってから読むほうがいい。

茨木のり子は厳しいひとでもあったと思う。その詩から伝わってくる凛としていて、たおやかで、それでいて可愛らしい印象。代表的な詩『倚りかからず』や『自分の感受性くらい』でうたっているのは理想ではない。女として、いや、ひととしての最低限のハードルだ。




倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ(『倚りかからず』)




絶望といい希望といってもたかが知れている
うつろなることでは二つとも同じ
そんなものに足をとられず
淡々と生きて行け!(『ある一行』)




苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリくらいではあろうけれど
(中略)
少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)
          (『苦しみの日々 哀しみの日々』)





「本当に」やさしいひとは、実は「本当に」厳しい。

「本当に」厳しくあるためには、やさしくなければならない。それを短い言葉で言い換えるとするならば、それは「強さ」だと思う。

そしてその「強さ」に憧れるわたしは、茨木のり子の真っ直ぐな視線たじろぐ。彼女の詩に真っ直ぐ向き合う強さを手に入れるまで、わたしはまたこの詩集に手を伸ばす。


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甘えない

2019/01/15 01:55

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る

他人に甘えない生き方って難しいですよね。きりっとした詩が並んでいるので、甘え心がでたときに読むとシャンとします。

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2007/10/01 20:48

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2008/01/16 12:50

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2009/08/14 00:48

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2009/09/24 10:30

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2009/11/03 18:10

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2009/11/28 09:30

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2009/11/29 11:34

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