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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間の勝手な分類から虫たちを害虫にしたり益虫に分類したりする。そういう概念を歴史的に解説した。どのように日本人が接してきたかがわかる。
電子書籍
害虫というと……
2022/12/05 05:31
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヤブ蚊とか、ゴキブリとか……が、真っ先に自分は思い浮かびました。江戸時代は、虫は自然に発生するものだという考え方が主流だったようで。当時の、農業は確かに、害虫による被害は、自然災害とと同様多かった。農業への被害はたたり……。なるほどねえ
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害虫を排除するための科学技術である応用昆虫学の立場から、
害虫と農業、病気、戦争などをめぐる社会史を描き出す。
日本の事例を中心に、近世から戦中までを中心に扱っている。
特に近世の記述が面白かったので、以下抄訳を付す。
害虫ときくと、われわれ現代人はゴキブリなどを思い浮かべるが、
科学技術の未発達だった時代から、やはり農業(農薬)との関連は強かった。
ただし明治初期まで、民衆のあいだでは害虫=たたりとの考えが支配的だった。
たとえば一八八〇年に北海道十勝地方で起こった
トノサマバッタの大発生に対して、アイヌたちは「神罰」とみなしたという。
また同時期に全国で報告されるようになったニカメイガについても同様で、
青森では幼虫が潜むわらや切り株を燃やすよう県令が呼びかけたにもかかわらず、
「固陋の人民」のほとんどがこれに従わず、被害が沈静化するまで農民に害虫対策の徹底を強制したという。
こうした自然観が科学技術によって塗り替えられるのは、明治後期のことだった、ということだ。
その他にも、ハエが元々はそこまでネガティブに捉えられていなかったことや、
戦中、ヒトの血液をエサとするヒトジラミの研究のためにボランティアで検体を募ったときの写真など、
応用昆虫学が提供する視点のエッセンスを随所で楽しめる。
テーマの選び方ですでに勝っているといえるだろう。
ちなみに著者は75年生まれと若い。初の単著だという。
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プロローグ‥ごきぶり
第1章 近世日本における「虫」
1、農業 2、蝗 3、虫たちをめぐる自然観
第2章 明治日本と<害虫>
1、害虫 2、応用昆虫学 3、農民VS明治政府 4、名和靖
第3章 病気‥植民地統治と近代都市の形成
1、病気をもたらす虫 2、マラリア 3、都市衛生とハエ
第4章 戦争‥敵を科学で撃ち倒す
1、害虫防除 2、毒ガスと殺虫剤 3、マラリア
エピローグ‥環境
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むかし、昔・・・ 人はゴキブリを「コガネムシ」と呼んで、富の象徴としてきた。しかし、昨今ゴキブリは、害虫の象徴的存在。
人々の自然観は作られ、次々と害虫が生まれていく・・・。
環境時代といわれる現代、自分の周りに「境(さかい)」を作らず、自然と共に生きる日本人本来の自然観を取り戻してもいいと思う。
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[ 内容 ]
江戸時代、虫は自然発生するものだと考えられていた。
そのため害虫による農業への被害はたたりとされ、それを防ぐ方法は田圃にお札を立てるという神頼みだけだった。
当時はまだ、いわゆる“害虫”は存在していなかったのだ。
しかし、明治、大正、昭和と近代化の過程で、“害虫”は次第に人々の手による排除の対象となっていく。
日本において“害虫”がいかにして誕生したかを、科学と社会の両面から考察し、人間と自然の関係を問いなおす手がかりとなる一冊。
[ 目次 ]
第1章 近世日本における「虫」(日本における農業の成立 江戸時代人と「蝗」 虫たちをめぐる自然観)
第2章 明治日本と“害虫”(害虫とたたかう学問 明治政府と応用昆虫学 農民VS明治政府 名和靖と「昆虫思想」)
第3章 病気―植民地統治と近代都市の形成(病気をもたらす虫 植民地統治とマラリア 都市衛生とハエ)
第4章 戦争―「敵」を科学で撃ち倒す(第一次世界大戦と害虫防除 毒ガスと殺虫剤 マラリアとの戦い)
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害虫がもともと 存在しなかった というのはなんちゅーか 驚きでした今はっていうか 自分の世代でも 東京生まれの子なんか害虫どころか 虫 を 全然知らなかったりする
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ニーチェの『悲劇の誕生』、フーコーの『監獄の誕生』、平朝彦の『日本列島の誕生』と「誕生モノ」で感銘を受けた名著は多いが、この『害虫の誕生』も名著である。
現代に生きる私たちは、パソコンやテレビなどの現代生活の必需品に対しては、それなりの経緯を知っているが、生活の場から消え去ったものにたいしての「誕生」の経緯を知らない。
私は、よく変人扱いされるが、一般人がもつゴキブリ、ハエや蚊(ひどい場合には、昆虫全般)に対する嫌悪感にはまったく同感できず、常々、なぜこんなにこの人たちは、昆虫を怖がるのだろうと感じていた。
その嫌悪感の由来が、害虫の誕生とともに伝承された習慣であるという認識の正しさをこの書物は教えてくれた。
そもそもマラリアのような伝染病を広める生物に嫌悪感をもつというのはわかる。しかし、順序だてて考えると、ハエがマラリアを伝染するという事実を知る前には日本人も西洋人もハエに愛着を感じていた。すなわち、害虫という言葉や思想が形成されることによって生まれた嫌悪感なのである。
農業でも虫追いの行事は、虫に対する悪意ではなく、自然現象への「祈り」をふくみ、嫌悪ではなく、諦めから生まれた祈りなのである。虫追いは、虫を駆逐する作法ではない。
殺虫剤というのは、正解でも正義でもなく、科学知識が生んだ思想の一つなのだ。
そこにはたくさんの矛盾がある。たとえば、害虫の大量発生に対して現代人の対処法は、除去するという方法をとる。
科学知識が表面的な「悪」をあぶり出すのだが、まず、なぜその害虫が大量発生する土壌が生まれたのか、また、必然的に大量発生したものを「殺虫剤」で除去することによって生まれる弊害はないのか。という思想は殺虫剤の思想を越えた思想になることができる。
現在の学問の志向は、害虫を排除するという方向を向いていない。
「害虫」という概念を作り出した科学は、「害虫」を害虫であるという理由で共生の世界から排除したりしない。これからの科学を予見するという意味では、「誕生もの」の名著にふさわしい書物である。
有吉佐和子の『複合汚染』で指摘されている毒ガスと農薬、火薬と肥料のつながりを越えるような思想が本書では見て取れる。
昆虫学の応用範囲はこれからまだまだ広がるのだと再認識した。
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たたりだと思われていた害虫の大量発生。ヨーロッパでも、昆虫学と害虫はレベルの違う話として扱われていたといいいます。天災の一つ、あるいは「たたり」であった虫害が、人が記録し発信することで、はじめて「発見」されたという現象。
人が制御できないものから制御できる(ように見えるもの)へ、イデオロギーの衝突、別のところへ移してしまいたい、という地元の考え、メディアの役割、兵器転用、そして変化させてしまった環境への問題。人はこういうことを繰り返していくのだなあ。同じ結果でも、良くなっているか、悪くなっているかは知識と立場次第だと痛感する本です。
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社会科なのか理科なのかチョット不明。凄くマニアチックな本という気がするが結構レビューを書いている人が多い。
雑草に対応することばはないが、虫は害虫と益虫に分けられる。もちろん、本書にもあるように害虫というのも時と場所によって変わってくるのであって、大いに各個人の認識によるわけではあるが。
日本において害虫ということばが一般的になるのは20世紀になってかららしい。それまでは、虫の害というのは自然現象として仕方が無いこと、冷害とか干魃とかとかと同列の人間では制御できす、神頼みをするだけのモノであったらしい。
と言う事で、この本では副題「虫から見た日本史」どおり、日本人の虫観というモノが語られている。その後近世以降は病気、衛生と言う観念からの害虫駆除、さらに戦争での化学兵器と農薬が並列して開発されていった事象が述べられている。
と言う事で、なかなか興味深い本ではあるが冒頭書いたようにマニアチックではあるので万人にお勧めできる本ではない。
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昆虫と人との関わりについて、丹念に調べられた本。かつて害虫の発生が、制御不能の「たたり」や「神罰」だったのが、明治時代以降は、殺虫剤や天敵導入など科学の力で押さえ込もうとしていく。
エピソードも豊富。江戸時代まではコキは食べ物が豊富な豊かな家にしか出なかったので、「黄金虫は金持ちだ」の黄金虫はチャバネのことだったとか。ハエは19世紀以前は小さくてかわいいイメージで語られていたとか、太平洋戦争中、枯れ葉剤を日本の水田にまく研究がされていたとか、色々勉強になる。
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「害虫」という概念は実はそれほど古いものではない。
そもそも虫による農業被害は天がもたらす災いであり、
人知の届くものではないという意識が、
少なくとも江戸時代までは主流であり、
それが人々と虫との「付き合い方」だった。
今と比べれば、そこら中、虫だらけだったのだろう。
明治に入っても相変わらず「お札」やら「虫送り」といった
迷信的対策に頼るのが普通で、
国や一部の昆虫学者が提唱していた科学的アプローチは
普及しないばかりでなく、農民の反発を買うことすらあった。
それが第一次大戦に入ると一変する。
すなわち、食料輸入が不安定になったことにより、
農業の生産性向上が国家の至上命題となった。
ここで初めて害虫駆除の研究が本格化することになる。
そして殺虫剤の研究は毒ガス兵器の開発へとつながり、
さらに戦地におけるマラリアを媒介する蚊の駆除といった
伝染病予防にも活用された。
つまり、害虫の歴史は戦争の歴史に重なるのである。
そしてそれは、ひいては「人間と自然の関係」の変化を
描写していると著者は主張する。
ここで著者は、科学の発展をやみくもに否定し、
自然保護を声高に訴えるわけではない。
ただ、我々が今日では当たり前に受け入れている
害虫/益虫といった区分や、「ハエ・蚊の少ない世界」は
時代背景や社会的要因によって
形作られてきたものなのだという事実を淡々と明らかにする。
僕たちが「自然っていいよねえ」というとき、
それは原始の「自然」ではなく、
人為的に操作された「心地よい自然」なのだ。
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日本の社会の推移を害虫対処の見地から眺めた本。害虫排除は明治以降に始められ、江戸時代には、害虫の大量発生は天災と考えられ、祈祷やお札によって対処を計っていた。明治以降は農業害虫が、大正以降は衛生害虫も、天敵による駆除、除虫菊をはじめとする化学殺虫剤の散布により排除されている。年代により、害虫に対する考え方も変わり、以前は害虫とは考えられていなかった、ハエやゴキブリなど、政府による排除促進により、害虫化したものもある。現在の問題は、駆除による種の絶滅と殺虫剤への耐性化が大きなものであり、エコロジカルを考慮した害虫とのつきあい方が求められる。
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定住型農耕が始まって害虫という認識が誕生した。
近世まで虫の駆除には殺傷感覚が存在していた。そのため宗教的な行事に頼る。
ゴキブリはコガネムシと言われ、金持ちのところにしかいない虫で、殺さないようにしていた。
松方正義は、虫のにわかに生じたるにあらず、その実人の虫を発見したるのみ
ということを述べている。
ハエが汚いというイメージは、コレラの媒介を抑えるという目的から、国、世界でのキャンペーンによってつけられる。当時はハエを捕ることに賞金が設けられた。そのため、盗難も行われた。