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自民党政治の終わり (ちくま新書)
著者 野中 尚人 (著)
かつて自民党が圧倒的な強さを発揮しえたのはなぜか? それがいま存在感を失いつつあるのはなぜか? 歴史の視点、国際比較の視点を交えながら、苦境に立つ自民党の来歴を明らかにし...
自民党政治の終わり (ちくま新書)
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商品説明
かつて自民党が圧倒的な強さを発揮しえたのはなぜか? それがいま存在感を失いつつあるのはなぜか? 歴史の視点、国際比較の視点を交えながら、苦境に立つ自民党の来歴を明らかにし、これからの日本政治を展望する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
野中 尚人
- 略歴
- 〈野中尚人〉1958年高知県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際関係論専攻博士課程修了。博士(学術)。比較政治学を専攻。学習院大学法学部教授。著書に「自民党政権下の政治エリート」など。
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田舎者のおねだりを可能にした田中角栄がつくった「自民党という政治システム」は天才政治家小泉純一郎によって完膚なきまでに破壊されつくしたというお話。諸君、もはや田舎者のわがままを我が国は許容する余裕はない。これからは国土の均衡ある発展路線から如何に脱却するかがカギとなる!
2009/04/16 22:02
13人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自民党について書かれた本は北岡伸一、佐藤誠三郎・松崎哲久などがあるが、本書はこうした過去の業績を踏まえ、最新の事例も盛り込んだ傑作となっている。新書というコンパクトなスタイルながら、その中身は非常に濃く、かつ明快である。
出だしは90年代以降の日本政治史を彩った二人の政治家、小沢一郎と小泉純一郎の二人のスケッチから始まる。この時代を回天させた二人の政治家は、一見水と油のようでありながら、二世政治家として地盤・看板に恵まれ若くして政界入りしていること、共に慶応大学卒であること等驚くほどの共通点を持っている。そして何よりこの二人は冷戦終了とバブル崩壊という「戦後日本」を支えた国際的経済的前提条件の崩壊を厳しく受け止め、田中角栄が完成させたバラマキ政治の限界を察知して、今や政治改革が待った無しであることを皮膚感覚で認識していた稀有の政治家であった。田中角栄に叩かれぬかれた福田赳夫の下で育った小泉純一郎が田中政治を憎むのは良しとして、田中の秘蔵っことして可愛がられた小沢までが田中政治を克服すべき対象と見たところが面白い。
田中政治とは、一言でいえば、二桁の高度成長を遂げる産業セクター並びにそこで働くサラリーマンに重税を課して、成長の圏外にいる百姓・土建屋に大企業・サラリーマンからむしりとった税金を盛大にばら撒くことであった。このバラマキ政治の中核に道路があり、ダムがあり、港湾建設があった。日本経済が二桁の成長を続けている間は、稼ぐに追いつく貧乏無しでサラリーマンの不満もそうは高まらなかった。しかし高度成長が終焉し経済がゼロサム的な低成長時代になると、公共事業を媒介とした所得再分配は土建屋帝国主義と揶揄されるようになり、都市部の住民は「私払う人、僕もらう人」という役割分担を拒否するようになる。これが最終的には構造改革を掲げた小泉に対する熱狂的な支持という形で表面化する。
「剛腕」で知られる小沢が、実は政局では失敗続きで負け続け(今年に入って小沢は政局で最後の大失敗=大敗北を喫しようとしている)、政局の人というよりは政策の人であったのに対し、「郵政民営化」「構造改革」を掲げて政権の座についた小泉が、実は政策の人ではなく徹頭徹尾政局の人であったという対比も面白い。小選挙区の導入という日本政治制度の大変革をやり遂げたのは、実は小沢であった。田中は完成した政治システムは派閥を基礎とし当選回数に基づいた精密なポスト配分で自民党議員を手名づける仕組みであったが、この派閥は中選挙区制という世界でも稀な選挙制度の下で花咲いたアダ花であった。これを小沢は壊し、派閥の領袖によるボス政治から総裁を中心とする政党執行部に全ての権限が集中する仕組みに政治を変えたのである。こうした大改革をわずかな時間で一気に成し遂げた小沢の手腕と将来を見据えたヴィジョンの確かさは端倪すべからざるものがある。ただ、これだけの改革を成し遂げた小沢は自己の能力をやがて過信するようになる。小沢の威信・権威が実は小沢を庇護した金丸信あってのもので、金丸がいなくなった途端、その脆弱性が表面化することに小沢は気付けなかった。小沢は自分が偉いから改革も出来たし周囲は自分にひれ伏した(だから自分が何をやっても周囲は自分に従うだろう)と勘違いした。あれだけのことを短期間に成し遂げた以上、それは無理からぬ面があるにせよ、私はここに運命の皮肉を見る。なぜなら小沢の政治改革(小選挙区制導入)を田中政治の強化と見て大反対を続けた小泉純一郎が、やがて小沢の改革の成果を十二分に活用して時代の寵児へと変貌を遂げるのだから。
政界の中枢の絶えず陽の当たる道を歩み続けて最後に転落した小沢に対し、小泉純一郎は永田町の日陰を歩き続けた変人だった。ただこの変人は自分を政界の隅に追いやった田中政治についてその強みと弱点を30年間じっと考え続けた男でもあった。その鬼気迫る様子は、正に「遺恨十年一剣を磨く」そのものであった。その変人が、やがて時代が回転する中で政界の片隅から政界の中枢へと吸い寄せられ、あれよあれよという間に頂点へと駆け上がっていく。運命の星が己の頭上に輝く「天の時」を小泉は掴むのである。
小泉が破壊しようとしたもの、それは田中角栄が完成した「巨大なるインサイダー政治」の構造であった。
田中は票を金で買う精巧な仕組みを作りあげていたが、そのシステムの中核に道路と郵政があった。道路利権とは道路特定財源という年間5兆6千億円に上る税金と年間2兆円に上る高速道路料金収入を指し、これに数十の土建屋が群がり、工事と引き換えに票と裏金を田中に上納する仕組みのことであり、郵政利権は、特定郵便局という明治に生まれた日本独特の利権構造を指している。郵便局は全国に24000あるがそのうち19000が特定郵便局と呼ばれるもので、その局長は自宅を郵便局として差し出した地元の名士であった。彼らには使途自由の渡切費、法外な相場での局舎借り上げ、光熱費の国家負担等数々の利権が付与されていた。しかもこれらの利権は世襲が認められていた。それだけではない。国家公務員という身分を保持しながらOB組織「大樹」を中心に選挙活動が認められていたし、郵貯が運用する資金は200兆円、簡保の資金は130兆円にのぼった。昨今話題の「かんぽの宿」は元々は保険加入者に対する福利厚生施設として設置されたものだが、その数は今や70箇所と大手ホテルチェーンも真っ青の規模を誇り、しかもその多くがアクセスの不便な僻地にある。郵政族が簡保資金目当てに事前購入した使い道のない土地を高値で売り抜けたとする噂も絶えない。
こうした田中政治は、それにアクセスするルートを持つインサイダーにとってはハッピーな構造である。しかし国民の大多数は当然のことながらこれにアクセスする術を持たない。田中政治とは弱者保護、国土の均衡ある発展という美名の下、大多数の犠牲の下、一部のインサイダーだけが得をするケチな仕組みであった。これを小泉は壊したのである。
面白い発見も随所にある。マルクス主義者たちは日本を後進国と看做し、日本は遅れている遅れていると連呼し続けたが、実は英国を除くほとんどの国で統治システムに議会を有効に組み込むことに失敗していたし、近代官僚制の整備という点では日本のほうがフランスよりも進んでいたという指摘は新鮮だ。そして日本の江戸時代は高度に発展した統治制度を有していたが、唯一かけていたのが国民を代表する議会制だったが、それは江戸時代が血みどろの戦争に明け暮れた欧州と異なり300年に及ぶ平和を成し遂げた稀有の時代だったが故に、そもそも議会を持つ必要が無かったという切り口も新鮮である。
昨今、「小泉竹中が推進した新自由主義政策のお蔭で格差が拡大した」という妄言が幅を利かし、またぞろ弱者を盾に小泉によって利権構造を破壊された田中政治の残党たちがインサイダー政治の復活を目指し活動を再開させている。郵政民営化の巻き返しはその見えやすい例だ。諸君、田中派の残党の策謀に騙されてはいけない。しっかりとその眼を見開いて、弱者保護の美名の下、利権亡者たちの復活の策謀を断固阻止しなければならない。
紙の本
「最強」政党のゆくえ
2009/04/05 20:25
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第1章と2章は、小沢一郎氏と小泉純一郎氏のミニ評伝。どちらも「自民党を変えようとした男」、過激にもうすなら「自民党をぶっ壊そうとした男」という視点から描かれる。小沢氏は自民党の外にでてもゆさぶりをかける。小沢氏(だけではないが)の大きな仕掛けが小選挙区比例代表並立制を中心にした政治改革だ。当初は猛烈に反対していたはずの小泉氏が、のちにはこの制度を使って権力を固めるのだから皮肉なものである。
表題の『自民党政治の終わり』とは、自民党が次の総選挙で負けることを意味するのでもなければ、自民党という組織がもうすぐ消えてなくなるということでもない。55年体制とも呼ばれた「自民党システム」が実質的に壊れてしまったということを指す。このシステムが復活することはないだろうというのが著者のみたてだ。
では「自民党システム」とはなにか。その基本的な要素は以下のようになる。
・巨大かつ柔軟な党本部組織
・膨大な後援会組織
・ボトム・アップとコンセンサスを軸とする分権的色彩の強い政策決定システム
・年功をベースとした平等型の人事システムとそれに深く関与する派閥の仕組み
・官僚機構との協働体制
これらのメカニズムが組みあわさって、巨大なインサイダー政治の体系ができあがったのだという。第3章でくわしい解説がなされる。『自民党政権』(1986年)などをふまえた、政治学的にも(おそらく)スタンダードな部類の見解だと思う。
第4章では自民党システムの特質を、歴史的な文脈と国際比較の文脈から検討している。日本の統治システムは分権性が強く、合意形成を重視する伝統が根強かったことなどが語られる。こういった「遺産」を引き継いだ自民党システムだが、ボトム・アップとコンセンサスばかりが重視されてしまった。著者は、その結果《リベラル・リーダーシップとセットとなった本来の自由民主主義(リベラル・デモクラシー)からの乖離が大きくなりすぎたことが、戦後日本政治の根底的な問題だと考えられる》としている。
国際比較の面などでは書きこみ不足もあるが、これは新書というボリュームでの制限もあり、いたしかたなかろう。
第5章では、まず、自民党型「戦後合意」の崩壊を描く。「戦後合意」とはなにか。
《自民党システムが次第に安定してきた一九六〇年代の後半以降、そこには自民党型の「戦後合意」が存在していたと考えてよい。戦争はとにかく避け、平和と繁栄を追求すること。できるだけ平等に、多くの人々の合意を大切にすること。これらが「戦後合意」の最も大切な価値であった。ある意味で当たり前のことではある。しかし、戦後日本においてほど、これらの目標が熱心に追求され、効果的に実現された国はそれほど多くはない。たぶん傑出していたと言ってもよい。もちろん多くの矛盾や不正はあったし、現実は理想からはほど遠い。にもかかわらず、戦後日本の自民党システムには、長期間継続したそれなりの理由があった。そしてそれは、平和と繁栄の果実が多くの日本国民に実際に行き渡ったということであろう。》
自民党にかなり花をもたせているが、この党のなかでも「ハト派」の勢力が大きくなった時期ではなかろうか。
それはともかく、自民党システムとは、経済成長の果実である財政資金を使うことによって「戦後合意」を実現する仕組みだった。そして、この自民党システムが、90年代以降のグローバル化や少子高齢化の流れにうまく対応できなくなってしまったのだと著者は述べる。
自民党のなかでも、これまでのイデオロギー的には同質的であった派閥の対立から、イデオロギーに沿った対立が生じてきている。もしも自民党が下野したら、分裂する可能性が大きいと著者はみている。
最後が新しい政治システムへの提言だ。うなずけるところあり反論的意見をしたいところありだが、長くなるので控える。
本書の中味については、わりあいに知られている話もすくなくないが、現代の日本政治を考えるための手引きのひとつとして読んでおいてもいい本だと思う。