紙の本
自己肯定するために学ぶ
2016/02/11 12:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まこと - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルだけ見て、図書館に予約をしたので、説教臭い本だったら嫌だなあと思っていましたが、まったくそういう本ではありませんでした。
現代は生きる目的を見つけにくく死にたい気持ちがいろいろな形で襲ってくる時代です。そんな中にあっても、どんな人でも学んでいる自分は好きでいられるはずなので、「学ぶ」ことによって自分を愛することができる。つまり「自己肯定」ができる。一時の感情に左右されずに人生を見過ごせる。これは知性があるということです。ただし知性は鍛えないと身に付きません。自分自身を輝かせる原動力は、個人の持っている才能よりも、学んでいるという充実感です。前半では主にそのようなことが述べられています。
後半では「人生の教師」としてソクラテスと孔子とその弟子たちの話などが
述べられています。江戸時代に孔子の「論語」を中心とする儒教の思想が徹底され日本に与えた影響についても述べられています。
私の亡き父は私が中学に入学すると同時に「論語」を買ってきて私に講釈を教え始めましたが、なぜ父がそのようなことをしたのかが、よくわかりました。
プラトンの「ソクラテスの弁明」、「饗宴」、そして「論語」も、もう一度読みたいと思っています。
紙の本
この本を読んだだけでは本の内容について学んだことにはならない
2016/01/24 21:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ホンの無視 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は過去の賢人たちの言葉を引用しつつ、学ぶことの大切さを説いている内容の本ではあるが、
何よりも著者が主張したいのは「この本を読んだ後は学びに向けたアクションを取れ」という事だろう。
この本を読んだ後に何を思い、何を学ぼうとするかが本当に重要になるだろう。
内容にケチをつけるなら、
著者の言う「バカの土石流」がなぜ発生しているかについての検証が足りていない点と、
この本に記載されている「学ぶ」という行為にどのような姿勢で向き合うべきか、
という論点が現代の社会環境に合っていないと感じる点である。
現代ではとにかく「時間をかけて学ぶ」という事が難しくなっていると同時に、
社会そのものが「徒労に終わるかもしれないけど教養を増やしてくれる学び」をムダなものとして切り捨てる方向に動いており、
社会そのものが「学んでもムダ」だと考えさせる土壌を醸成している点を考慮していないと思う。
それ以外は興味深い内容であり、それこそ「学び」について考え直すきっかけとなる良書だと感じる。
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人はなぜ学ばなければならないのか?
【学ぶ存在=人間】
学びは、新たな自分を形作る材料をもたらす。学んで新しい知識などを吸収することによって、自分が生まれかわることができる。
学ぶときだけは、真、善、美を中核にした事柄に触れ、普段の生活では届かない高みにかかわっていける。
いったん【学ぶ】ということをし始めると、どこまでも限りなく追及できる物事が存在し、どれだけ学んでも尽きない世界があることがわかる。
そうした世界を味わうことができれば、私たちは、虚無感と無縁になることができる。
学びとは?
他者性を取り入れる学びが狭い意味での学びであるならば、他者のいろいろな要素を組み合わせたり、離れているものを組み合わせたりして、考えるのが、広い意味での学びである。
多様性の森を作ること。
全方位的な理解力を身に付けること。
他者理解のこと。
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ニーチェ、ソクラテス、孔子など哲学者の話がよく登場するので、つかみにくかった。学びとは他者から学び、自分を知り、自分を変えていくことだと思った。
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2011/02/24 Koブログで知るそこにあった要約のうち、情報よりも体験を重視する、遊びの要素を取り入れる、の二点に特に共感。
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学ぶという事、本を読むという事の大切さを教えてくれる本。あまり読まないタイプの本でとっつきずらかったけど、その分得るものも多かったかな。本は最初から最後まできちんと読まなくて良いっていう言葉にホッとした自分がいた。
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学ぶこととは何か
学ぶことは非常におもしろいものだし、世界を広げ、生きていく上で内向きの世界に陥るのを防ぎ、密な人生を送ることができる
こう書くと、そんなこと分かっていると言われてしまいそうだが、この本を読むと、学ぶことに対してとてもわくわく感を持つことができる。
孔子とソクラテスにも興味がわいてきます
中には、耳にいたい言葉も多し。
たとえば普段、ま、そんなことどうでもいいじゃん、と、この本曰く「馬鹿の土石流」のように流してしまうことが多い。
本を読んで「へー」と思って深く考えずに、すぐ内容忘れてしまったり・・・
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3月11日以来、どっぷりハマっているニコニコ生放送で、齋藤孝氏を知って、
著書を検索したら見つけた一冊。
タイトル通りの内容の本です。
ところで・・・なぜ学ばなければならないのか?、という
問いを持ったことがありますか。
小学生ぐらいの子どもからこのような問いを受けたら何と答えますか。
この問いを持って、一時期考え込んだ経験があり
この点からも興味深く読めました。
以下、点描。
・学びとは自分を変えていくこと。
・環境に適応し、居場所をつくる能力。
・東洋においては、「学ぶ」とは「できる」がセットになっていた。
3番目に挙げた点を一部引用します。
知識には「できる」ということが伴っていなければなりません。あるいは、その事柄の本質を理解していることが必要です。
「文学とは何か」と尋ねられたときに、さっぱり分からない人は学びの経験がないことになります。それに対し、一応の見解を述べられる人は「学んだ」ということです。
さらに「カフカはこうで、三島はこう。両者の文学性は違うけれど、目指したものは・・・」などというふうに、具体的なことが語れる知識も必要です。
つまり、ある分野に関して、具体と本質を離さずに持っていなければ「学んだ」とは言えないのです。
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齋藤氏の著作は数多いが、その中では、自分にとっての為になる度/響く度は低かった。
他の著作にもでてくるエッセンスも出てきて、新鮮味が少なかったです。
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わかりやすい言葉でなぜ「学び」が必要であるかを齋藤流に解析した本。
文字が大きいし、難しいことは全然書かれていないので、学生さんでも読みやすいと思う。
学びによって自分自身を知り、そして他者を知ることが学ぶことの大きな成果でありプロセスらしい。
1人でただ黙々と本を読むだけじゃダメなんだな…。
難しくない分、今の自分をより深めるにはどうしたらいいか…ということを考えられる1冊だと思います。
内容は少ないかもだけどね(笑)
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学生が本を読まなくなってきているという。大学生でも一ヶ月に一冊も読まない率が高いらしい。最も果たして大学のレベルか?と疑問に付したくなる大学も多いが、それでも上位の大学でも似た状態は起きているのだろう。
もちろん学ぶことは学生時代だけでなく一生の話である。大学生くらいの年齢なら本を全く読まないこともことによれば肯定的に是認できる状況もあるかもしれない。しかし、社会人になってから一ヶ月に一冊も読まないというのはあきらかに愚かである。おそらく知的怠惰というレベルを通り越して、何らかの精神疾患があると言わざるを得ない。
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なぜ学ばなければなければならないのかというのは、問題設定としてはあまりよろしくない。にも関わらず、あえてこの問いを発さなければならないような時代になってしまったというのは悲しむべきだろう。これは、学校でなんでもかんでも教えようとしすぎていることと無縁ではない。子供たちはお腹いっぱいになって自ら問うという最も重要な資質を削がれている。昔は、黙っていれば誰も教えくれなかった。だから、大金をはたいてでも師に教えを請う、金持ちが多かったのだ。あらゆる享楽を体験した彼らは、女遊びよりも学問のほうが楽しいということに気づいたのだ。よく学ぶというのは、よく生きるということと密接に関係している。なにも机上の勉学だけが、学びではないのだ。日常的な疑問からでもなんでもいいから、問いを発して、事に当たること。これこそ、絶望しても生きていけるヒントなのかもしれない。
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西洋の学びの先生がソクラテス、東洋の学びの先生が孔子、という話が面白かった。なるほど、西洋は議論好き、日本人は先生の話をじっと聞くという学びの姿勢が今に残ってるように思う。古典をコーチとして人生の様々なフォームをチェックしてもらおう、なるほど、早速コーチを見つけようと思う。
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出合った人の何人か、出合った本の何冊かで「成長(人生)には師が必要だ」と言われた。そしてこの本で「書を通して教わる師は何人いてもいいし、入れ替えてもいい」と知った。そして、そうすべきであるとも。ならば俺はとりあえず、二十代前半(もう短いけど)の師を斉藤孝と内田樹にしてみようと思った。名著のイントロデュースになる部分も多いようだし。
第一講義『頭の中を学ぶ構えにせよ』
学ぶ意識とは、何よりも大事だ。そして何より、時に及びて勉励せよ。義務教育から高等教育まで、学ぶべきものに無駄なものはない。教育において平和学習を重視したとしても、科学的・論理的思考や、文章を正しく読み、伝わるように書く文章力が基本となる。そこが抜けて、戦争をどれほど嫌うように育てたとしても意味がない。
第二講義『学ぶことの意義を知れ』
固定概念を崩していくことは、修正であり次の学びへの熱意にもなる。そして、それが学びの本質である。
また、自説に合致しない事実は定着しづらい。見つけ次第メモを取るように。
『遺伝子のスイッチオン』という文が気に入った。自分向けに『細胞一つ一つの活性化』という言葉に変えて大事にしたい。スイッチオンの条件として、①良い環境で素晴らしい人に出会う ②追い込まれること と書かれていた。俺は『今この瞬間の学びを大事にし続ける』ことを意識し、その条件で細胞すべてを活性化させるようにしていきたい。
第三講義『東西の人類の師に学べ』
ソクラテスと孔子。対話の重要性、日々の自分と思いを通して学ぶことが重要。『饗宴』と『論語物語』を読んでみようと思う。
第四講義『よりよく学べ』
より深く読み、読書を体験に。より広く意識的に人と接し、会話から多くを学び自身を練る。
読書に関しては、理解できるレベルでの速読も意識しながら読むのが、習得にも時間的効率にもいいかもしれん。
「学びて思わざれば則ちくらし。思いて学ばざれば則ちあやうし」
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「なぜだろう?」と思わず考えさせられるタイトルである。答えは、それぞれだと思うが、「いい会社に入るため」とか「金持ちになるため」とか、そういった回答ではないであろう。「よりよく生きるため」というのが万人向けの答えなのかもしれない。
「学ぶ」ということは変わるということである。よりよく生きるために、過去の自分から少し変わるのである。自分中心から逃れて、自分を広く探す、そうすると常に他者との出会いがある。広く他者とコミュニケーションができ、そこから学んで自分を修正することが可能な柔軟性(自己修正力)を身につけることが必要である。そうした他者と接するということにおいて、対話と読書は学びの必須であるといえる。本書はソクラテスや孔子の偉業を詳しく教えてくれる。
「学び」とは、学んだことによって、自分自身が変わり、よりよく生きていける力を得ることである。学んでいる人間は生きている限り、自分自身を知り、他者を知り、さらにこの世界を知りたいと思う。なぜなら、「学ぶ」ことには広がっていく感覚や深まっていく感じがあり、それによって自分がより安定していくようにおもえるからである。