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脳のモジュール化が、ある種の流行になっているが、それがむしろデカルト的な思考の流れであること。
心とは脳の反映ではなく、拡張されたものであること。
全体を通して、目からうろこ的な教示をいただいた。
古い考え方から新しい考え方まで、とてもわかりやすく解説されている。
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(今の)脳科学で分かること分からないことを取り上げて,脳科学の倫理を考えましょうというおはなし.
どっちつかずで中途半端.哲学的な議論にしては表面的すぎる気がしたし,脳科学の限界を示すならもう少し研究を引用した方が良いと思うのだけど.
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最近の脳科学研究や似非研究について書かれていると思いきや、脳研究の前段階の議論(心の話や倫理的なもの)だった。広く浅くの脳科学。脳科学のラベリングが恣意的であるという主張には納得。
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心は脳にあるという説は、古代ギリシャのヒポクラテスがすでに唱えていた。
心身問題は心の哲学と呼ばれる分野へと発展した。心の哲学とは古典的な心身問題に加えて、心の科学はどのような方法論にのっとればよいか、コンピュータは心を持てるか、といった心の定義の基礎や方法論を扱う哲学。
感情もまた社会性を帯びている。感情社会学が示す通りに、いらだちやフラストレーションと、怒りとは、大同小異だと済ませるわけにはいかない。
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コネクショニズムのニューラルネットワークのお話はとてもおもしろかった。人工知能に学習させることができるなんて知らなかった。人工「知能」っていうくらいだから、学習できるのは当たり前なような気がするけど、今までそこに気付かなかった。コンピュータはあるものをそのまま記憶することが得意なのは知っていたけど、学習させることで正解率を上げることができるなんて驚きました。
本書の主張と直接関わっている部分ではないとは思うけれど、人工知能の話が一番印象に残りました。
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脳研究によって、心の動きがわかるようになるのか。そもそも脳イコール心と言えるのか。脳を調べることで心の状態を読むことは可能か。人間の行動は脳によって決定され、自由などは幻想に過ぎないのか。脳研究が医療や教育、犯罪捜査、裁判などに応用されることは、どのような社会的インパクトを持ち、どのような倫理的問題が生じるだろうか。―“脳の時代”を生きる我々誰しもが持つ疑問に、気鋭の哲学者が明快に答える。現代人必読の“脳科学リテラシー”入門書
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[ 内容 ]
脳研究によって、心の動きがわかるようになるのか。
そもそも脳イコール心と言えるのか。
脳を調べることで心の状態を読むことは可能か。
人間の行動は脳によって決定され、自由などは幻想に過ぎないのか。
脳研究が医療や教育、犯罪捜査、裁判などに応用されることは、どのような社会的インパクトを持ち、どのような倫理的問題が生じるだろうか。-“脳の時代”を生きる我々誰しもが持つ疑問に、気鋭の哲学者が明快に答える。
現代人必読の“脳科学リテラシー”入門書。
[ 目次 ]
第1章 脳の時代と哲学
第2章 脳と拡張とした心
第3章 マインド・リーディングは可能か
第4章 社会的存在としての心
第5章 脳研究は自由意志を否定するか
第6章 脳神経倫理
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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脳科学が進むにつれ、哲学や経済学、マーケティングや美術など、思いもよらなかった分野との融合が起こっている。本書の内容は、哲学者から見た脳科学で、題名にもあるように、脳科学を実社会に応用する際の倫理について述べることが一つの柱になっている。それとは別に、この人が考えているフレームワークともいうべき「拡張した心」の説明がよい。ギブソンのアフォーダンスについて、これまではどこが優れた理論なのかよく分からなかったが、本書ですっと腑に落ちたような。。。心身問題の歴史についての概説も分かりやすい。「心」は内面的なものではあるが、脳の内部に限局するものではない。環境や社会を含めたものであるという。例えば、5桁の掛け算を計算する場合、その心的作業は脳内のみで行なわれるのではなく、紙と鉛筆など外部環境を含む形で行なわれる。また、心的状態は社会的にも規定される。「記憶」という行為は無文字社会ではおそらく必要がない行為だろう。文字を使い、記録するという正確さが要求される社会でのみ意味がある。より高次の心的機能についても同様で、すなわち、「心は環境へと広がったシステムであり、脳はその一部を担っている。しかし、そのシステムは社会的環境へも広がっており、システムは社会に適応することで、社会からの規範的な規定を受ける」
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書かれている内容は納得する点が多かったものの、これを読んだだけでは「暴走している」とまで言えるかは疑わしいと感じた。
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題名につられ読みはじめたが、安易なものではなく、なかなか本格的なもの。新書らしい一冊と言えよう。
脳研究が社会に及ぼす影響への考察など、示唆にとむ。
残念なのは、文章がすんなり頭の中にはいってこない。自分に哲学の素養や科学的基礎知識が欠落してるためだと思うが。
かなり読者を選ぶかもしれない。
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著者は立教大学教育学部教授の哲学者。メルロ・ポンティなどの本を書いている方のようです。2008年初版。本書の副題は”哲学・倫理学からの批判的検討”とのことで、哲学者から見た最近の脳科学に対する見解、といったところでしょうか。最近の脳科学に関する動向がうまくサマライズされているので、脳科学入門として読むのも良いのではないかと思います。
哲学者から見た脳科学の批判的検討としては例えば、”脳と拡張した心”の章で述べられているような、脳が心といってよいのか、といった内容が述べられています。著者は他に”心は体の外にある”といった著作があるように、アフォーダンスといった拡張した心論をよく述べている方。要するに人間や脳を解剖してもこころが見えてくるわけではなく、それを取り巻く環境まで含めないとこころは捉えられるものではない、ということかと思います。
特に印象に残ったのは第五章、”脳研究は自由意志を否定するか”。”自由意志”の問題は脳研究や哲学、心理学のテーマの定番で、特に脳研究では自由意識に関するリベットの実験がお決まりですが、これに対して心の哲学者ダニエル・デメットの”意思的な決断が起こる瞬間が存在するというのは一種の神話であり、医師は時間の幅をもって分布しているのであり、その瞬間を測定できるたぐいのものではない”といった批判的見解を紹介しています。
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脳科学の産業応用の本を読むと同時に、脳科学のの倫理的考察を行うこの著書を読めたのは、実にタイミングが良かった。最新の脳科学の動向を、哲学の視点からじっくり整理している点も素晴らしいが、将来現実になる脳科学応用に向けた倫理のあり方、引いては、著者が考える人間観まで感じられる点に感銘した。
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言葉というのは、最大の発明であるが厄介でもあって、心に宿る事象を我々はいまだ完璧に言葉で共有できていないし、ズバリと言い表していないのかもしれない…。脳の研究を進め、仮に人の能力をEnhanceしていく上では、感情と言葉の一致は避けて通れないようですね。そこを見落とした時に、ロボトミーのような誤った行為が再び生まれるかもしれない。現在もロボトミーと共通するのは「社会」の枠組みで人間の心を考えていることであり、やっぱ悪いことに使われそうですね。おほほ。
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第2章より。
<1>〜19世紀中
・ヒポクラテス…心は脳にある
・アリストテレス…心は心臓に
・魂は全身の感覚器に散在…ロッツェ、ルイス(19C)
<2>〜19世紀末
1 相互作用説:心身をそれぞれ独立した実体としたうえで因果関係あり、と考える…デカルト:「心の座は脳である」
2 平行論:心身間に対応関係はあるが因果関係はない…マールブランシュ、ライプニッツ
3 唯物論:ホッブズ(17C)、ドルバック、ラ・メトリ(18C)、フォイエルバッハ、マルクス(19C)
4 唯心論:バークリ、ヘーゲル、ベルクソン
<3>1940年代…「行動」に注目して心身二元論を克服する試み
・メルロ=ポンティ「行動の構造」
・ギルバート・ライル「心の概念」
<4>20世紀後半〜
・認知科学、脳科学…古典的計算主義/コネクショニズム
・90年代中ごろ以降→「拡張した心(extended mind)」…心は、脳も含めた身体の内部器官のみならず、その全身の振る舞い、そして人間が作り出した造作物において実現している
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言葉や感情を成り立たせているのは社会か、それとも個人か、というあたりは脳科学とはあまり関係ないような気がしてならない。
あらゆる問題の根源を自身の内面に求める心理主義化に陥ってるという指摘は妥当だが、世の中はその後「脳科学化」に陥ってるともいえなくもない。
章が進むにつれて脳科学とは離れていくのだけど、自由意志とリベットの実験についての考察は読む価値はあると思う。