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現代思想のパフォーマンス (光文社新書)
現代思想のパフォーマンス
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紙の本
現代思想を 現実に対して どうやって使っていくのかということ
2009/09/14 02:57
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本のユニークさは現代思想をいかに現実に応用するかという試みである「実践編」にある。
最近 哲学への興味が出てきた。原典を読む基礎的体力が無いので 新書での解説書をいくつか読んでいる。次第に面白みが出てきているが 一方 その「面白み」が現実の自分にとって何を意味するのかが今一つ見えてきていない。面白いと思うことは 自分の現実にとって 何か具体的な接点があるからだと考えるが その具体的な接点が見えず 従い 「なにかわからないが面白い」という状態であった。
本書は「現代思想」の「使い方」に力点を置いている。紹介する思想家の思想を「使って」 どのように現実が解釈できるのかということを 例えば「不思議の国のアリス」や「エイリアン」を素材として使うことで見せてくれる。
その「現実の解釈」とは何か。蛮勇を振るって 一言で言い切るならば「自分とは 自分で思っているほどに自由な主体ではなく、自分で考えていることも必ず その時代、環境、思想によって恐ろしいくらい左右されている ということを自分は知らない」となる。
その自分の「無知」に気が付き 自分を相対化することが 現代思想の「使い勝手」だと考えてみると 目から鱗が落ちる思いがする。そうして見えてきた新しい風景と自分自身が 何より面白いのだ。
自分にとって 自分は良く分かっている積もりだが 実際にはほとんど分かっていない。それをわきまえないことで 実に多くの悲喜劇が生まれてきている。それをわきまえることが 自分を律するということなのかもしれない。そう考える機会を与えてくれた本書に感謝する次第だ。
紙の本
現代思想のリーダーとして最適!
2004/11/23 11:00
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、思想書のアンソロジーを目指したものだ。取り上げられた思想家は、ソシュール(難波江)、ロラン・バルト(内田)、フーコー(難波江)、レヴィ=ストロース(内田)、ジャック・ラカン(内田)、サイード(難波江)の六人である。もちろん、著者らも自覚しているように、これだけではとても現代思想を覆いきれないし、フランス系に偏ったものだ。しかし、新書一冊にあれもこれも望むのは土台無理なこと。それよりも、この本で著者らが目指したことのほうが大切だと思う。すなわち、これらの思想を「ツール」として、どうやって使ったらよいのか、その「パフォーマンス」を示したことが重要なのだ。
論じられている六人の思想家は、日本でもすでに何年も前から知られており、当然入門書や解説書の類も多い。したがって、すでにこれらの思想に触れている人にとっては、この本を読んでもそれほど新鮮な刺激は受けないかもしれない。この本は、まだ思想に触れたことがないか、あるいは少しは知っているけれどそれをどうやって使うのかが分からないという人にお薦めだ。
思想を理解することは難しい。この中の一人の思想家を理解しようと思ったら、けっこう大変なことだ。一方で、新しい思想はつぎつぎと入ってくる。私は、思想書を読むのが苦手なので、思想を充分に理解できないし、ましてその思想をどの場面で、どのように用いたら効果的なのか分からない。だから、こうした教科書のような本があると助かる。とりあえずのパースペクティブが得られるからだ。
また、思想の「使い方」を知ることも重要だ。私の経験だが、思想の内容はなんとなく分かっても、それをどこにどうやって使ったらよいのかが分からないということがある。これでは、せっかく苦労して思想書を読んでも、宝の持ち腐れではないか!。なんてもったいないことだろう。「この場面で、この思想を使う」ということを知っておくのも必要なことだと思う。
あとがきで、内田氏は「部品の勉強はいいから、まず運転してごらん」と学生に向かって言う、と書いている。パソコンの動く仕組みもよく知らない、テレビがどうして映るのかもよく分からないが、それでも日々パソコンを使い、テレビを見ている。道具は、使っている内に「何をする」ための道具なのか、自ずと分かってくるだろう、と。
たしかに使ってみて理解できることもあるのだろう。これはまた身体論の一つなのかもしれない。思想を頭ではなく身体として用いること。本書は、そのための良きガイド役となるだろう。
紙の本
現代思想を道具としてとらえる。
2004/11/23 10:18
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんていうのか受験的知識というのか、クイズ的知識ってあるよね。たとえば、ミシェル・フーコーなら、『監獄の誕生』『狂気の歴史』の作者であるとか、やフーコーはそれまでの哲学的概念に対して考古学的、構造主義的アプローチで風穴を開けたとか。俗っぽくなるとゲイでエイズで死んだとか。
かといっていきなり著作を読むのは、竹ヤリで米兵に立ち向かうようなもので、勇ましい行為だけど、ほとんど中途で投げ出してしまう。
この哲学者はいったい何をメッセージしたかったのか。果たした役割は。“点”的知識ではなく、もう少し有機的な、せめて“線”になるぐらいのものを知りたい。そんな人のために、書かれたのが、この本。
知識じゃなくて考え方、道具として使いこなしてほしい観点から書かれたもので、紋切り型の事実の羅列や何を言っているのかわからない、意外とありがちなその手のものじゃなくて、二人の作者がきわめて明快に、ある意味、独断的に、6人の思想家を、案内している。
ソシュール、バルト、フーコー、レヴィ=ストロース、ラカン、サイード。それぞれが「案内編と解説編と実践編」から構成されていて、わかるとこまで読めばいいという親切なトリプルシステム。これがともかく面白い。あっという間に読み終えてしまった。
うーん、大学時代にこんな本と出会えてれば。ぼくの人生も、も少しまっとうになっていたかも(って、たぶん、そんなには変わってないか)。
とりあえず、その一人、ロラン・バルトの引用の引用。
「作者に代わるのは『書き込む人』である。彼は自分の内面に情念や気分や感情や印象などとというものをもう所有してはいない。彼の中にあるのは巨大な辞典であり、彼はそこから終わることのないエクリチュールを汲み上げるのである。人生とは書物を模倣することに他ならない。そして、この書物もまた記号の織物、すなわち失われた無限に延期された模倣に過ぎないのである」(『作者の死』)
いやあ相変わらずの名文。バルトは散文詩のような文章を書く。美しいんだけど、すぐにはわからない。なんで。ネット時代、ブログ時代の先駆け的発想をしていたと内田は述べているが、確かに、いえてる。
デリダとレヴィナスを取り上げられなかったのが残念と内田のあとがきにあるが、この二人も、ぜひこのスタイルで読んでみたい。続編、切望。