紙の本
緻密な風景描写に驚かされる柴崎友香「寝ても覚めても」。
2011/10/25 17:50
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る
この小説には驚いた。と同時にこれを初めて読む柴崎作品に選んだこ
とを後悔した。このスタイルがこれまでもそうだったのか、それともこ
の作品独自のものなのかが良くわからないからだ。こんな感じでずっと
書いてきた作家なのだろうか?昨年、かなり話題になっていたのであま
り考えずに手にしたのだけど…。
まずスゴいのは風景描写の緻密さだ。柴崎友香はありとあらゆる手を
使って(というのもヘンな言い方だが)描きたい風景を言葉にしようと
している。それは見事に成功していてリアルな風景が目の前にクッキリ
と浮かびあがってくる。文章と文章の間に挿入される短い一文も効果的
だ。それは、まるでシャッターを押すように風景を切り取っていく。主
人公が写真が好きということもあるのだろうが、このこだわり!柴崎友
香は視線の作家なのだろう。この物語、最初は大阪が舞台である。こう
いう緻密な描写と大阪弁の会話が同居してるのがなんともおかしい。両
者のトーンがあきらかに違うのだ。「う〜ん、変わってる」と読み進め
ているうちに思った。
さて、物語だが、これは朝子という女性の22歳から31歳までの「10
年の恋」の話だ。彼女は大阪で麦という男に恋をする。しかし、彼が失
踪し関係は途切れる。その後、東京に出てきた朝子は麦とそっくりな亮
介という青年と出会い、また恋に落ちる。大阪の麦と東京の亮介。見た
目がそっくりというのもまた、ヴィジュアルの話である。柴崎はこうい
うこだわりの中で物語を紡いでゆく。亮介との出会いから話は深度を増
し、不思議さも増してくる。物語の終盤近くでの花見のシーンがなんと
も印象的。ここは本当にいいなぁ。そして、ラストに向かって意外な展
開が僕らを待ち受けている。
紙の本
こんなヒロイン見たことない。
2019/03/04 16:14
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投稿者:のりちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝子の心理と行動はどうなっているのか。麦の身勝手さを十分思い知っていたのではないのか。これでは自分自身がいい加減。30歳超えたら大人の恋でしょうが。二人の男性の間で揺れ動く女心とはちょっとちゃうでー。
それとも著者は、昔男性が女性を選び放題の時の復讐をしているのかな。(笑い)
亮平も簡単に許したらあかんねん。
もうなにこのちゃらんぽらんで自分の意思がない物語はという感じがした。
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ザ・恋愛小説。泉谷に共感できるような、できないような…
でも、同じことは絶対に!できない。実際に起こらないケド。
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「知らない人と話すのは簡単で、知っている人と話すのはだんだん難しいことになっていく、と思った。」
恋ってなんだろうって考えた。
考えたけど結局わからなかった。
でも、きっと直感を信じなければ後悔が残るだけだと思った。
その先が晴れだろうが雨だろうが、後悔するよりは進んだ方がマシ。
こんなに素直には生きられないけど、決してほめられた生き方じゃないけど、なんか元気づけられる。
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タンタンと日々がすぎ、パッと次のシーンがはじまる感じ、
そして、ラストに向けての疾走感。
こんなに先が気になって仕方なくて、
読み進めるのにドキドキした柴崎さんの作品は初めてです。
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「人は、人のどこに恋をするんだろう?」
読み終えたあと、帯にあったこの一文に「たしかに疑問。」と唸ってしまった。
運命的なものにしがみつきたくなる気持ち、なんとなくわかる。
当たり前にそばにあるものほど、そのありがたみになかなか気づけなかったりすることも。
主人公は決してまともな人間とはいえない。どちらかというと色んなことにだらしないタイプ。自分もそうだからなんだか胸が痛む。
大事なものを手に入れることは簡単じゃないんだな、運命も永遠も、現実の前ではどこまでも幻想で、夢でしかないんだな。そんなようなことを思った。
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子供の頃、天井の木目をじっと眺めていると、それがだんだんまったく別なものに見えてくる瞬間があって、一時期、僕はその天井を凝視し続ける遊びに熱中していた。
日頃見慣れた天井が「天井」ではなくなっていって、ものそれ自体として迫ってきて、そこだけが浮かび上がってくるような感覚。
それが、面白く、また時々とても恐ろしかった。
柴崎友香の「寝ても覚めても」の語り手も、おそらくそれに取り付かれている。
意味から切り離されたものごとの異様さに。
「上を見るとアーケードの半透明の屋根を、黒い四つの点が移動していた。猫の足だった。あれ、とわたしが指差したときには、もういなくなっていた。頭上を猫が横切ったことを知っているのは、大勢の中でわたしだけだった。もうすぐ日が暮れるから、そうしたらまたあの猫が歩いても誰にも見えないと思った」
物語の中に突然挿入されるこんな断片が恐ろしく感じられるのは、普通は気づかずに見逃してしまうようないわば「背景」に過ぎないものを、そのコンテクストを無視して切り出してしまうことで、それがまるで「世界」という大きな意味の体系から、遠く離れてしまったような感じがするからだ。
例えば内田百閒はそれを「夢」というフォーマットで形象化したが、柴崎友香はあくまで「現実」として、繰り返し、執拗に描く。
例えば、友人たちとテレビを見ているこんな場面。
「まったく同じ格好の双子が、声を合わせて叫んだ。声も、同じだった。右下から、解説役の荒俣宏が、砂色のサファリな格好で登場した。そして、言った。
「ところできみたち、二人なの、一人なの、どっち?」
わたしは驚愕した。このような重要な問いをテレビで投げかけるなんて。やはり荒俣宏は恐ろしい人だ。テレビからこのような言葉が、全国のお茶の間に響き渡ろうとは。
わたしは狼狽して、テーブルを囲むみんなの顔を確かめた」
「わたし」はふたりのよく似た男性に恋をしているのだから、当然双子のモチーフに敏感に反応するのは当たり前なのだが、このくだりはそれでも異様だ。
まるで、彼女の考えが電波でテレビから漏れだしていて、それを代弁した荒俣宏に恐怖を感じ、周りに自分の考えが知られていないかおびえている、かのようだ。
幻聴に捕われた精神病患者のような。
だから、ほとんど唖然とする結末も、あらかじめ予期されていたものだ。
彼女は、この物語のある段階から、目の前で起きていることや自分が考えてることを「自分」という主体に統合するのをやめてしまっているのだと思う。
目の前を通り過ぎていくものごとにただそのつど反応するのだが、肝心な彼女の物語は完全に崩壊してしまっている。
しかし、これほど恐ろしいことがあるだろうか。
(そういえば、彼女はこの小説の中で頻繁に街を見下ろしたり、ビルを見上げたりするのだが、そんな俯瞰や仰視の光景がほとんど臨死体験のように読めて仕方ないのだが、気のせいだろうか?限りなく死に近づいていく視点!!)
それは一般に「狂気」と呼ばれる類いのものかもしれな��。
だが、この物語を読んだ読者は、それが自分とは関係のないことだとすますことはもうできないだろう。
それは寝ても覚めても、どこにでも偏在していて、いつ目を覚ますかわからない存在の要件のひとつだから。
ひょっとしたら、もうすでに手遅れなのかもしれない。
もちろん、わたしや、あなたも。
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p.27「わたしと彼が、並んで鏡に映っていて、彼に会えたわたしがもう一人いるみたいでうれしかった。」
初め、麦くんとの恋は好きだった。
ラスト、こんなどんでん返しって…。
もう連絡しなくていいと友達に言われる恋って…。
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文体がすごく特徴的で、短い文章を繋げたと思ったら急にだらだらと長い文章が繋がり、その組合せが独特の空気感を演出している。無駄と思える描写を薄く積み重ねていくことにより主人公の受動的な生き方が浮き彫りになる。一見何もないシーンを繋ぎ合せて長期間(10年?)を描く感じはユニーク。歳を取るというのはこういうことかもしれない。
しかし、このダラダラ続く感じが私には読みづらいですかね。
ラストは「何なの?」って感じなんだけれど、女性はよくわからない生き物だということを強く再認識させてくれる。
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書評家の豊崎さんが絶賛されていたのでてに取りました。
うーん。
柴崎さんの本、あまり読んだことなかったのですが、なんだかたんたんとしていて、言い方悪いかもですが退屈だったり。
短い文章を繋げてひとつの物語に。
とても風変わりな恋愛小説。
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これは、すごい。
これはこれでありだとは思うけど、終盤の展開は意外だった。
椅子から鞄になったのは、どうして?
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『桜の木が並ぶこの一角には、ブルーシートや虹色のビニールシートが隙間を見つけては敷かれ、近くなった他人同士はいっしょに宴会をしているように見えて、決して話しかけたりしなかったのだけど、その全員が今日は桜が咲いていると思ってここに来たと思ったらうれしかった』
過去形の音の響きが何度も何度も繰り返される。気持ちが一文一文区切られたようになる。ここに自分の好きな柴崎友香は本当に居るのだろうか。読み始めて直ぐにとても不安になる。彼女の小説の中では、起こったとしてもさりげない印象を残す月日の流れが、はっきりと言葉になって告げられる。人は去り、新しい人が現れる。自分の不安はますます募る。風景描写にいつものような身体的な動きが感じられない。言葉が文字通りの意味にしか読み取れない。
ここには柴崎友香の小説に溢れていた筈の「今」がない。そうだ、それが不安の元なのだ。
柴崎友香は何気ない日常を的確に切り取ることのできる作家だと思う。特に何か大きな出来事が起こるわけではないけれど、「今」という瞬間が持っているたくさんの可能性や、主人公の多面的な心の動きを、今と言う瞬間を描写することで描き出す。しかし、この作品では主人公の「今」が中々落ち着かない。
今が何時であるのかは明確に示されているのだが、その提示にはその日付が既に過去の一点であったというニュアンスが満ちていて、無意識の内に、ああ柴崎友香の物語はまだ始まっていないのだ、という了解が起こってしまう。勝手と言えば勝手なのだけれど、それが不安のメカニズムであるような気がする。つるつるとした表面に足をとられるようにして先へ読み進んでしまう。ひょっとしたら、このまま終わってしまうのだろうかという不安がふつふつと沸いてくる。
終盤、ようやく柴崎友香の「今」があらわれる。そうそうこういう文章が読みたかったんだと少しだけ安心する。しかしそう思った途端、またしても「今」は過去となり、時は流れてしまう。
読み返す、何度か。その内に見えてくる。そして柴崎友香にはついぞ求めて来なかった物語性をなぞって先へ先へ読み進めようとする自分がいることを発見する。
ひょっとして柴崎友香は新しい小説を目指しているのかもしれない。今まで語らないことで担保していた多くの可能性を投げだし、一つの可能性を選択するという物語性を、今という瞬間瞬間を積み重ねることで語ろうとするような小説を。今を描くだけで主人公を安易に動かさなかった柴崎友香が、今を描くことが主人公を動かす力となるような小説を。この作品はそういう意味では大いなる習作なのかも知れない。
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全く読み進められず、パラパラめくって終わりにしてしまった。
登場人物の感情、ストーリーに現実味が感じられない。文字がから滑りしているような…。私には合わなかったようです。
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期待はずれ。帯や、王様のブランチ、書評などで高く評価されていたので読んでみたのだが、いまいち読み進められず。この話が評価されているところというのは、ストーリー全体というよりも、登場人物たちの毎日の営みや生活の細部、その中でのちょっとした出来事の描写なのかな、と感じたものの、そこに全く共感することも入り込むことも出来なかった。書き手の方とは世代も近いのにこんなに合わないのも不思議。フィーリングが合う人はこの話、ぴったりくるのかな。読み終えた後、久しぶりのがっかり感を味わった。
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泉谷朝子は鳥居麦に恋をした。22歳だった。麦はとらえどころがなく、ちょっと出たまま長いこと帰ってこなかったりする男だった。ある日ふらりといなくなり、朝子は待ち続けたが麦に顔が似ている亮平と出会ってしまい恋に落ちる。そんなとき、十年も経って麦は俳優として画面に戻ってきたのだった。
いつもながら著者の描き出す女の子たちの日常は、手を伸ばせば触れられそうに現実感を持ち、気だるさまで伴って読者を同じ場所へ連れだすようである。大人からみればメリハリのない行き当たりばったりの暮らしにも見え、だが本人たちにしてみれば日々を精一杯生きている、というような。
朝子の恋は結局はなんだったのだろう。友人からも恋人からも遠ざけられることになり、それでもそのときの自分の気持ちに正直だったことで自分自身を納得させることができるのだろうか。わたしにはよくわからない朝子なのだった。