「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
津波に呑まれて九死に一生を得た総局長、殉職した販売店主、倒壊した組版システム…。東日本大震災で、自らも被災しながら報道を続ける東北の地元紙『河北新報』の全記録。【「TRC MARC」の商品解説】
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
書店員レビュー
事実は小説よりも奇な...
ジュンク堂書店新潟店さん
事実は小説よりも奇なり
仙台市に本社を構える新聞社、河北新報社。
創業以来、1日も欠かさず新聞を発行し続けてきた。
東日本大震災が起ころうとも1日も欠かさず。
河北が他の新聞社と違う点は河北もまた被災者であるということだ。
被災者が被災地、被災者を報道するからこそ向き合う問題がひとつ、またひとつと浮かび上がってくる。
決して答えの出ないこれらの問題に、河北は悩み苦しみながら前に進んでいく。
自分の下した決断に今も答えが出せない者、記者という職を去る者、河北の全てを実名を公表して記している。
登場人物がはっきりとしているため、読み進めていくうちに一瞬これは小説ではないかという錯覚に陥るけれど、全て現実であることをまた文章が教えてくれる。
それは読み終わっても、河北が向き合っている問題は終わっていないということだ。
被災地の報道機関だからこそ見える被災地や被災者の姿は必見。
社会科学書担当 金城
紙の本
涙流れるまま。しかし、それでも。
2012/03/02 22:06
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰も経験したことのない、過酷な、あまりにも過酷な現実。
つい今の今まで、普通の暮しを営み、普通の明日が来ることを何一つ疑っていなかった人々を襲った災害。
ページをめくると、早くも冒頭からこみ上げてくるものがあって、涙も鼻水も止めることが出来ない。鼻をすすり涙流れるままに読む。
新聞記者として、地元紙として、何が出来るのかを問い続け、現実に向い続けた、河北新報の記録である。
「われわれはみな被災者だ。今は誰かを責めることは絶対にするな」と戒める報道部長。自分たちも被災しながら、時には無力感と自責に駆られながら、伝え続ける。
生活も、慣れ親しんだ土地も、電気も通信手段も奪われ、自分も九死に一生を得ながら、それを押さえ、昔のように紙にペンで気仙沼総局長が綴る記事からは、苦渋がしたたってくる。
建物の屋上で助けを求める人々に「ごめんなさいね(略)僕たちは撮ることしかできない。助けてあげられないんだ」と呟きながら空中のヘリコプターから写真を撮るカメラマンからにじみ出てくるのは、こらえ難いほどの悔しさだ。
中程からは、冷静に読む。
感情的な部分を極力押さえ、記録として淡々と綴っていこうとしている姿勢がわかってくるので。
「死者『万単位に』」の見出しをどうしても打つことが出来ず「犠牲『万単位に』」とした時、そして、津波が人々の命を奪った瞬間を捉えたスクープ写真を被災地の人々が目にすることを苦慮しボツにした時、河北新報は、被災者に寄り添い、被災者と共にあることを選んだのだ。
1年がたとうとしているが、復興への道程はまだまだ続く。時間の経過とともに、状況も人々の要求することも思うことも変化していく。
新聞の、河北新報の、役果たす役割は、変化しながら続いていくだろう。
紙の本
震災の惨さと、「使命」を持つ仕事と。
2012/02/15 10:18
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう1年が経ってしまうんですね、あの震災から。まさに「現地」である宮城県の県紙「河北新報」が、「その時」から「それから」で何を思い、何をして、何を残してきたか、という「真実」が語られます。
自らが被災者でもあり、当日の新聞発行が危ぶまれた中で、他の新聞社の協力や輸送、配達にかかわる人たちの「プロ意識」に支えられ、永く続いた「発行」を止めることなく動き続けた彼ら。震災という経験のない場を前にして、彼らが考え行動した記録が残されています。
首都圏にしか居住したことがないので、「地方紙」「県紙」という位置づけがいまひとつ分かっていません。そもそも「河北」という名称が何を指すのかすら...これは、福島県の「白河以北」、つまり「東北」を意味しており、ある意味では東北に対する侮蔑的な表現でもあるのだが、敢えてこれを題字としている、という。もともと気概あふれる精神がそこにあるのだ。
震災当日の「発行が危ぶまれた社内」、翌日以降の「被災地の取材」、インフラが壊滅状態の中での配達。これらは震災の惨さが現実のものとして生々しく突き刺さってくるが、若干は「新聞社目線」があるなあ、と感じた。「情報を伝える」という使命を担い、それに邁進する姿だが、それも必要だが、被災者への取材ってどうなの、って思ってしまう自分もいる。取材に行くんだったら支援物資を持って行ったほうが...とか、取材のための資源(ガソリンなど)を確保することがホントに正しいのか...って思ってしまう。
...という考えがアタマのどこかに居座っていたんだけど、実際に現場に赴いた記者の中にもそのような感情を持っている人が大多数であることがわかった。上空からの撮影のためのヘリから、屋上で助けを求めている人たちを見たカメラマン、原発事故により避難をして、避難をした場所から「現地」に電話取材をした記者がもった違和感、避難所で「私たちはもう頑張っている」と言われた記者...
中でも、刺激的な「その時」の写真を掲載しないことを決断したこと(全国紙は躊躇なく使用)とか、「死者」という言葉を「犠牲」に置き換えて掲載したとか、原発事故と同等あるいはそれ以上に津波被害について追いかけ続けたとか。
そこには新聞社としてのプロフェッショナルと、被災者としての同じ気持ちがある。そしてなにより、地元の新聞社として、そこに住んでいる読者のことを考える、彼らのことを想う気持ちがある。「地域密着型」なんて陳腐な言葉で言い表せない、本当の意味で「一緒に」なっている姿が浮かんでくる。
いいたいことはたくさんあるのだろう。特に「国」に対して、とか。もちろん本書にないだけで、本紙にはあるのかもしれないけれど。でも、本書ではそれを封印して、自社の考え方、地元のためを思う心、仕事に対する責任感、そんなことが繰り返される。
震災そのものの惨劇、そしていまだ戦っている被災者、まだ数多く残る行方不明者、これらを風化させてはならない、そのために「記録」を「報道」することに、そして地元の人たちとともに「復興」にむけて「ふんばる」ことを決意した新聞社。
本書に登場する記者やデスク、関係者の方は(実名で記載されているんだけど)、40代前半の方が非常に多い。苦しいだろうけれど、頑張っている姿に、同じ年代として、そこまでできていない自分に悔しさもある。
震災で被災した方がまだ戦い続けている中で、被災していない自分がいうのも失礼かもしれないが、自分の中でも「震災」によって、考え方が変わってきているんだよね。だから何ができるかわからないけれど、自分にできることをしていきたい。なんらかのカタチで回りくどくても、同じ日本人として何かできることはあるはずだから。
【ことば】全国紙や在京キー局は...一段落したら潮が引くように震災報道から切り上げる。だが地元紙はその後も長く被災者に寄りそい続ける。震災発生直後は見えなかった問題が、数ヵ月後に...苦しめることもある。
ドキっとする。「当時」も大変だったと思うけれども、「その後」も相当な苦難なのだろう。そんなときにこそできることもあるはずだ。それを思い起こさせてくれる役割もあるんだね。そういう情報は、既に入ってこない。たまにTVニュースで「特集」されるだけだ。何ができるか...考えてみる。
紙の本
忘れられないこと、忘れちゃいけないことを思い出した本
2012/01/24 21:22
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽんち - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は当時北海道にいたので、人ごとには思えず
一気に読みました。
3.11の河北新報の方達の様子が
手に取るようにわかりました。
「共に生きる」というのを強く感じました。
10ヶ月以上が過ぎ、ニュースでも
取り上げられる時間が短くなりましたが、
改めて、震災のことは忘れちゃいけないと
思わせてくれた1冊でした。
紙の本
地元新聞社の記者たちの震災報道
2015/09/18 17:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ミキ - この投稿者のレビュー一覧を見る
地元新聞社の記者たちが震災の混乱の中、各自真摯に孤軍奮闘しながら記事を書き上げていく様子が書かれています。