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上下巻からなるこの本、上巻では主に現生人類と類人猿やチンパンジーやゴリラなどの他の霊長類との比較がメインになっている。化石などの骨格標本から、頭蓋骨、骨盤の違いを見て、直立歩行の影響を論じている。
人類は他の生物と同じく環境に合わせて進化をしてきたが、適応が最も強力に進化するのは形勢が不利なときであるため、必ずしも現代の環境に適したものではない。そのことから多くの問題が引き起こされるのだが、それを人類の歴史から紐解くのが本書の目的となる。
著者は、二足歩行が人類が他の類人猿とは別の進化の道を進ませる最初の決定的な適応だという。そのことで骨格にもいろいろな特徴が見て取れる。
また、食料加工により食べたものの消化に費やすエネルギーを大幅に節約できるようになったことも大きいという。そのために余ったエネルギーを脳の成長と維持に回すことができたという。脳はエネルギーを消費するため、脳を大きくすることが進化上の利点があることは必ずしも自明ではないのである。一方、旧人類において脳が大きくなり続けたということは、賢くなることの繁殖上の便益が費用を上回っていたということができる。そして、このとき脳の拡大に伴って新たに獲得した能力のひとつが協力する能力であっただろうとも説明する。
さらに旧人類と現生人類との差として、頭蓋の特徴から明瞭で聞き取りやすい言語音を非常に速いペースで発することにたけていたことを挙げる。そのことからわれわれは新しい発想を生み出したり伝え合ったりする素質に優れていると結論づける。われわれの成功の本質はわれわれが優れて文化的な種であるというのが著者の説明だ。
しかし、この本は上下二巻にする必要があったのか。この長さにするためには、その必然性がなければならないと思う。長い参考文献と索引が付いていて真面目な内容の本だが、単巻にすることもできたはずだ。特にページ数に本来制約のない電子書籍まで二巻組にするのは怠慢であるように思うのだが。
かつ、内容に大きな「驚き」がないのが残念。この点は読者次第でもあるかと思うが、同じく上下二巻の『病の皇帝がん』や『銃・病原菌・鉄』には驚きと発見があったのだが。
やはり一巻にまとめるべき内容であるように思うのだが、どうだろうか。
ということで下巻に続く。
『人体600万年史(下):科学が明かす進化・健康・疾病』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152095660
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本文だけで上下巻合わせて500ページを超える大作だが、著者の言うように、これでもまだ事象の表面をなぞっただけ、もっと深いところまで考察を進めたものを読みたくなる、そんな総論だ。
非常に壮大なテーマを高く掲げ、網羅的かつ論理的に、それでいて平易な言葉で分かりやすく見解を説いているという点では、ジャレド・ダイアモンド氏の「銃・病原菌・鉄」にも匹敵するようなスケールのノンフィクションといってもいいのではないだろうか。
和訳者がいい仕事をしているというのも同じく。
ベアフットランニングやパレオダイエットなどに代表されるように、現代の科学技術や文明の利器による恩恵を受ける前のあるべき人間の姿に戻ろう、という主旨のムーヴメントが近年、特にアメリカを中心に広がりつつあるが、そういった傾向を感覚的にではなく、進化医学や文化的進化といった概念を軸に、カチッと理屈で説明している、とも言える。
本論中のディテールに目を向けてみても、例えばカロリー消費における脳と腸のトレードオフの関係とか、人間が例外的に口呼吸を行う根拠、虫歯のメカニズムなどなど、興味深いトピックスは数多い。
学術論文とは違うので、著者の主観が強く反映されている箇所ももちろんあるが、そういった見方も含めて、読者が現代社会の抱える問題群を有機的に考える際に、有用な示唆を与えてもくれる。
そして考えれば考えるほどに、我々人類はおそらくは最近の数百年のうちに、もはやなかったことにすることは決してできない、致命的な過ちを一度ならず犯してきてしまったのだろう、ということが確信される。
個人的なレヴェルでささやかな抵抗を試みることは可能だが、種族として、慣れきってしまったこの大量生産・大量消費・大量廃棄社会を根底から作り直すことはできない。
ホモ・サピエンスという動物としてナチュラルに生きることよりも、利便性と経済性をとにかく優先して人間は月日を重ねてきた(つまり著者のいうところのディスエボリューション)、ということがここでも自ずと分かってしまうのだ。
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上巻では、ヒトがどのように進化してきたかを解説している。扱っている範囲は類人猿のあたりから旧石器時代までだった。最後の章でミスマッチ病の簡単な説明をして、下巻への橋渡しとしている。
現代の社会にヒトの身体は適応できているのか、という疑問に答えてくれると信じて下巻を読み進める。
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・600万年前、Last Common Ancester (LCA)から人類の祖先(サヘラントロプス・チャデンシス、アルディピテクス)とチンパンジーが分かれる。人類の祖先は果実食だったが、気候変動に伴い二足歩行で省エネしつつ、遠くまで食べ物を探しに行くようになった。また、栄養的により粗悪な食べ物である葉、茎も食べなければならず臼歯が発達した。
・400~100万年前にアウストラロピテクスが出現。イモ類を掘って食べる。
・190万年前、ホモ・エレクトスが出現。よりカロリーが高くミネラルも豊富に含む肉を食べる。
・旧ホモ属(ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・フロレシエンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス)
・旧ホモ属からホモ・サピエンスが進化。脳が発達し、コミュニケーション、協力、思考、発明等のスキルがつく。これにより文化的行動が可能になり、環境に自らの工夫で適応するようになったが、これによってミスマッチ病が生まれていく。
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上巻の約8割は、サルから新人類に至るまでの進化の過程、とくに身体的特徴について焦点をあてて説明されている。
サル→原人→旧人→新人という過程の中で、身体的にどこが変わったのか、そしてその進化は自然淘汰上、何に優れていたのか。
知っている人にはかなり退屈かもしれない。
上巻の最後の2割は下巻のイントロである。それがサブタイトルにもなっているように、健康と疾病である。
新人類が登場して数千年がたつが、そこから劇的な身体的な特徴の変化はなくなっている(ように見える)。
細かく見ると、身長や皮膚の色などは地域ごとに差が出ており、自然淘汰の結果だそうだ。
しかしその代わりに、文化的な側面で劇的な変化を経験しており、それによりある問題を引き起こしたという。
それは、本来人間の環境には適合しないはずが、文化(道具)によってそれを克服しているように見えていながら身体に影響を与えるという問題であり、本書ではミスマッチ病と呼んでいる。
稲作技術や食物の保管方法が確立される前は、その日の食料を取ることが中心的な課題であり、それ故にその日に摂取した食物を長く保持できるように、脂肪を効率よく蓄えられるように進化した。
しかし、現代の過剰ともいえるような食生活によって引き起これる糖尿病は、現代の環境と身体の進化のミスマッチによって引き起こされる病気の代表例ともいえる。
下巻はこれらについて詳細な考察がなされるのだと思う。
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前半はひたすら長々と続くヒトの進化の説明で、聞きなれない名称やイメージしにくい動きの話に読むのを止めるか続けるか少し迷ったが、後半になり、前半で眠たいと思っていた長い話が途端に色を変え始める。前ふりが長すぎたのではと思ってしまうが、おそらく必要な前提情報だった。進化的ミスマッチ仮説が興味深い。下巻を読もうと思う。
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人類の進化を「適応」をキーワードに語る。上巻で現生人類まで到達する。アウストラロ・ピテクスと現生人類の違いは、ちょっと頭骨の形が違うくらいしかないというのは知らなかった。しかし、そのわずかの差が大きな違いとなったのだと。
二足歩行がどの時点で完成し、何をもたらしたのかといったあたりがこの人の専門らしく、その部分はとても詳細かつ説得力に富んでいる。「適応」というキーワードをたてたうえで、「文化」もまた「適応」の方法なのだというところへつながっていく。
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上下巻まとめて。
人と他の種が違うところは何か。道具を使うとか(チンパンジーも使う)、言葉を使うとか(コミュニケーションとしての音は他の種も使う)…
考える事自体は動物もするが、考えることを考える、という入れ子構造の思考は人間だけではないか、と言われている。ただすでに絶滅したネアンデルタール人だってそうだったかもしれない。
人類にしか出来ないこと。それは正月太りだ。普段とはまるでちがう生活環境で本を読むか酒を飲むかぐらいしかしていないので、あっというまに肥えてしまった。
本書は人体の歴史を追っている。だがいくら追っても、人間は何に適応しているのか、ということに答は出ない。いまのところ進化上成功しているとすれば、適応能力を生み出すためのコミュニケーション能力、協力する能力、思考する能力、発明する能力、という。正月も我々の先祖が発明したものだ。
病気の多くの症状は実のところ適応である。正月太りもまた、休めるときはつねに休もうと、そして脂肪を蓄積できるときは貯めこむ、という進化である。
なぜ私たちは太りやすいのか。痩せている、とされている人でさえ霊長類の視点から見れば太っている。どうして太るのか。倹約遺伝子、という働きもあるし、消費エネルギーよりも摂取エネルギーのほうが多い、という単純な事実もある。だが食べるものそのものも変わってきている。加工食品が過剰かつ現在の消化器系では対応できないほどの量とペースで糖を供給している。ストレスや睡眠も影響するが、興味深いのはまだあまり解明されていないという、体内の微生物の働きだ。これが不自然な状態になっていることも肥満の原因ではないか、と。
それでも目の前には美味しい食べ物がある。便利な機械がある。食べて、体を動かさなくても人生は進んでいく。一見幸せなこのサイクルは、実は健康上は悪循環、ディスエボリューションである。最終章ではそのサイクルから抜け出すための提言がいくつかなされている。文化的進化が僕らをこんな風にしてしまったのだから、文化的進化こそがそこから脱出できる鍵かも知れない。
人類600万年の壮大な旅の本を読みながら、3日間の食っちゃ寝生活から、どう文化的進化を遂げるかを思うのだ。
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人類の進化の過程から、現在の身体が出来上がっている。
その身体にとって現代の生活習慣は親和性が低いものとなっている。
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2型糖尿病、骨粗鬆症、がん(特に乳がん)、など現代病と呼ばれる病気が生物学的進化と文化的進化のミスマッチから生じていることを説明している。
まず、生物学進化によって人間がいかに効率的に糖を接種できる能力を獲得できたを示し、次に農業革命、産業革命を経て、人間がいかに過剰に糖を接種しやすくなったを示すことで、現代病の原因となる肥満になることが必然であることをわかりやすく説明している。
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人類は昔からしたら進歩していて、そのおかげで健康になって便利な環境で生きていられる。それは事実だが、便利になったのが、健康にとって命取りになっている面がある。そんな側面を浮き彫りにしたのが今回の本だ。
「人間は何に適応しているのか」と著者は問いかけている。そこから現代、問題になっている症状が見えてくる。
「進歩とミスマッチとディスエボリューション」の章を読んでいると、現代人は結構体に悪い生活を送っているのがよくわかる。
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB19601222
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生物的進化と文化的進化。人類は、長時間移動可能に、協力するように、獲物を分け合うように、よく噛めるように、脂肪をためるように、身体を使うように、進化してきた。
狩猟採集民というと、現時代の未開地のイメージでしたが、人類の歴史にとってはむしろそれが長かったということが改めてわかりました。
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人類のこの1万年の文化的進歩、狩猟採集、農業、産業革命に体がついていっていないためのミスマッチを明らかにする。上巻ではその前提のどういう環境に初期人類から適合し、ホモサピエンスだけが残ったかを考える。
近視、虫歯、腰痛、がん、心臓疾患、アレルギー、糖尿病、親不知はミスマッチ病であり現代では対処療法により自然選択を妨げない形で対応されておりこれからも特に新興国の経済成長とともに増えるだろう。これら快適とのトレードオフを防ぐ方が対処療法より経済合理的であるが予算は割かれていない。
昔に戻る必要はないが、運動とバランスのとれた食事は重要である。
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難しいかと思ったけれどもこれは面白い。
専門知識がなくてもわかりやすく、『利己的な遺伝子』みたいにすいすい読める。
「歩くのは健康にいい」というのは当たり前で、私たちの体が「歩く」ように適応しているからだ。現在のようにほぼ1日座っている、というのが不適応、つまり体に悪いわけで。
体ってよくできてますよ、いやホント実際の話。
これ読んでいると、自分の体への敬意が湧いてきます。と同時に、本来使うように使っていない体に申し訳ない気持ちになる。というわけで、本書を読んでいると無性に歩きたくなるのは私だけだろうか。
(以下、「なるほど」と思った個所抜粋)
「死亡率の低下が罹病率の上昇に取って代わられている」
「進化とは、時間を経ての変化という、ただそれだけのことである」
「あなたの身体は、何百万年ものあいだに生じた適応の寄せ集めなのだ」
「身体の機能の多くが私たちのもともと進化した環境においては適応的だったが、いまの私たちが作りだしてきた現代環境においては不適応となっている」
「消化される食物の断片が細かければ細かいほど引き出されるエネルギーは大きくなる」
「(いまも生き残っている唯一のヒト種がなぜ私たちなのか、それは)私たちが自らのハードウェアにおいて二、三の小さな変化を進化させ、その進化によって、いまも加速する勢いで進行中のソフトウェア革命に火をつけたから」
「数百万年に及ぶ進化のすえに私たちの身体が適応した生活様式を、もはや私たちが採用していない」
「旧石器時代以降、ホモサピエンスには重要な生物学的進化がほとんど起こっていない」