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- カテゴリ:一般
- 取扱開始日:2012/03/29
- 出版社: 早川書房
- サイズ:20cm/380p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-15-209268-7
紙の本
冬の眠り
1964年。結婚したばかりの夫婦がナイル川のハウスボートに住んでいた。アブ・シンベル神殿の移築工事に関わる技術者である夫エイヴァリー。植物を深く愛する妻ジーン。二人が出会...
冬の眠り
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商品説明
1964年。結婚したばかりの夫婦がナイル川のハウスボートに住んでいた。アブ・シンベル神殿の移築工事に関わる技術者である夫エイヴァリー。植物を深く愛する妻ジーン。二人が出会ったのは、海路建設のため水が消えたカナダの川のほとりだった。壮麗な神殿が切り出される様子を見守りながら、二人はひそやかにお互いの記憶を語りあう。しかし、その絆は思いがけない悲劇に襲われた。カナダに帰国した後、距離をはかりかねた二人は別居を決める。そしてジーンが出会ったポーランド人の亡命画家が語る、戦時中のワルシャワの話は、ジーンとエイヴァリーをさらに遠ざけるように思われた—人の心身に訪れる変化を探訪し、緊密で詩情あふれる世界を描き上げたオレンジ賞受賞作家の傑作。【「BOOK」データベースの商品解説】
移築された神殿、水没した村、破壊されつくしたワルシャワの街…。失われた土地に根ざした記憶と思いはどこへと向かうのか。人の心身に訪れる変化を探訪し、緊密で詩情あふれる世界を描く文芸長篇。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
アン・マイクルズ
- 略歴
- 〈アン・マイクルズ〉1958年カナダ生まれ。第一詩集でコモンウェルス賞、第二詩集でカナダ作家協会賞を受賞。96年に発表した長篇第一作「儚い光」でオレンジ賞をはじめ多数の文学賞を受賞。
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紙の本
カナダ人作家アン・マイクルズの13年ぶり長篇第二作。人の手によって蹂躙された土地の「復元」「再建」が、そこにいた個人にとってどういう意味を持つのか――歴史的な出来事と個人的な出来事を対応させ、喪失したものの存在感と共に生きる人の「行き場のない問い」を引き受けて書かれた、思慮深く、めぐり難い作品。
2012/03/12 17:57
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
親しんだ土地を失い、かけがえのない大切な人を失い、絶望の中で新しい暮らしを始めようとする人びとの姿が、ここ一年身近なものに感じられるようになった。
「失った家や故人たちのことを忘れずに、この出来事を教訓にして……」と、犠牲が世の中や歴史の教えになるのだといくら説明されても、喪失した人の哀しみは聞き分けよく癒やされやしない。新生活のスタートが切れたにしても、意識ある限り、大切な存在と過ごせたはずの時間について魂は問いを発し続ける。「あの場所でずっと暮らしていられたら」「あの人がそばにいてくれたら」……と。また、「自分が変わらずにいられたら」……と。自分の変容は、加齢のゆるやかさや日常生活の変化がもたらすものと違って、納得のいくものではないはずだ。
『冬の眠り』は、上のような「魂の問い」にじっくり向き合い、深い思索を経て書き起こされた小説だ。失ったもの、置き去りにせざるを得なかったものについて、その意味や重みを振り返り、自分の今との折り合いを考えてやまない人にとって、思いのよりどころや指針となる言葉との出合いがある。
アスワン・ハイ・ダム建設によって敢行された3200年の歴史を持つ神殿の移築。占領の歴史を繰り返しながらも肥沃な土と川の恵みによって独自文化を育んできたヌビア地方の水没。セント・ローレンス海路と人工湖建設の犠牲となった村々の住居や農場、商工業施設、森林、墓地の消失。第二次世界大戦でがれきの山となったワルシャワ旧市街の復興。
『冬の眠り』では、自然災害ではなく、歴史の中で人の手によって蹂躙された土地が、人のために復元され再建されていくという大きな出来事が背景に書かれている。いずれも人類に背負わされた苦難であるかのごとく捉えられ、人類の代表者のようなエイヴァリーとジーンという夫婦の関係の背後に塗り重ねられていく。
エイヴァリーは技術者で、石でできたアブ・シンベル神殿を切り出し移築するプロジェクトに携わる。彼は、亡父と共に、カナダのセント・ローレンス海路の建設に関わり、その地で出会ったジーンを伴ってエジプトにやって来たのだ。
新婚夫婦の住まいは、ハウスボート。ナイルという巨大な川の上の生活は何やら暗示的だ。「流れる」という意味において、「漂う」という意味において……。
思慮深いふたりは、互いの内面の軌跡をたどり合うように、きずなを深めていく。思索を導くのは生い立ちの記憶であり、家族の歴史である。互いを理解し、尊重し合う素晴らしいカップルなのに、やがて、立て続く悲しい出来事が夫婦関係を変容させてしまう。カナダに帰国後、ふたりは別居することとなり、妻ジーンは、ポーランド出身の画家と出会って、彼の記憶を共有するようになる。
ふと「因果応報」という言葉が、かすめていく。ここでは、「誰かの犠牲の上に成り立つ生活はいつか報いを受ける」というあからさまな構図では書かれていやしないが、個人の因果応報とつぐないが、開発や戦争という歴史的な出来事と照応させられながら書かれているようにも思えてくる。エイヴァリーとジーン以上に、作家の思索が深いものであるゆえに……。
「開発」には、人びとの生活の向上や利便性を考えて行うという正当性がある。しかし、従来そこにあったものを押しのけて何かを作っていくとき、戦争に似た大きな暴力が伴われる。開発のため故郷を離れ、別の土地に移り住まなくてはならない人びとがいる。親しんだ風景や家との別れだけでなく、家族が眠る墓にまで告げる別れをどう考えれば良いものか。一方、そのような暴力にさらされる人びとの敵では決してないのだろうが、開発事業で仕事を得て生活を成り立たせる人、彼らに養われる家族もいる。
「立場変われば……」というのは、何も近代的開発だけが生む矛盾ではないだろう。処女地を誰かが開拓したときから暴力的要素はあった。小鳥が巣を作るのさえ、木や虫にとっては暴力的だと言えなくもない。
失われたものの「復元」「再建」が、限りある個人の生にとって、大きな犠牲をどれだけ埋め合わせてくれるほどのものなのか。答えるまでもなく答を出すものでもなく、痛みを内包したまま、人は欠落を「失ったもの」の存在感と受け止めて行くであろう。その存在感と生きながら、新しい場所、新しい生活、新しい関係の中で、元の生活の時と同じように何らかの「価値」を作り出そうともがき、何らかの「意味」を発見しようとする。
遅々として進まないように見える東北の復興をテレビ画面で見ながら、この本の次の箇所を再読した。
都市も、人間と同じように、魂をもって生まれる。地霊は破壊の後ですらも自身の存在を示しつづける。古い言葉が、それを話す新しい口のなかで意味を捜す。というのも、建物は残っておらず、地平線の彼方まで廃墟が続いているにもかかわらず、ワルシャワはなお都市であることをやめてはいないからだ。(P237)
作家がここで「都市であることをやめてはいない」としたのは、廃墟に大勢の人間が生きていたからである。都市についての記憶を持ち、その場所をリアルに感じることのできる人間が生きていたからである。そして、その人間については、次のような記述があった。
――絶対に犯せない部分なんて人間にはない。どんな部分だろうとつつかれて、持っていかれる。腐肉みたいにな。でも人間には何かある。直感と呼ばれるほどには強くない。自分の身体のにおいが分かる能力とでもいうのかな。そこに人生の基礎があるんだ……(P336)
その基礎がよりどころにされ、この小説は書かれたのであろうし、その基礎をよりどころにして読まれることが期待されているに違いない。
作中、人が恐ろしいめにあった場所に花がたむけられることを「無垢のしるし」と書いた部分がある。それを踏まえ、花が添えられる場面が最後に出てくる。花ではなくとも、私たちが生活のさまざまな場面で残そうとするメモのような、ちょっとした「しるし」にも作家は目配りをしている。
この小説は、想像もつかないぐらい精力的な取材がなされ、多くのエピソードが効果的に丹念に編まれ、繰り返し繰り返し考え抜いた末に選ばれた言葉や思いが綴られた感嘆させられる傑作である。しかし、作家は、この本があたかも芸術や歴史の中に、そっと置いたメモのような「しるし」に過ぎないという筆致で書き切っている。
読み終わった読者の方も、走り書きで申し訳ない限りだが、何か読んだ「しるし」を残したくなるのである。彼女の信頼に応えるため……。