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商品説明
無人の改札口を出ると、そこはもう一面の猿だった—母への想いを猿の群れに昇華させた「猿駅」、とある村の儀式を通して白い肌の記憶を回想する「初恋」、そして知性化猿ショウちゃんと女子高生・静枝の逃避行を描く幻の未発表中篇「猿はあけぼの」まで十篇を収録。【「BOOK」データベースの商品解説】
無人の改札口を出ると、そこはもう一面の猿だった−。母への想いを猿の群れに昇華させた「猿駅」、とある村の儀式を通して白い肌の記憶を回想する「初恋」など、狂気と抒情の奇蹟的な邂逅をつづる全10篇の幻想短篇集。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
猿駅 | 5−16 | |
---|---|---|
初恋 | 17−32 | |
遠き鼻血の果て | 33−46 |
著者紹介
田中 哲弥
- 略歴
- 〈田中哲弥〉1963年兵庫県生まれ。関西学院大学卒。「朝ごはんが食べたい」で星新一ショートショートコンテスト優秀賞を受賞後、吉本興業の台本作家などを経て、「大久保町の決闘」で長篇デビュー。
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紙の本
猿・猿・猿
2009/10/04 17:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る
グロ7割。エロ2割。その他1割。
表題にもある2つの短編はやはり完成度が高い。
『猿駅』は、母親との待ち合わせで訪れた町の駅を出たら、一面の猿景色だった、というもの。冗談のような設定だが、この冗談は笑えるようなものではなく、辺りは血と脳漿と獣臭、そして、猿で塗り固められた塊である母をひたすら殴打する主人公の気狂いシーン。
狂気である。不浄である。支離滅裂である。
だがページが進む。この地獄のヘドロのような場面が続くのに、ぐいぐい文章にひきつけられる。
連続で続く主人公の心情を描いたスピード感溢れる狂気の描写は、それでいてなおかつどこか静か。
悪夢のような超短編。
一方の『初恋』も、タイトルとはかけ離れた、異常そのものを描いている。
「寄合」に初めて参加することになった主人公は、村の常軌を逸した因習を目の当たりにする。奇しくも、今回の「寄合」の犠牲者となったのは、初恋の少女。恐怖と興奮の中、聖そのものと言える美少女を切り刻む描写は、読者をも不浄な背徳感に誘う。
物語が展開するにつれ、時間や時代などの時系列がごちゃ混ぜになっていく。物語そのものがやはり悪夢となっているかのような錯覚を覚える。最後のシーンを見る限り、それは、主人公である老人の、交錯した記憶のようにも取れるのだが、私個人としては、このシーンそのものが物語の終着点になってしまっているように思え、それはそれで納得いかない部分がある。錯乱したままのほうが個人的には好きである。
エログロナンセンスとして、秀逸であるのは、やはり『げろめさん』だろう。
これも『猿駅』と同じく長短編だが、この鳥肌モノの不浄感は、ある意味たまらない。
『ハイマール祭』、『羊山羊』は、同じエロでくくってしまいはしたが、設定が面白い。この人の作品は全てのテーマが特殊で、それだけで読む価値あると思うのだが、この2編も、エロだけでない、発想の豊かさが窺える。
『猿はあけぼの』のような初期の作品も捨てがたいが、いかんせん作風の変化に戸惑いを隠せない。まるで倉坂鬼一郎だ。ようは、ラノベ作家としてデビューしたが、作家に何らかの変化が起きて、作風が変わった、ということか?やむをえない事情ならともかく、ここまで変わるとまるで別人である。そもそも『猿はあけぼの』をあえて幼く書いたということだろうか。
生理的な嫌悪感、土着的な恐怖などを書いたものが多かったが、まさに想像力の文学と呼ぶにふさわしい作品集。
はまるわー、これ。
紙の本
切ない猟奇
2009/06/17 16:48
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
虚無感と感傷が綯い交ぜになった独特の切なさを感じさせる短編集。著者特有の虚実を大胆に往復するセンテンスの長い複雑な文体は、短篇ということもありいわば「決めどころ」のみに抑えられていてリーダビリティーも高く、作品の執筆/発表年度が1993年から2007年と長期にわたっているにもかかわらず、作品の傾向のブレがほとんど感じられないあたりは流石である。グロテスクとリリカルとロマンティシズムの、クールな混合。末尾、未発表作(以前webで一部公開していたが)の『猿はあけぼの』だけはやや「大久保町」と共通する芝居っぽい台詞回しがたまらなく、長篇が読みたいなあという気にさせる。しかしまあ、ある意味「新しい文学」を標榜する新レーベルにはまったく似つかわしくないスタンダードというかオーソドックスな幻想短編集なのがあいかわらずな空気の読めなさというか、困った人だなあと思う。