紙の本
歴史の正体
2016/05/26 17:21
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投稿者:ぽにょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読めば、一通り日本がなぜ、どうやって原発を手に入れたかがわかる。そして、読売新聞が盲目的に原発政策に賛成し、それを推し進めようとする理由もわかる。
反対、賛成に関わらず一度は読んでおくべきかもしれない資料である。
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2008/3
戦後史の闇に触れようとしている一冊。
日本が原子力に手を伸ばすようになったのはアメリカの深い関与によるものだったと、公開され始めた米公文書をもとに探っている。テレビ放送と原子力がどのように関係しているか、正力松太郎を軸にCIAの動きが描かれている。
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[概略]
正力はメディアを一挙に手中に入れるためマイクロ波通信網を構築しようとし、アメリカも共産主義勢力に対抗するためCIAを中心として正力を応援した。正力はそれを実現するために、衆議院議員となりさらには総理大臣を目指した。
1924年 読売新聞買収
1953年 日本テレビ放送網株式会社開局
1955年 衆議院議員当選
その頃に、アメリカの原子力平和利用政策への転換があり、正力としても原子力発電を手に入れれば財界と政界に大きな影響力を持つことが出来ると考え、メディアを活用してキャンペーンを行った。アメリカとしても原水禁運動や第5福竜丸被爆事件による反米感情を抑えるためにも原子力平和利用キャンペーンを張る必要があった。
1953年 5月原水禁運動始動、3000万人もの署名を集め戦後最大の反米運動に
1953年 12月アイゼンハワー大統領「アトムズ・フォー・ピース演説」平和利用への転換
1954年 読売新聞が原子力平和利用をテーマに「ついに太陽をとらえた」の連載開始
1954年 第5福竜丸事件 アメリカは平和利用と並行に軍事開発を進めていた。
1955年 米原子力平和使節団来日「原子力平和利用懇談会」設立「原子力平和利用博覧会」開催
1956年 総理府原子力委員会発足 正力が初代原子力委員長に就任
1956年 英からJPDR(コールダホール型原子炉)導入を表明(1963.10.26発電開始 原子力の日)
[感想]
富山生まれの正力松太郎氏は読売新聞社や巨人軍のオーナーとは知っていたが、原子力の父だったとはこの本を読んで始めて知った。無知蒙昧を改めて恥じるところです。
プロ野球、ディズニーランド、柔道振興、原子力推進など、正力氏がおられなかったらどれもかなり実現は遅れていたことだろう。正力氏が総理大臣になるために原子力平和利用に取り組んだとあるが、資源のない日本は原子力平和利用により立国していくべきだという強い信念の基に強力に取り組まれたのだと思う。自分の為もあったかも知れないが、日本はかくあるべしと言う大きな夢を描き、それを自ら実現していく強い意志と実行力に大いに学びたい。
[参考(正力松太郎をWikipediaで検索)]
[人物]
読売新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。
日本に於ける導入を推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。
[編集] 年譜
明治18年(1885年4月:富山県射水郡大門町(現射水市)に土建請負業を営む父・庄次郎、母・きよの次男として生まれる。
明治32年(1899年)4月:旧制高岡中学(現富山県立高岡高等学校)入学。
明治37年(1904年)9月:第四高等学校入学。同級生に河合良成(小松製作所会長)、品川主計(読売ジャイアンツ代表)など。
明治39年(1906年:三高との高専柔道の対校戦に優勝。この時、団体戦で四高は三高に押されて負けムードが漂っていたが、大将である正力が巴投で二段の相手から逆転の一本勝ちをし、四高は優勝した。なお、この時正力自身は白帯だった。
明治40年(1907年)7月:東京帝国大学法科大学独法科入学。河合、品川のほか���重光葵(外相)、芦田均(首相・外相)、石坂泰三(経団連会長)などが同級。柔道に打ち込んだ。
明治44年(1911年)7月:東京帝大卒業。 内閣統計局に入る(同郷の南弘の推薦による)。
大正元年(1912年)11月:高等文官試験に合格。
大正2年(1913年)6月:警視庁入庁、警務部警務課勤務。警視総監・安楽兼道の義理の姪にあたる前田布久子(鹿児島出身)と見合い結婚したが一女をなしてまもなく亡くなる。その長女は8歳で早世した。
大正3年(1914年)6月:警視に任官、日本橋堀留署署長。
大正4年(1915年):吉原波満と再婚。
大正6年(1917年)2月:牛込神楽坂署署長。 9月:警視庁第一方面監察官。
大正7年(1918年)10月:米騒動鎮圧の功により従六位に叙せられる。
大正8年(1919年)6月:警視庁警務部刑事課長。
大正10年(1921年)6月:警視庁官房主事。7月:正六位。兄定吉方より分家して一家を創立する。
大正12年(1923年)9月:関東大震災において「朝鮮人暴動の噂」を流布させる。昭和19年(1944年)、警視庁での講演で、この虚報を「失敗だった」と発言(石井光次郎著『回想八十八年』)。 10月:警視庁警務部長。虎ノ門事件。
大正13年(1924年)1月:虎ノ門事件を防げなかった責任を問われ懲戒免官。直後、摂政宮(のちの昭和天皇)婚礼により恩赦。読売新聞の経営権を買収、社長に就任。
昭和3年(1928年):京成疑獄事件に連座、禁固4ヶ月、執行猶予2年の判決をうける。
昭和9年(1934年):大リーグ選抜チームを招聘、巨人軍創立。
昭和10年(1935年)2月:読売新聞社前で暗殺未遂。首を斬りつけられ重傷を負う。
昭和19年(1944年)5月:貴族院議員に勅選される。 10月:小磯内閣顧問。
昭和20年(1945年)10月:第1次読売争議。12月:A級戦犯に指定され、巣鴨拘置所に収容。
昭和21年(1946年)1月:公職追放
昭和22年(1947年)9月:不起訴、釈放。
昭和27年(1952年)10月:日本テレビ初代社長に就任(1955年まで務める)。
昭和28年(1953年)8月:日本テレビ放送網本放送開始。
昭和30年(1955年)2月:富山2区から衆議院議員選挙に出馬、当選。11月:第3次鳩山内閣で北海道開発庁長官兼原子力委員長。
昭和31年(1956年)5月:科学技術庁設置により初代長官。
昭和32年(1957年)7月:第1次岸内閣改造内閣で科学技術庁長官兼国家公安委員長。茨城県東海村で日本初の原子炉稼動。
昭和36年(1961年):武道会館建設議員連盟会長。
昭和37年(1962年):財団法人日本武道館初代会長。駒澤大学より名誉博士号を授与される。
昭和39年(1964年):勲一等旭日大綬章を受章(没後、旭日桐花大綬章追贈)。
昭和40年(1965年)6月18日:高岡市名誉市民。6月26日:大門町名誉町民。
昭和44年(1969年)10月9日:国立熱海病院で死去。柔道八段から十段に。
[警察官僚時代]
警視庁官房主事として大正12年(1923年)6月の日本共産党第1次弾圧や、同年9月の関東大震災に乗じた社会主義者弾圧を指揮した。直後、警務部長となるが、摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)の責任を問われ、懲戒免官となる。恩赦により懲戒処分を取り消されたものの、官界への復帰は志さなかった。
[新聞経営]
大正13年(1924年)、番町会グ���ープである郷誠之助、藤原銀次郎ら財界人の斡旋と、帝都復興院総裁だった後藤新平の資金援助により、経営不振であった読売新聞社の経営権を買収し、社長に就任した。正力は、自社主催のイベントや、ラジオ面、地域版の創設や、日曜日の夕刊発行などにより部数を伸ばした。
[大リーグ招聘]
昭和9年(1934年)、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらが参加したアメリカ大リーグ選抜チームを招聘した。アマチュア野球しか存在しなかった日本側でも全日本チームが結成された。後に同チームを基礎として大日本東京野球倶楽部(現讀賣巨人軍)が創設され、昭和11年(1936年)の第1回職業野球日本リーグに参加した。
正力は最初期と戦後の一時期を除いて巨人軍のオーナーを務め、また、巣鴨プリズンから釈放後の一時期、職業野球連盟の総裁(今で言うコミッショナー)に就任した。このような正力の業績を称え、日本プロ野球界に貢献した関係者を対象に、毎年正力松太郎賞が贈られている。
[襲撃事件]
昭和10年(1935年)、本社玄関前で暴漢に左頸部を斬りつけられ重傷を負った。直接の実行犯の長崎勝助は右翼団体武神会の構成員(元、警視庁巡査)。取調べに対して、犯行に及んだ理由として、読売新聞が天皇機関説を支持したこと、正力が大リーグを招聘し、神宮球場を使用し「神域を穢した」ことなどを挙げた。だが、捜査・公判の進行により、競合他社東京日日新聞の幹部による指示があったとされた。
[遺訓]
正力は巨人軍に対して、巨人軍憲章とも呼ばれる遺訓を残している。遺訓は以下の3つ。
巨人軍は常に紳士たれ
巨人軍は常に強くあれ
巨人軍はアメリカ野球に追いつき、そして追い越せ
[系譜]
正力氏
正力という姓は嘉永年間に庄助が発案した鉄の金輪・正力輪から始まっている。この金輪は河川の氾濫で流れた古橋の抗を抜くための道具として効力を発した。庄助の一族は代々一介の庶民に過ぎなかったが、発明の功労により加賀藩奉行から苗字帯刀を許され「正力氏」を名乗るようになり、地元の名門として名をなした。
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最高におもしろかった。
CIA関係の本は初めてだったので、
CIA=スパイ という短絡的な見方をしておりましたが、
驚きの連続でした。
アメリカは世界のリーダーとなるべく、軍事力強化に走った。
その為、反米、反原子力の払拭が課題となる。
そうなると、当時アメリカは戦争で配下に入れた日本を利用するのは当然のこと。
その日本のメディアを牛耳っていた正力松太郎と関係を深めていったのは必然ということ。
逆に日本のメディア王、正力の野望はマイクロ派通信網構想。
これを実現するためには、公衆電気通信法律を改正する必要があった。
そして、そのためには総理の席に座るしかなかった。
というわけで、正力は総理を目指す。
その中で、自らのメディアを使い、原子力平和構想をうまく利用することで、
政界での立場を高めたかった。なのでCIAを利用した。ということでしょうか。
CIAも正力もお互いに利用していた。
正力=CIAのエージェント というのは少しずれがあるかもしれない。
それはともかく、
結局のところ両者に溝が出来る。
それぞれの意図が違うので当然といえばそうだ。
アメリカは原子力普及に日本を利用したいが、
日本に原子力を提供し、敗戦国である日本が力をもつことには警戒していた。
なので、正力に原子力を売ることはしなかった。
これは政界地位向上に原子力導入を利用しようとしていた正力の構想に反したのだ。
やがて正力は総理にもつけず、電波法も改正できないまま死亡する。
しかし、彼が残したことは良い悪いは別として、日本にとってもアメリカにとっても偉大ものだった。
現在も僕は量は少ないがテレビをみるし、新聞を読む。東京タワーにものぼる。東京タワーという本もある。笑
すごい人だったんですねー。
そして、もっとも面白いのが、
結局軍事目的のためにメディアを利用するアメリカが、
宇宙事業に力を入れ始める。もちろん日本においては正力を利用しようとした。
その結果、50年の時を経て現在はインターネットが発達し、
正力のマイクロ構想も達成されていることになる。
当時、正力は人生をかけてこれを成し遂げようとし、CIAとつながったが、報われなかった。
しかし、CIAが全く別の理由(軍事拡大)の為、正力を利用したことが正力の夢を実現させたことは皮肉だ。と本にもある。本当に皮肉だわ。
歴史ってのはおもしろいね。
メモ的に加えておくと、
ディズニーランドも一部はアメリカ世界制覇の為のメディアという立場であったということは理解しておきたい。
本書の終わりに、
国が目的を達成するのにメディアを支配しようとするのは当然だ。
そのことに驚いている日本人がいるようでは平和ボケというしかない。
といったことが述べられている。
すごく納得してしまったー。
さて、次の本は池田さんの
「電波利権」にチャレンジしようと思います。
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CIAの公開情報を元に、正力松太郎を追う。正力がCIAエージェント(あるいはスパイだった)という種類のものではなく、CIAの思惑、正力の思惑、その他関係者の思惑を解きながら、歴史を解釈していく。CIA情報に直接アクセスできないので、確かめようがないが、アメリカ側から見るとかなり真実に近いのかなと思わされる。メディア論好きにはお勧め
(2009.4.14読了)
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読売新聞と日テレがアメリカの諜報活動とプロパガンダの1セクターだと分かる。アメリカの公文書を基にした記述なのでおそらく正確な真実。下世話な陰謀論ではない。
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正力松太郎の残した遺産は現在でも現在なのだが、如何なる経緯でそのことが為されてきたのか、公開されたCIAの文書から読み解けていけるわけである。
明治人特有の頑固さ、そして、自身の夢を実現するためには、CIAなどとも渡り合うという根性、現在の日本人が見習わなければならないことかと考えてしまう。
色んなタイプの人間がいて、批難することは容易い。
しかしながら、合法的に利用できるものは利用する。
それで、いいと思うが、後は、個人の努力ではどうしようもない運があるかどうかだ。
その点で、運を引き寄せることは叶わず、総理大臣にはなれなかったようだ。
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原発・正力・CIAと言うタイトルを見て??と思われる人も多いだろう。
また、ピンと来る人もいるだろう。
戦後、正力という人物が新聞メディア・原発と政界とCIAという色々な世界でドロドロと繰り広げたドキュメント。
そこには計り知れない陰謀や思惑、歴史的な出来事が重なり合う。
福島原発の事故の後と前では読んだ人の感想も大きく違う受取方になるだろう。
私はディズニーと原発の関わり方についてこの本を読んでビックリさせられました。
そしてこれも読んでみたいなと思った。
日本テレビとCIAーーー発掘された「正力ファイル」新潮社
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公開されたCIAの機密文書を資料にして、原子力と正力、CIAの関係を解明していく歴史書。原子力についてのキャンペーンのシーンや正力の野望、アメリカの外交戦略などが分かってくる。原子力がエネルギー源として意味を持っているのは、明らかであり今後、どう原子力政策を展開するにしても戦後の検証が待たれている。
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原発政策のゆがみがどのように生じてきたか、見えてくる。事故時の補償を考えると一企業が運営してはいけないものが、その他の事情で押し切られた。
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企画コーナー「今、原発を考える時」(2Fカウンター前)にて展示中です。どうぞご覧下さい。
貸出利用は本学在学生および教職員に限られます。【展示期間:2011/5/23-7/31】
湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=531200
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[ 内容 ]
一九五四年の第五福竜丸事件以降、日本では「反米」「反原子力」気運が高まっていく。
そんな中、衆院議員に当選した正力松太郎・讀賣新聞社主とCIAは、原子力に好意的な親米世論を形成するための「工作」を開始する。
原潜、讀賣新聞、日本テレビ、保守大合同、そしてディズニー。
正力とCIAの協力関係から始まった、巨大メディア、政界、産業界を巡る連鎖とは-。機密文書が明らかにした衝撃の事実。
[ 目次 ]
プロローグ 連鎖反応
第1章 なぜ正力が原子力だったのか
第2章 政治カードとしての原子力
第3章 正力とCIAの同床異夢
第4章 博覧会で世論を変えよ
第5章 動力炉で総理の椅子を引き寄せろ
第6章 ついに対決した正力とCIA
第7章 政界の孤児、テレビに帰る
第8章 ニュー・メディアとCIA
エピローグ 連鎖の果てに
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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改めて日本の原子力利用、原発について学んでみようということで選んだ1冊です。
総理大臣になりたい正力松太郎。その正力の思いとメディアの支配力に目をつけて、いろいろと利用するCIA。
利用されまい、自らの思いを実現したいと戦う正力の執念の姿がよくわかりますし、一方で、正直このような形で原子力の利用が日本に導入されてしまったのが、3.11東日本大震災の原発事故を巡る問題にもつながっていることがわかります。
正力の読売新聞や日本テレビに対しての絶対的ともいえる力の振るい方は、改めてメディアが表現の自由というが、本当なのかそのメディアがピラミッド組織でがっちりと抑えられてしまっているんだなということもわかります。
CIAの公開文書を丁寧に読み解き、これまでの原発導入の流れの定説とは異なる関わりを知ることができて、刺激的でした。
原発の導入、そしてメディアを取り巻く暗部、闘争を知ることのできる裏面史的な1冊です。
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著者は、早稲田大学社会科学部・大学院社会科学研究科教授(メディア論)。
原発がどうして日本に導入されたのか。原発にまつわる歴史を知りたい方向けの一冊。政界、産業界、メディア、アメリカ……いろいろな思惑が見えてきます。
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CIAが公開した秘密文書「正力ファイル」から、戦後昭和史が浮かびあがる。正力松太郎氏といえば、読売新聞社主であったが、テレビ網の構築に強い意欲を示し、CIAを向こうに回し太刀回り。そしてわが国の原発の導入のきっかけとなる。そんな一面があったのかと大いに感心した。
一方、CIAの情勢分析力は鋭利な刃物のように冷徹で切れ味鋭い。こうした専門家による下地があってこそ強い交渉力、見えない圧力を形成しているのだろう。ある意味、007やゴルゴ13は現実とそうかけ離れたことではないと思わせられた。