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- カテゴリ:一般
- 発売日:2011/10/31
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/621p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-10-537210-1
- 国内送料無料
紙の本
ヴァインランド (Thomas Pynchon Complete Collection)
1984年、夏。別れた妻をいまだ忘れられぬゾイド・ホイーラーは、今年もヴァインランドの町で生活保護目当てに窓ガラスへと突撃する。金もなく、身動きもならず、たゆたうだけの日...
ヴァインランド (Thomas Pynchon Complete Collection)
紙の本 |
セット商品 |
- 税込価格:54,010円(491pt)
- 発送可能日:1~3日
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商品説明
1984年、夏。別れた妻をいまだ忘れられぬゾイド・ホイーラーは、今年もヴァインランドの町で生活保護目当てに窓ガラスへと突撃する。金もなく、身動きもならず、たゆたうだけの日々。娘のプレーリーはすでに14歳、60年代のあの熱く激しい季節から、どれほど遠くまで来てしまったことか—。だが、日常は過去の亡霊の登場で一変する。昔なじみの麻薬捜査官が示唆したあの闇の男、異様なまでの権能を誇り、かつて妻を、母を、奪い去ったあの男の、再びの蠢動。失われた母を求める少女の、封印された“時”をめぐる旅が始まった。超ポップなのに、この破壊力。作品の真価を示す改訳決定版。【「BOOK」データベースの商品解説】
1984年の夏。別れた妻をいまだ忘れられぬ中年ヒッピーのゾイドの日常は、過去の亡霊の登場で一変した。昔なじみの麻薬捜査官が示唆した闇の男の、再びの蠢動。失われた母を求める娘プレーリーは…。解説付きの改訳決定版。〔「世界文学全集 2−11」(河出書房新社 平成21年刊)に大幅な訳文の修正を加えて改訂〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
トマス・ピンチョン
- 略歴
- 〈トマス・ピンチョン〉ポストモダニズム文学の代表者の一人。63年「V.」でウィリアム・フォークナー賞受賞。他の著書に「重力の虹」「スロー・ラーナー」など。
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紙の本
お上品な世界にそっぽを向きどこまでも悪趣味で過激なのに、どうしてこんなにピュアでセンチメンタルな話が書けるのだろう
2011/12/17 16:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る
同じ訳者による改訳で河出書房新社の『世界文学全集』に収録された作品に大幅改訂を施した、どうやらこれが決定版となる模様だ。最初の新潮社版で読んだのがはじめてのピンチョン体験だった。当時、傑作だと思った記憶があるが、再読してみてその思いを強くした。訳文は大幅に改訂され面目を一新。全体に漂うグルーヴ感は色あせるどころか、ますますその疾走感を増し、一度その流れに引き込まれると途中で抜け出せなくなる。
他のピンチョン作品が続々と訳出されることで、それまでこの一作を読むだけでしか知ることのできなかったピンチョン・ワールドともいうべきものが少しずつその姿を明らかにしてきた。『逆光』に登場するウェブ・トラヴァースの子孫が『ヴァインランド』のエンディングを飾る大家族集会に顔を見せるなど、それぞれが小説として独立していながらも奥底に深い根のようなものでつながりあっているピンチョンの作品群には、権力対民衆の構図がいつも透けて見える。
そう書くといかにもベタな社会派小説のようだが、そこがピンチョンの手にかかると、とんでもなく痛快なエンタテインメントに見えるから不思議だ『ヴァインランド』は、その嚆矢とも呼べるものだ。60年代を忘れられないフラワー・チルドレンの成れの果てが男を作って逃げた女房を忘れられず、一人娘と暮らすヴァインランドに昔なじみの捜査官が現れる。どうやら、元女房の男が手勢を率いて押し寄せてくるらしい。おんぼろ車に乗り込んで娘と逃げ出すゾイドだったが…。
60年代のアメリカは輝いていた。キューバ危機やヴェトナム戦争が学生や労働者の集会やデモを呼び、世界は変わるのかもしれないという幻想を振りまいていた。ラブ&ピースを合言葉にヒッピー・ムーヴメントが世界を席巻し、ロックに代表される音楽が世界中の若者を結びつけウッドストック・ネイションという言葉さえ生まれた。しかし作品の時代は1984年。村上春樹ではないジョージ・オーウェルの書いた『1984』年だ。
ピンチョンの固定観念、それは新大陸アメリカが持っていた清新な魅力が、資本主義国家として成長するうちにとんでもない腐りきった国に成り果ててしまったことに対する徹底的なノン(否)を突きつけることではないか。ニクソン、レーガン、ジョージ・ブッシュ・シニアと引き継がれる国家的陰謀。オーウェルが想像した管理社会をより巧妙に成し遂げたその高度管理社会である1984年のアメリカを舞台にしながら、ピンチョンは凄腕のナラティヴ・テクニックを駆使して熱き60年代を紙上に甦らせる。
重厚長大が敬遠されて軽薄短小がよしとされたのは一昔前だが、ピンチョンのそれは軽薄短小などではない軽厚長大。扱う内容は厚く長く大きいのだが、語り口はとてつもなく軽い。ルーシー・ショー、ローン・レンジャーからハワイ・ファイブ・オーと、アメリカのTVドラマのノリでどこまでも突っ走る。加えてBGMどころではなくガンガンひびいてくるロック&ロール、ヘヴィ・メタ、アシッド・ロック。ドラッグまみれの音楽。
お上品な世界にそっぽを向きどこまでも悪趣味で過激、顰蹙を買うようなカウンター・カルチャー趣味を押し出しながら、どうしてこんなにピュアでセンチメンタルな話が書けるのだろう。ピンチョンを読んでいると、ここにこんないいものがあった、という気にさせられる。あまりにも無防備な姿勢で社会の不正に挑戦状を叩き付ける若いフレネシとその仲間。自分の持つ純粋さの過剰を持て余すかのようなフレネシの裏切り。同時代に学生運動を経験したものなら、この切なさに覚えがあろう。
どこまでもダメオヤジぶりを振りまくゾイドにしても、かつて信じたものをそう簡単にあきらめきれない気持ちはこちらも同じで、ダメだと思いながらも肩入れしてしまう。権力を持たないものたちが、暗躍する権力の暴力にそれでもあっけらかんとしてへっちゃらという生き方を示すピンチョン世界の住人たちにスタンディング・オベーションを贈りたい。
紙の本
美しい夢を自虐的に再生しようと虚しくも試みている。らしい。
2012/01/15 10:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
マイケル・ティルソン・トマス指揮、サンフランシスコ交響楽団演奏会のFM放送を聴きながらこの駄文を書いているところ。ヘンリー・カウエル作曲「シンクロニー」の演奏が終わって、今度はクリスティアン・テツラフの独奏によるアルバンベルクのバイオリン協奏曲が始まったが、クールなくせに甘い素敵な演奏だ。いかにもサンフランシスコらしい渋い味を出している。
この小説の舞台は、その北米の都市の北に想定された古き良き時代の架空の街である。この逃げた女房に未練たらたらの子連れの住民ゾイドが、生活保護金めあてにショップのショーウインドウに突撃する1984年夏のシーンから始まって、物語は彼らが黄金色の革命伝説に青春を燃やした60年代、その幻想が露と消えたニクソンの70年代、国家主義が肥大してゆくレーガンの80年代を、その胸奥の苦い記憶を断ち切ろうとするかのように怒涛のように回想し、またしても酒歌女マリファナ乱交の悪夢を再来させながら、LAからハワイ、東京からヴェトナム、メキシコからハリウッド、ラスヴェガス、そしてまたヴァインランドへと登場人物たちを遍歴させ、ひと度は幻視した世界がよみがえる美しい夢を、自虐的に再生しようと虚しくも試みている。らしい。
醜悪な現実が犯した途方もない愚行を、作者はおのれの大脳前頭葉が全面展開させたこれまた途方もない壮大な虚構と対比させ、「さあどっちが真実だ。ほらほらこっちの方がほんまもんの正史じゃろが」とすごんでみせているようだ。
ふと気が付けば、マイケルとサンフランシスコ響はベト5の太鼓を狂ったように乱打しているぜ。
全ての国に一個ずつ原爆与えてその直後一斉廃棄すればどうでせう 蝶人
紙の本
60年代へのレクイエム
2017/05/12 04:49
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒッピームーヴメントを忘れられないゾイド・ホイーラーが情けなくも捨てがたい。今のアメリカ合衆国が見失ってしまったものを感じた。