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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2011/10/27
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/199p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-320609-5

紙の本

持ち重りする薔薇の花

著者 丸谷 才一 (著)

元経団連会長にして旧財閥系企業の名誉顧問である梶井は、80年代初め、NYで不遇をかこっていたころ、ジュリアード音楽院に通う日本人学生たちと知りあう。そして彼らが結成した弦...

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持ち重りする薔薇の花

税込 1,540 14pt

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商品説明

元経団連会長にして旧財閥系企業の名誉顧問である梶井は、80年代初め、NYで不遇をかこっていたころ、ジュリアード音楽院に通う日本人学生たちと知りあう。そして彼らが結成した弦楽四重奏団に「ブルー・フジ・クワルテット」と命名。やがて世界有数のカルテットに成長した四人のあいだにはさまざまなもめごとが起こりはじめるが、その俗な営み、人間の哀れさを糧にするかのように、奏でられる音楽はいよいよ美しく、いよいよ深みを増してゆく—。【「BOOK」データベースの商品解説】

不倫あり、嫉妬あり、裏切りあり−。元経団連会長が語る、世界的弦楽四重奏団の愛憎半ばする30年。人生の味わいを描き尽くす長篇小説。『新潮』掲載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー29件

みんなの評価4.1

評価内訳

紙の本

読書の愉しみを満喫させてくれる極上の風俗小説

2012/02/02 14:26

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る

いやあ、さすがに手なれたものです。こういうのを風俗小説というのでしょう。

財界や会社の人事にまつわる裏事情に始まり、企業買収のために関係者の趣味を徹底的にリサーチするやり口まで、知らなくても困らないが知っていてもいっこうに困らない、いやむしろ愉快か、といった話が、主筋の話に入る合いの手のように、次から次へと繰り出される。そこは丸谷才一のことだから、その手の読者を飽きさせないように艶っぽい話も用意して、これでもかという具合に供される。巻擱くを能わず。一気に読み終えてしまいました。ああもったいない。

かねてから懇意にしている二人。一人は財界の大物で元経団連会長の梶井。もう一人の野原は梶井とは雑誌の編集長時代からのつきあい。野原は取材で、ブルー・フジ・クヮルテットという日本人弦楽四重奏団の話を聞きに梶井のもとを訪れたところ。

クヮルテットというのは難しいもので、どんなにすぐれた演奏を聴かせる楽団であっても二年で喧嘩別れをするのが常という。少人数の集団が四六時中顔をつき合わせていれば、それも無理あるまい。それが、この四人組は、一度抜けたメンバーが再加入して続いているめずらしい例。ひょんなことから後見の役回りをしている梶井は、世間の知らない面白い裏話を知っているらしい。関係者の死後に公開するという条件で野原は話を聞くことに同意する。

とはいっても、そこは初めに紹介した通り風俗小説です。ミステリのような展開を期待されても困る。メンバーの間に起きるトラブルの原因は、男と女の問題に端を発する。それは、どんな社会でも同じ。ただ、精妙なアンサンブルを期待されるクヮルテットだからこそ、感情のもつれが軋轢となって構成員の調和が乱れる。ヴィオラの別れた奥さんにチェロが手を出し、それを吹聴して回るので、ヴィオラが退団をほのめかしたり、チェロの奥さんとヴィオラが駆け落ちしたりという、よくありがちないざこざ。

まだ若い音楽家たちの稚気あふれる逸話の間に、華やかな実業家人生の陰に隠された家庭内の不幸や、雑誌編集長の社内人事での挫折話が絡み、人生の有為転変が、酸いも甘いもかみわけた人の口を借りてしんみりと語り出される。まるで名人の語る人情話を聞いているような、いいあんばいの語り口です。

英国の小説にくわしい人らしく、階級差というものをうまく使っています。中流の上程度に属する階級の暮らしぶりが醸し出すスノビッシュな味わい。ニューヨークですき焼きを食べて、アメリカの卵にはサルモネラ菌が入っていて危ないが、この店は大丈夫と言わせたり、二人が会話の間に手にするシェリーがアモンティァードだったりと、読み手の気を惹く小道具の使い方がうまい。

クヮルテットの話だから、音楽談義が中心になるのは当然のこと。音楽史では一時代前の人のようにみなされているボッケリーニがハイドンと同時代人だったという事実や、ハイドンのセレナーデは二楽章がいいけれど、実は本人の作ではないという説が持ち出されたりと音楽好きには愉しい。スラブ的旋律が耳に残るチャイコフスキーのアンダンテカンタービレが、むしろモーツァルトに代表される西欧的音楽に近いのだという第一ヴァイオリンの話には我が意を得た思いがした。

圧巻は、ニューヨークの日本料理店で梶井にご馳走になったクヮルテットの面々が余興にやってみせる「忠臣蔵七段目 祇園一力茶屋の場」。チェロの義太夫に第二ヴァイオリンの口三味線、ヴィオラがお軽と平右衛門を早変わりでやってのける。第一ヴァイオリンが「成駒屋!」と大向うを務める。歌舞伎、中でも「仮名手本忠臣蔵」は丸谷才一自家薬籠中の演目。このあたりはお遊びでしょう。

抜けた第一ヴァイオリンに代わって加入したアイリッシュ系の奏者が、あまりにベートーヴェンばかりを持ち上げるので、チェロがかねて用意の難しい単語を繰り出して、自慢の鼻を折ってみせるくだりでは、英語原文をそのまま数行引いてみせる。『ユリシーズ』の訳者の一人でもある丸谷ならではの華麗なペダントリーだが、これもまた読者サービスの一環か。丸谷ファンの中には、音楽だけでなく英語に堪能な読者も多いにちがいない。

蘊蓄満載のエッセイ集はコンスタントに発表するが、長篇小説は寡作という、この人の久々の書き下ろし。弦楽四重奏など聴きながら、シェリーとまではいかずとも、グラス片手に読まれるなら至福のひとときをお約束しよう。

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紙の本

花やかな物語を愉しむ

2012/01/06 08:40

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 いい小説を読んだ。
 ここで「いい」というのは、面白いということで、小説から何かを得ようということは大事だけれど、それが一番ではない。やはり、面白くないと。
 生きるべきか死ぬべきか、は大事だけれど、それを小説で教えられるということはなく、小説のもっている雰囲気で掴むということが重要ではないかしらん。
 だから、面白いという中には、そういう生きること全般が含まれているように思う。だって、生きるって面白いでしょ。なぜ、生きるが面白いかというと、いつも未知との出会いだから。
 今日と同じ明日はない。
 この小説の最後に何気なく挿入された、「生れてきたばかりの赤ん坊が大声で泣くでせう。あれは寂しくて仕方がないから」という文章、それにつられて書くと、人が成長して泣かなくなるのは面白くて寂しくなくなるからといえるかもしれない。
 きっとそうだ。そうかもしれない。

 この小説のどこが面白いのかと聞かれたら、物語の構成というしかない。
 元経団連の会長の話をこれも元辣腕雑誌記者がインタビューして、世界でも有名なブルー・フジ・クヮルテットの四人組のことをまとめるという形で物語は進んでいく。
 物語のなかに物語が仕込まれているということになる。
 さらにいえば、途中とちゅうにこの会長のスキャンダルや記者の個人的事情もはさまれているので、多層的な物語といえなくもない。
全体的には中編小説の部類に属するのだろうが、構成は十分長編小説といっていい。
 だから、長編小説としてできあがっていたら、もっと面白かったのではないだろうか。
 だって、物語上にでてくるスキャンダルなんて、特にエロチックな面だが、ちっともエロチックでもない。
 あれは丸谷才一が抑制したか、体力的に持たなかったのじゃあないかしらん。

 ただ気になるのは丸谷才一の「しかけ」に十分理解できていないということだ。
 丸谷才一だけの才覚があれば、もう四方八方に「しかけ」がはりめぐらされているにちがいないのだが、どうもこちら側にそれを読み解く能力が不足しているようで心もとない。
 きっとクヮルテットのこととか四人組の演じる義太夫の場面とかきっと落ちれば深い物語の穴ぼこがありそうなのだが、どうも読み切れていないように感じる。
 そういう読者側の力不足、もやもやした気持ちも、実はまた、面白くはあったのだが。

 面白いというのは、脳が活性化する、そのことかもしれない。

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紙の本

とてもうまい。とても面白い。

2012/02/25 00:01

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

丸谷才一は、僕にとっては読むのが最後になってしまった大物作家だった。なにしろ初めて読んだのが2003年の『輝く日の宮』である。その後遡って『裏声で歌へ君が代』を読み、今作が3冊目になった。

読んだことのない時からずっと気になってはいたのである。ただ、「日本語の達人」という触れ込みに恐れをなしたということもあるし、いまだに旧仮名遣いで書いているという偏屈さに対する反感もあったし、「きれいな日本語が書けるだけでは仕方がないではないか」と高をくくっていた面もあった。ところが、読んでみるとそうではないのだ。この作家は何よりもお話が面白いのである。稀代のストーリー・テラーなのである。ともかく話に引き込まれる。先が読みたくてどんどん進む。そして、文章がうまい作家であることを感じるのは全部読み終わってからなのである。

文章がうまい作家は読んでいて引っかからない。そんなにお前は読んでいて引っかかるのか?と言われれば、僕の場合は割合そうである。

「この場面でこの台詞は不自然ではないか?」「会話であるのにあまりに説明的ではないか?」「この文節はあの文節の前に持って行ったほうが文意が通りやすいのではないか?」「この力の入りすぎた表現は何だ!」──いろんなことを思う。

ところが丸谷才一を読んでいるとそんなことは全くない。それはプロの文章家として一番求められることなのであって、本当に文章が書けるということの証明なのではないかと思う。

さて、『輝く日の宮』を読んだ時に、「源氏物語にもっと詳しければもっと面白かっただろうに」と思ったのと同じように、今回は「クラシック音楽に造詣が深かったらもっと面白かっただろうに」と思う。

登場するのはブルー・フジ・クヮルテットという日本人の弦楽四重奏団と、彼らの名付け親で、年長のアドバイザーとして彼らを支える元経団連会長である。その財界の重鎮にジャーナリストがインタビューするという形で物語は始まる。

そして、『輝く日の宮』の時に「源氏物語にもっと詳しければもっと面白かろうに」と思う一方で、「しかし、あまり詳しくなくても、めちゃくちゃ面白い」と思ったのと同じことが、この作品でも起こる。それどころか、あまりクラシックに詳しくない者にさえ、クラシックの面白さが伝わってくるのである。この辺がやはりこの作家の腕なのだろうと思う。

この達人の作家は、決してこれ見よがしの衒学的なクラシック論を持ち出さないし、「どうだ!」と言わんばかりの派手な比喩や凝りまくった表現を弄することもない。作中に使われているビッグ・ワードは表題になっている「持ち重りのする薔薇の花」くらいのものである。これは作品の中ほどで、クヮルテットのあるメンバーのエピソードとして出てくるのだが、さすがにここぞとばかりのこの表現は見事に効いている。

作者は主人公にクヮルテットのメンバーを語らせる。彼らの音楽家としての凄さと、人間としての面白さとつまらなさを語らせる。彼らの女性関係を語らせる。そんなこんなの合間にクラシック音楽を語らせる。

そして、それを語る主人公と、それを書き取るジャーナリストを描くことによって、この二重構造の人間描写は完成するのである。とてもうまい。とても面白い。

あっさりとした終わり方である。これが物足りないという人もいるだろう。そこが粋なのだという人もいるだろう。

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紙の本

おもしろうて、やがて哀しき大人の物語

2011/11/25 11:29

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る



博学才知の文学者がものした最新作を、その思わせぶりな題名に誘われて読んでみましたら、なんのことはない私の好きなクラシック音楽の世界の話で、しかも東京カルテットに似たさる弦楽四重奏団の内幕、四人のメンバーの離合集散や栄光と悲惨を、面白おかしく大人の物語に仕立て上げました。

四人併せて一つの楽器と称されるカルテットを続けていくことは難しい。それは四人で薔薇の花束を上手に持つようなものだ、という苦労話が微に入り細を穿って延々と続きます。

しかしこの物語の語り手は、その名も「ブルー・フジカルテット」という世界的な弦楽四重奏団の名付け親であり後見人でもある財界の超大物で、彼が残り少ない生涯の思い出と抱き合わせに、このカルテットの誕生と栄枯盛衰の裏話を死後発表を条件に包み隠さず知己の編集者に物語る、というスタイルが、この表向きはポップなフィクションに微妙な陰影を与えているのです。

古典音楽に対する著者のうんちくや英仏独羅とりまぜた鼻もちならない弦楽ならぬ衒学趣味や、男と女の色恋沙汰やポルノまがいの下世話な人情噺も遠慮なく飛び出しますが、最後の最後はさすがに老成し達観した文化勲章受章者らしく、おもしろうて、やがて哀しき人世と芸術への感慨がふと漏れ出てくる。かのヴェルデイの最高傑作「ファルスタッフ」を見聞きした後に似た読後感でした。

惜しむらくは小説の中で著者がいくらボッケリーニやハイドンやモーツアルトについて語っても、吉田秀和氏のエッセイとは違って、肝心の音楽がちっとも聞こえても来ないことでしょうか。



音楽について語って音楽が聞こえてこない論者の至らなさ 蝶人

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紙の本

クラシックの演奏家っていうと、それだけで何だか雲の上の存在みたいに思えるんですが、結局は人間なんですね。メンバーの入れ替えだって、ロックやってる連中と動機も大して変わらない。そういう当たり前のことを、文壇の巨匠が老人の口を借りて話すと、これが実に滋味とユーモアがあっていいんです。

2011/11/27 00:50

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

最初、カバー画を見たとき、てっきり李 禹煥(リ・ ウーファン、Lee U-Fan、1936年 - )か加納光於(1933年-)の作品だろう、って思いました。それと本の雰囲気が、どうみてもエッセイ集。頁数もあります。それとカバーの地色もそう、それと文字の入れ方、灰緑色の地に枠線を付けている。で、著者名も四角い枠のなかに入っている。『人形のBWH』『月とメロン』『双六と東海道』と少しも違わない。ま、絵だけは違うのですが、遠目に見れば同じ。ですから、最初に書店でみたとき、「これはエッセイ集で、書き下ろしの小説は別にあるんだろう」って思いました。ま、どの本も同じ和田誠の装幀ですから似通うのは致し方ないかもしれませんが、でもちょっと変かな。だって、新潮社っていう雰囲気すらないんです。完全に文藝春秋、もしくは集英社、っていうか和田誠本なんですねえ、これ。

ま、それはそれとしてあの丸谷才一の八年ぶりの最新長編ですから、期待してしまいます。で、てっきり書き下ろしだと思っていたら、本の注をみると*初出「新潮」2011年10月号とあります。要するに雑誌に一挙掲載されて、それが単行本になったから〈書き下ろし〉ではない。ま、分かると言えば分かるんですが、でもそれって限りなく灰色、連載じゃないんだし、一挙掲載作品がそのまま同じ月に本になっているんだから〈書き下ろし〉でいいんじゃないかな、なんて思います。で、お話です。200頁に満たない作品で、一気に読むことができるので詳述は避けて新潮社のHPの案内文を使わせていただきます。そこには
                    *
元経団連会長が明かす、世界的弦楽四重奏団の愛憎半ばする三十年。八年ぶりの最新長篇!

カルテットというのは、四人で薔薇の花束を持つようなものだな。面倒だぞ、厄介だぞ、持ちにくいぞ――。互いの妻との恋愛あり、嫉妬あり、裏切りあり。それでも奏でられる音楽は、こんなにも深く、美しい! 財界の重鎮が語る、世界的カルテットとの知られざる交友。人生の味わいを細密なディテールで描き尽くす、待望の最新長篇。
                    *
とあります。まさか丸谷才一が音楽家を小説で取り上げるとは思ってもいませんでした。しかも弦楽四重奏団です。渋いです。我が家にも弦楽四重曲のCDがかなりあります。小説の中でも触れられているアルバン・ベルク弦楽四重奏団、それからジュリアード弦楽四重奏団、あとイタリア弦楽四重奏団なんていうのもあったかしら。曲は、これも又、作中に登場するベートーヴェン、それからモーツアルト、勿論シューベルトもラヴェルも、バルトークもあります。そうそう、ハイドンの全集もあります。

実演を夫と一緒に聴いたのがアルバン・ベルクSQ、確かサントリーホールだったはずで、もう二十年以上前のこと。みんながいっせいに足で拍子をとるのが笑えました。そう、ジュリアードSQを聴く機会はありませんでした、結局。そのころはもう世界一の座はアルバン・ベルクだったと思います。そして、当時騒がれていたのが東京クワルテット。確か、彼らのCDは一枚だけどこかにあるはずです。で、その頃はすでにメンバーの変更があった・・・

で、です。この小説を読んで初めて知ったのですが、あんなに息があった演奏をする彼らが必ずしも仲がいいわけではないんですねえ。仲が悪いというのは変かな、どちらかというと存在が鼻につきはじめているというか。分かります、四六時中一緒に練習して、本番に向かって。それって会社の仲間と四六時中一緒にいるのと同じです。息が詰まる。ま、会社のなかならいい、仕事中ですから。でもアフター5まではお付き合いしたくない。ま、なかなかそう思う日本人は少ないのかもしれませんが、私なんかは嫌ですね。ですから、出張するときも出来る限り待ち合わせは現地の駅の改札にします。隣り合わせに座って話しながら、なんていうのは家族や友人とやることであって仕事仲間とはやりたくない。まして、移動中に仕事の話なんかしたくもありません。

でも、音楽家を仕事をしている人間として見ることがなかったので、この本をよんで、ああそうか、って思いました。でも、こんなこと吉田秀和だって書いてはいません。吉田の全集を全部読んでいますが、どこにも出ていない。でも、丸谷が書くと、ごもっともって思います。だからメンバーが変わる。そうか、それじゃロックバンドと同じだ、なんて思います。例えばヴァン・ヘイレン。いや、ディープ・パープルだっていい。ジャズだってそう。何もクラシックだけ特別視することはない。

で、その不和の原因というのが、女性問題、っていうのが文学だなあ、って思います。これって『新・日本文壇史』を思わせます。彼我の違いはあるかもしれませんが、昭和の日本文壇史なんて、完全に身の下文壇史といっていいくらい〈性〉が中心にある。それとお金の問題。これも文壇史で書かれることですが、音楽の世界にもそれはある。それが四重奏団に亀裂を入れる。結局は色と金。ところがです、さすが文壇の長老、丸谷が書くと同じ下がかった話題、お金の話も下品にならない。ま、そこらはそれを語るのを元経団連会長にして旧財閥系企業の名誉顧問である苦労人で、その弦楽四重奏団のパトロンでもある梶井という老人に設定にしたこともあるのでしょう。ともかく気持ちよく読んでします。

私がこの小説でもう一つ教わったのが、ヴィオラの位置づけ。第一、第二ヴァイオリンがいて、ヴィオラがいて、チェロがくる。ヴィオラって、なんとなくヴァイオリンのまがい物、みたいな気分でいたんです。例えばピンカス・ズッカーマンという有名なヴィオラ奏者がいます。バレンボイムというピアニスト(今では指揮活動の方が盛んですが)とデュプレという天才女性チェリスト(元バレンボイムの奥さんで多発性硬化症で死亡)と組んでベートーヴェン/ピアノ三重奏曲なんかやっています。

このときはヴァイオリニストとして演奏していますが、彼はヴィオラ奏者としてのほうが評価が高い。そこらもこの小説の冒頭で、第二ヴァイオリンの西がヴィオラ奏者に転向するところがあって、それを読むと、きっとズッカーマンも同じように評価されたんだろうな、なんて思ったりもします。この小説では、弦楽四重奏団同様、一番重要な役割を果たすのが第一ヴァイオリンの厨川で、その次がチェロの小山内、で意外に存在感を見せるのがヴィオラの西で、目立たないのが第二ヴァイオリンの鳥海。

彼らがどんな役割を果たして、それにどう色と金が絡んで、それが四重奏団の分裂話に発展し、それがさらにどのような結末を迎えるのか、じっくりお楽しみください。ちなみに、私がもっとも嫌いなのはチェリストの小山内、好きなのが厨川の細君のヴィヴィアンでしょうか。そうそう、小山内の奥方・雪子さんも可愛いです。どんなに可愛いかは、小説をお読みください。

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紙の本

続編をお願いしたかった…

2012/11/01 10:09

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:女医ナー - この投稿者のレビュー一覧を見る

入念な下調べに基づくものであり、読み応えがありました まるでノンフィクションみたいです

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紙の本

30代の作者が書いたと思えば

2012/03/01 05:53

3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ぴけ - この投稿者のレビュー一覧を見る

面白い。

しかし80歳をとうに超えた人間が、この程度の小説しか書けないとなると悲しい気持ちになる。
小説家にならず、書評だけしてれば良かったのではと。

だが、小説内の小物の使い方はとても上手い。
シェリー酒が出てくるのだが、香りがするだけで、ウィスキーに化けることはなかった。

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