紙の本
つらかった。
2012/08/01 16:21
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MOG - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災1年を機に、震災を忘れちゃいけないと購入した本の1冊です。
やはり現場にいた方の言葉は、当時の苦労が伝わって
涙が止まらなかったです。
検死を行った医師の方々、あまりの惨事に逃げ出す人も多い中、
自らも疲労の限界なのに黙々と遺体を回収する方々、全ては
一日も早く家族の元に帰してあげたいとの一念のみ。
本当に本当にアタマが下がりました。
絶対に風化させてはいけない、辛く悲しい災害です。
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投稿者:レッドストーン - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大地震から3年。遺体安置所のルポルタージュ。知られざる震災のアナザーストーリー。皆さん。、是非ご覧あれ。
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震災・津波が残したものの凄まじさに言葉を失う。
つらい本である。登場する人たちの味わったつらさは、おそらくは想像のおよばぬほど大きいであろうことを思うと、ますますつらい。
筆者は釜石の遺体安置所を定点に据えて、様々な人がどのように災害後の日々を乗り切っていったかを描いていく。
何しろ途轍もない災害である。想像を絶する数の人々が亡くなり、残された人々もまた被災し、あるいは友を失い、あるいは家族を失い、あるいは家を失い、あるいは仕事を失い、あるいはすべてを失っている。
そんな中で膨大な数の遺体の身元を判別し、埋葬しなければならない。
心身共に元気な状態であってさえ、つらい仕事に、極限状態で携わった人々の記録である。
筆者はプロローグとエピローグ以外、ほとんど顔を出さない。
複数の人に対する丹念な聞き取り調査を元に、「その日々」を再構成していく。
民生委員。医師。歯科医。消防団員。市の職員。市長。葬儀社社員。僧侶。
その多くは、いずれも紙一重で自らは命を落とさなかった人々であり、自らの行く先も見えぬ状態にある。
自分もまた被災者でありながら、捜索や遺体の管理に奔走しなければならない疲労と苦悩。僧侶ですら「仏の教えなど役に立たないかもしれない」とつぶやくほどの惨状。
わりきれぬ思い。決してかなわぬ「もし」。
筆者は黒子に徹している。だがこれだけの聞き取り調査を行うには、深い信頼関係が必要であったろう。
定点からある視点で記述することが、混乱した状況の把握につながっている。
涙で何度も読むのを中断した。
苛烈な状況を記した本だけに、万人に薦めるのは躊躇われるが、紛れもない渾身の良書である。
亡くなった方の冥福を祈り、遺族にお悔やみを申し上げたい。
*一番印象に残ったのは民生委員さん。頭が下がる
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久々に読んだ石井さんのルポ。
彼の文章は歯切れがよくて好き。ある意味現実的でドライなんだけど、社会が目を背けるタブーを直視するところが、本当の意味でのジャーナリストだと思う。
「遺体」もそのタブーの1つ。震災後、マスコミが隠した「見せてはならないもの」に、切りかかった。
読んでよかったとか感動したとかではなく、やっぱり考えさせられる内容だった。自分がいまどれだけ平和に過ごせているのかを実感してしまう。
◆特に印象に残ったのは、千葉さんと和尚の井上さん。
凄惨な遺体の山を目の前にして、「神も仏もない」という和尚に、彼の娘がかけた言葉「仏様がいるからここまでやってこれたんじゃない!」。
引取り人のなかなかあらわれない遺体に毎日声をかける千葉さん。
すごいよな、すごいんだな、と思った。自分に同じことできる気がしない。。。
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東日本大震災の被災地のご遺体にまつわるルポ。
徒にジャーナリストと言い立てることなく、淡々と事実を連ねるさまが著者の見識をうかがわせます。
震災後半年を経て、マスコミの論調は明らかに復興へ舵を切っており、
あの未曾有の被害も風化しつつある。
でも、あの日数多くの同胞が命を失った事、その無念を残された私たちが心に刻み、語り継いでいくうえでも、是非お勧めしたい本です。
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太平洋戦争以来の大量死。生き残った人々は増え続ける遺体にどう対応したか。311から一ヶ月間の釜石を舞台に,遺体と関わった人の視点でその状況・心境が綴られるルポ。本読んでて涙が出たのは久しぶり。
釜石は,市の半分が津波でやられたが,残り半分は無傷だった。そのため外部の人の手ではなく,地元の人々の手で遺体の発見,運搬,管理が行なわれた。戦争末期の艦砲射撃以来の死者数。消防団員,民生委員,市役所職員,医師,歯科医,葬儀社,自衛隊員,海上保安官など様々な人の体験が語られる。
警察官や消防官はともかく,ふつうの市役所職員は遺体の扱いに慣れてるはずもなく,遺体安置所に派遣されても当初は右往左往するばかり。葬儀社に勤めたことのある民生委員が指揮を買って出て,なんとかやりくり。こういうことって経験が本当に物をいう。
無理もないが,遺族は相当のショックを受けている。こういうときに普段から死にかかわる職業の人は欠かせない。僧侶が来て読経するだけでどんなに救いになるか。普段はありがたみがわからないが,いざというときには頼りになる。社会を守る大事な仕事なんだろうな。
遺体の捜索では,余震や放射能のおそれなどで,何度も避難警報が鳴り,その度に作業を中断しなくてはならないもどかしさ。自衛隊員としては警報を無視するわけにもいかない。また,海上保安庁の巡視船上では,市内の家族の安否も分からぬ隊員がいる中,海面の捜索。志気をどうたもつか,悩ましい。
火葬か土葬かという選択も大変だったようだ。火葬炉をフル回転しても遺体の数に追いつかず,身元不明遺体は土葬ということも考慮される。最終的には他県の火葬炉を使用できることになり,土葬はしなくてよくなったが,季節が夏だったらこうはいかなかったのかも。
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著者の、釜石の人々に対する真摯な姿勢が真っ直ぐに伝わってくる。『死』を自分の中でどう捉えるべきか、そしてどう備えるべきかを今一度真剣に考えるきっかけになった。釜石で亡くなった大勢の方々のご冥福をお祈りします。
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著者は震災直後から被災地入りしていました。震災からまだそれほ
ど経っていない時、ネットで彼のルポを読み、初めて津波被害の様
相がリアルに実感できたことを覚えています。ヘドロや魚の腐った
ような臭い。むごたらしい姿の遺体に嘔吐しながら回収に当たる自
衛隊員達の姿。そこに描かれていたのは、メディアでは決して伝わ
ってこない、生々しい被災地の現実でした。
被災地の惨状を見るうちに「日本人はこれから先どうやってこれだ
けの人々が惨死して横たわったという事実を受け入れるのだろう」
と考えるようになったと著者は言います。そして、「どうやってこ
れほど死屍が無残に散乱する光景を受容し、大震災の傷跡から立ち
直って生きていくのか」を追いかけるため、遺体安置所の記録をと
ろうと決めたのでした。
遺体安置所で遺体のケアに当たった民生委員。遺体搬送係となった
市職員。検屍をした医師。遺体の捜索と回収に当たった消防団員、
消防署員、自衛隊員、海上保安員。葬儀屋。そしてお寺の住職。遺
体の発見から弔いまでに深く関わったこれらの人々の、震災直後か
ら二ヶ月ほどの日々を著者は綴っていきます。
人々は、膨大な数の遺体とどう向き合ってきたのか。泥にまみれ、
苦悶の表情を浮かべる遺体達を前に何を見、何を感じたのか。
想像はしていましたが、それはあまりにも壮絶な日々でした。死者
達の無念や遺族達の悲しみ、遺体に関わってきた人々の犠牲者に対
する思いが迫ってきて、とても涙なしに読み進むことはできません。
テレビやネットで被災地の状況を見たり、実際に被災地を訪れたり
することで、私達は今回の震災のことをわかった気になっていない
でしょうか。そして安易に同情したり、励ましたり、復興方策を語
ったりしていないでしょうか。
住んでいた街が一瞬にして廃墟になっただけでなく、そこに泥にま
みれたり、瓦礫に押しつぶされたり、魚に食われたりした膨大な数
の遺体があったという事実。「死者・行方不明者2万人弱」という
統計上の数字や瓦礫の映像の背後にあるこの現実。
人々はこのことをどう受け入れ、どう乗り越えてきたのか。そこを
抜きに今回の震災のことは何も語れないし、何も始まらないだろう
と思うのです。遺体について語ることは禁忌のように思われていま
すが、それについてなかったかのようにしてしまうのは、それこそ
死者の魂に対する冒涜ではないでしょうか。
震災から既に8ヶ月が経ち、東北はまた雪の季節を迎えています。
しかし、未だ4千人近くの人が行方不明のままです。身元がわから
ないまま葬られた方も大勢います。この方々の魂を誰が弔うのか。
本書には、遺体と関わってきた人々の-そして著者自身の-死者に
対する言葉にならない祈りが満ちています。凄惨な内容ですが、読
後感は決して悪くなく、むしろ救いを感じるのは、その故でしょう。
一人でも多くの方に読んで頂きたい一冊です。
是非、読んでみて下さい
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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体の力が抜けた。まるで瓦礫の向うから、列をなして遺体が行進し
てくるようだった。
軽過ぎる遺体を持ち上げたとき、潮と泥の臭いが鼻をついた。急に
昨年生まれたばかりの孫のことが思い出され、涙がこみ上げてきた。
なぜこんな幼い子が人生の喜びを知ることのないまま泥を被って苦
しみながら死ななければならないのか。
震災発生直後、マチに残っていた住民たちが取り乱す姿はいたると
ころで見受けられた。ある者は怒り狂って叫び、ある者はすわり込
んで嘆き、ある者はいら立ちをあらわにする。誰彼なしにやり場の
ない感情をぶつけずにはいられなかったのだろう。
みんな自分の家庭のことを後回しにして、鵜住居町に救助に入って
いる。にもかかわらず、地元の住民から八つ当たりのように不平や
不満をぶつけられると、これ以上何をしろというのだという空しさ
が胸に去来するのだった。
震災発生から一週間ぐらいは傷のないきれいな遺体が多かったが、
日が過ぎるごとに仮置場に置かれる遺体はむごたらしい姿のものに
変わっていった。瓦礫の下で見つかる者が多かったため、頭がつぶ
れていたり、胴体に瓦礫が刺さっていたりしたのだ。体の一部に裂
傷があり、そこから腐って色の変わった内蔵が出ている者もあった。
松岡はどれだけむごたらしい姿であっても、見つかった遺体に対し
ては「よかったな。これで家族のもとに帰れるぞ」と語りかけた。
家族のなかには犠牲者の変わり果てた姿を目にして泣きじゃくる者
もいるだろう。しかし、心の底では誰もが遺体だけでも帰ってきて
ほしいと願っているものだ。
母校の体育館に足を踏み入れた途端につきつけられた現実は、生ぬ
るい慈善心を粉々に打ち砕くぐらいむごたらしいものだった。五十
体以上の遺体が丸太のように何列にも転がされており、納体袋を開
けてみると目の前に迫る死の恐怖にひきつれた叫びを上げたまま死
んでいった人間の顔が次から次に現れる。
不思議なことに、安置所で多くの遺体に触れるにつれて、工藤の心
は落ち着きを取りもどしていった。被災した土地にはまだまだ犠牲
者が冷たいまま埋もれており、家族が必死に探しても見つからない
ものが多い。自分のしている検歯が死者を家族のもとへ帰すことに
つながるのだと考えると、クリニックを失った自分にもまだやれる
ことはあるのではないかと思えるようになった。
亡くなった人たちや遺された遺族に比べれば、自分はクリニックを
流されても生き残ってここで働いていられるだけ幸せなのかもしれ
ない、と思った。ならば同じ土地で未だに苦しんでいる人たちの力
になることが自分に課せられた役割ではないか。そう考えると暗い
闇の向うに小さな光を見出した気がした。
この近辺では、昔からウニは溺死体にへばりついて腐肉を喰らうと
いわれている。そのため、震災後はどの店へ行っても刺身の盛り合
わせにウニが出されることはなくなっていた。
「俺は現実主義者だから、頭では明男の死を認めている。けど、遺
体があがらない限り、心でそれを納得することがどうもできなくて
ね。釜石にはそういう遺体がまだ多くて、家族とか友人はみな同じ
気持ちでいると思う」
遺体は人に声をかけられるだけで人間としての尊厳を取りもどす。
千葉はそれを重ねることで安置所の無機質で絶望感に満ちた空気を
少しでも和らげたかった。
恵應にとって、死者の顔に浮かぶ無念の表情は決して忘れられるも
のではなかった。死者たちの供養なくしては釜石が未来に向かって
進んでいくことはない。津波が起きたことと大勢の人々が死んだこ
とを受け入れてはじめて、町に残り、家や店を修復し、海辺の町並
みを愛せるようになる。恵應はそのためにも自分のような僧侶が率
先して死者の弔いをすべきだと考えていた。
復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそ
こで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って
生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。
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●[2]編集後記
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また一つ近所のクリーニング屋がつぶれました。
最近、空き店舗ができたなと思うと、後に入るのはクリーニング
屋か自転車屋。特に、低価格を売りにするチェーン系のクリーニ
ング屋が急速に増殖しているように思います。
チェーン系のクリーニグ屋は何せ値段が安いので、それまで地域
でのんびりやってきた小規模なクリーニング屋は駆逐されてしま
います。今年は節電の影響でワイシャツ利用者が減ったことも減
収に拍車をかけたのでしょう。
かく言う自分も、ワイシャツ一枚99円の値段につられ、しばらく
はチェーン系のほうを使っていました。でも、全然綺麗にならな
いのです。襟なんて平気で黒いまま戻ってくる。
それで一ヶ月ももたずに元のクリーニング屋に戻りました。ここ
はワイシャツ一枚180円。倍近い値段です。でも手作業が基本だ
から綺麗になるし、ボタンが弛んでいたりするとつけてくれる。
残念ながらついにそのお店もなくなってしまいました。近所はも
うチェーン系ばかりの不毛な状態です。これから一体どこに出し
たらいいのでしょう(自分で洗濯しろって感じですが…)。
安いものを求めるのは当然だけれども、安さを最優先にする人が
増えると、結局、マーケットの民度が下がり、全体のクオリティ
が低下していくのですね。手仕事を復権することでしか、この流
れを変えることはできないと思うのですが、時代錯誤でしょうか。
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内容はなかなかシビアなものだが、見つめなくてはいけない側面であると思う。
被災した犠牲者の遺体とどのような態度で、どのような精神状態で医者やボランティア、僧侶は向き合うのか、さまざまな立場や役割の人とそのアプローチの考え方は心に響くものがあった。
中でも遺体をちゃんと名前で呼び、話しかけてあげるというアプローチ。ともすれば感覚を麻痺させて遺体をモノだと思ってさばいていかなければおかしくなってしまうのではないかと思うが、あくまで生きている人としての、誰かの家族としてのアプローチを欠かさなかった医師には頭の下がる思いだ。自分の病院でさえ流されてしまい生活は不安であるのに、期待されている役割を果たしたこの医師には敬意を表したい。
もちろんすべての医師がそうできるとも思えないし、そうである必要はない。ただ、このひとつの勇気と優しさに涙が出るのだ。
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(2011.11.14読了)(2011.11.10購入)
【東日本大震災関連・その35】
題名から、東日本大震災に際しての米軍、海上保安庁、自衛隊、消防団、警察官、等による遺体捜索の話だろうと思って読み始めたのですが、違っていました。
岩手県釜石市に取材した話でした。東日本大震災の被災地で、生き延びた人たちが、津波で死亡した人たちの遺体とどのようにかかわったのかをルポしたものです。
遺体の捜索に当たった自衛隊、消防署、海上保安部。遺体の仮置き場から安置所に搬送した釜石市職員。安置所で死亡診断書を書いたり、DNA鑑定用の試料を採取する医師。歯の特徴から身元を割り出すための検歯を行う歯科医師。遺体を棺に納め、火葬場に搬送する葬儀社。亡くなった人を供養するお寺の住職。地元の火葬場で処理しきれない遺体を県外の火葬場へ運ぶ消防団。安置所をとりしきるボランティアの方。
みんな釜石の方々です。遺体にかかわった方々は、死亡した方々の知り合いでもあります。
高台に住む人たちは、海のそばに住む人たちに何があったのか知りませんでした。津波で大変なことになっているといわれても、通行止めで、すぐには確かめに行くことはできませんでした。行くことができるようになってから行ってみても、目の前にあるものが現実とは思えません。(僕も震災の時、たまたま大船渡にいたのですが、同じでした。)
東日本大震災に関して、遺体へのかかわり方に焦点を当てた本がまだなかったので、興味深く読むことができました。
遺体の描写に耐えられない方は、読むのをやめた方がいいかもしれません。
章立ては以下の通りです。
プロローグ 津波の果てに
第一章、廃校を安置所に
第二章、遺体捜索を命じられて
第三章、歯型という生きた証
第四章、土葬か、火葬か
エピローグ 二カ月後に
●警察官から医師へ(29頁)
「先ほどの大地震によって津波が起きました。巨大な波が押し寄せて海辺の住宅や店舗が軒並みやられてしまった模様です。市役所も被災していまだに状況の把握ができていませんが、すでにかなりの死者が出ているのは確かです」
「八雲中にある旧二中を安置所にして、そこにすべての遺体を収容しています。明日から遺体の検案を行いますので、どうかご協力いただけないでしょうか」
遺体の検案とは、死亡の原因や時刻を医学的に判断する行為である。本来は病院以外で亡くなった人の死に犯罪性がないかどうかを確かめる目的で行われる。
●死後硬直(44頁)
死後硬直は筋肉が化学変化によって固まって起こるため、筋肉を揉み解しながら伸ばすともとの状態にもどることがある。例えば腕が曲がっている時は遺体の横に膝をついて、右手で関節の筋肉をもみ、左手で伸ばす。あるいは口が開いているときは、顎の筋肉を左右交互にさすりながら下顎から持ち上げるように閉じていく。五分も十分もそれを続けると、ゆっくりとだが筋肉がほぐれて、固まっていた腕や顎がもとにもどるのだ。
●瓦礫の街(57頁)
3月11日以降、釜石のマチはどこまでも瓦礫が積み重なる廃墟となり、ヘドロを被った死屍が累々と横たわっていた。民家に頭を突っ込んで死んでいる女���、電信柱にしがみつきながら死後硬直している男性、尖った材が顔に突き刺さったまま仰向けになって転がっている老人。数の強い日も、雪の降り積もる日も、遺体は何日間も静かに同じ場所で固まったままだった。
●放射能警報(94頁)
三日目、この日は津波警報ばかりでなく、放射能警報が発令され、屋内退避が命じられた。福島第一原子力発電所で一号機に続いて三号機までも建屋が爆発し、放射能が釜石の被災地まで届くという情報が入ったのである。
人命救助の目安となる72時間が目の前に迫っている状況では、雨によって多少の放射能を浴びることを恐れるより、倒壊した建物の下から何とか一名でも多く人を助け出したい。
●不満(102頁)
「なんで今になって来るんだよ! 遅すぎるよ。すぐに来てくれたら、娘は死ななくてすんだのに! どうしてくれるんだ」
●遺体の搬送(108頁)
日替わりの派遣者たちは、遺体に触れた経験がないものばかりだ。仮置場へ行っても、腰が引けて担架に乗せることができなかったり、運ぶ際に押さえることができなかったりする。ダンプカーの荷台から下ろす際に、怖がって途中で手を離して担架を落としそうになったものもいた。
「仏さんをもっと丁寧に扱ってくれ。同じ釜石の人間なんだぞ。自分が同じことをされたらどう思うんだ」
●海上の遺体(114頁)
何日か経つと、遺体は一体また一体と暗黒の海底に引きずり込まれるように沈んでいく。肺にたまっていた空気がなくなるためだ。遺体の一部は数週間して体内にガスが溜まって風船のように膨らみ、再び浮いてくるものもあったが、多くは魚に喰い荒されて沈殿したまま見つからない。
●検歯の有用性(152頁)
他人と同じ歯型は30万人に一人しかおらず、検歯は身元確認に有用であるというのが一般論だ。だが、それは身元不明者の歯型が描かれたカルテが残っていて照合できてこそである。
●焼け焦げて(165頁)
大槌中の体育館に置かれた30体の遺体のうち20体は焼け焦げて激しく損傷していた。大勢の家族がやってきてその中から行方不明の肉親を探し回るものの、状態があまりにも悪くてなかなか見つけ出すことができない。
☆関連図書(既読)
・石巻市
「ふたたび、ここから-東日本大震災・石巻の人たちの50日間-」池上正樹著、ポプラ社、2011.06.06
「石巻赤十字病院の100日間」由井りょう子著、小学館、2011.10.05
「奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」」中原一歩著、朝日新書、2011.10.30
・大船渡市・陸前高田市
「罹災の光景-三陸住民震災日誌-」野里征彦著、本の泉社、2011.06.30
「3・11東日本大震災奇跡の生還」上部一馬著、コスモトゥーワン、2011.07.01
「被災地の本当の話をしよう」戸羽太著、ワニブックスPLUS新書、2011.08.25
「生きる。-東日本大震災-」工藤幸男著、日本文芸社、2011.09.20
(2011年11月15日・記)
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東日本大震災発生後、瞬間に大量の遺体が発生するという未曾有の事態に人々はいかに『遺体』と向き合ったかという凄まじいルポ。
当事者たちへの綿密な取材に基づいた淡々とした描写に、否が応でも当時の状況が想起されて迫ってきます。
震災後の状況がいかに凄惨であったか。そして、そのような状況の中でも人々は人間らしい心を失わず、いかに『遺体』に向き合い送りだしていったか。
著者あとがきに、「復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。」とある。まさにその通りで、人間は悲しみを引き受けて初めて前へ進めるものなのだと思う。
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これが現実に起こったことなんだと、信じるのが辛かった。
亡くなられた方たちや行方不明の方たちはもちろん、そのご家族も救援活動に携わる職員の方々も地元のボランティアの方々も自衛隊の方も、被災の現場にいた人々はすべて、程度の差こそあれ、この悲惨極まりない災害の被害者なのだ。
救助・支援ににあたっている方々も皆被災者で、ご家族を亡くされた遺族のやり場のない思いをぶつけられ、それでもまだ自分は生きていられるだけ幸せなんだ、生きながらえた自分こそが、この苦しむ人々の手助けにならなければと、一様に心身の限界まで頑張り続けるその姿に言葉がない。
誰も責められない。誰のせいにもできない。だから辛い。
こんなただの傍観者でしかない私や同じような立場の人間に、被災の現実などきっと何一つ理解などできないのだろう。でもせめて、こんな現実があったんだと、ここに書かれていることだけでも、知るべきだと思う。
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遺体をめぐる被災地の現実が、関わった人達に視点をあて、しっかりと書かれています。
悲惨な現実をもっと苦しくする現実があり、それを回避するためそれぞれの職務奮闘した方々がいた。
亡くなったという大きな悲しみが前提だから、手放しで感謝されることは殆どなかっただろう。
それでも自分にできることをやったというのは誇っていいことなのに、もっとやれることがあったのではと悩む姿が、悲しい。
そういうことが起こったのだなと、改めて震災の凄まじさを思いました。
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震災後、厳重に報道規制されていた遺体とそれを取り巻くさまざまな立場の人々の思い。被災を逃れた私たちが本当に受け止めないといけないことが、この本に書かれていた気がする。
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マスメディアからは伝わってこない震災直後の壊滅的な状況を垣間見ることができた。体育館に遺体が運び込まれて、並べられて、生き残った家族が自分の家族を見つけ出して、、、そんな画を想像するだけで、心が張り裂けそうになった。そんな過酷な状況に、釜石のためにとの想いで向き合い、対応にあたっていた人達がいた。すごいな。純粋にそう思う。自分がその立場だったらどうだったろうか。
被災地とは直接的に関わりがない人にこそ読んでほしい、知ってほしい。被災地が本当の意味で復興を成し遂げるまで、見届けたいし、関わっていきたい。