紙の本
新たな視点で書かれた美術評論集
2012/10/05 01:33
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pappy - この投稿者のレビュー一覧を見る
哲学者の立場で書かれた美術評論集。多少の解説的記述はあるが多くはその美術品に対して筆者がなにを感じ、考えたかが記されている。美術評論としては異端だが、それでいいと思う。ブリューゲルのバベルの塔から原発事故を連想しているが、当を得ている。原発事故の後には原発反対派と原発推進派の言葉は違う言語のごとく、全く理解されなくなっているからだ。
表題にも採用されたデューラーの自画像は白黒の印刷画像でも強烈な印象を有し、疑いもしなかった自分の存在をあらためて考えさせられる。
そのほか朝鮮白磁への考察、抽象絵画への考察など、新たな視点を気づかせてくれる。
陶芸は人智を越えた火の力を受けて成り立つものであり、火の祝福を得られなかった多くの破片と人生の破片との二重の痛みを受け入れていくことの上に彼らの芸術が成り立つとは、どんな人生にも当てはまる至言だと思われた。
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美術本というよりは、数々の芸術作品から自分自身を捉えなおす哲学的要素の強い本。
時間をかけて読みたいと思える数少ない本。新書でこれだけ深い内容が盛り込まれてると超お得な気分。
震災や戦争などコントロール出来ないことが否応なく降りかかる時代、自分の物語が作れない。人間、理由の分からない意味不明なものの前にはただ立ち尽くすことしか出来ない。この不可知な世界をクレーやロスコは抽象画という手段で手探りで表現を試みた…
彼らの絵をみた姜尚中は、絵に吸い込まれて意識が溶けていくような感動を受けた。まるで人類補完計画。
深いわ。星6つ付けたい。
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語られている絵を、すごく見たくなった。
お前はどこにいる、私はここにいるよ。
このような問いかけを常に感じながら
絵画や芸術に対してみたい。
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著者が伝えたいことは?
東日本大震災、その後の放射能汚染の恐怖が重なり、多くの人々がこれまで経験したことのない心の動揺や空虚感に苛まれている。
人間というのは、理由さえわかれば、相当つらいことにも耐えられるのですが、意味のわからないことには、耐えられない。あまりにも意味不明な打撃をこうむると、人は、虚脱上達に陥ってしまう。
そんな中でわたしたちが解放されるのは、著者が、一枚の絵をみた時の衝撃、つまり、感動のようなものこそが、まさにカギになるのではないか…
迷路の中で方向感覚を失った人間にとって、最後の切り札になるのではないか…
著者は、当時、それまでの自分から、日本から、そして在日から逃げるように、ドイツに渡り、何の束縛もない状態にあった。その時の状態は、ひとことでいうと憂鬱…とらえどころのない気分、煙りのように動く感情のようなもの。リアルな感覚から距離をおきながら、ふさぎ込んでいる状態であった。
そんな中、一枚の絵、アルブレヒト デューラーの自画像が著者を叩きのめすほどの衝撃を与えた。
そして、著者に対して生きる力を与えた。
そこで、著者は、無感動になってしまった人たちに、何らかの方法で、心を揺さぶり動かす祈りの芸術をみてもらうことを願う。
なぜなら、何かに感動する力というものは、取りも直さず、生きる力であるからである。
感動というのは、自分の中で自家発電的に起こせるものではなく、外から何かに触発されなければならない。
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絵画の鑑賞が、実に個人的な体験であるということを感じさせてくれる。所謂絵画鑑賞の手引書的な内容では無いところが良い。アカデミックな鑑賞も意味の無いことでは無いが、観る者がその作品と対峙し、どのような感慨や影響を受けるかということは、筆者が記したような実に個人的な体験であることを思い出させてくれる。自らの経験や体験と、芸術作品が呼応するような瞬間を味わうことは、絵画のみならず芸術作品を鑑賞することの醍醐味である。
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絵画や陶器との出会いによって、自分に訪れた現象や変化を、まっすぐな言葉で表現している。作者の意図に沿った見方をしても、それとはまったくかかわりなくても、人は自由に作品と対話していい。時代も生きている場所も超えて、人としてわかること、触れ合う瞬間があり、それを感じられる作品と出会えるのは、まさに僥倖といっていい。
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作品との対話、芸術体験。筆者が作品と向き合うことでインスパイアされる何か。そういった作品の紹介。私の好きな作品も多々あって良かった。もうじき京都で開かれる犬塚勉展にはぜひ行きたい。
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59点。自分から、日本から、そして在日から逃れるようにドイツに渡った著者は、そこで一枚の肖像画に出会う。
選択をすることも、しないこともできる鵺のような自由を弄び、懈怠と夢想の中に韜晦していた著者に対して「おまえは何者か」と語りかけてくる肖像画に強烈に圧倒される。
著者は自我への目覚めを「私」とはいったい何者であるのかと問い始めたことにあるという。著者は在日韓国人であり、常にナショナリティやアイデンティティ、民族性、パトリ(故郷)についての葛藤や苦悩が常にあったと説明する。
悲しいかなアイデンティティは「他者」との関係においてでしか見い出せない。翻って海外留学経験もなく日本で育った自分はナショナリティやアイデンティティについて、今まで本気で考えたことがない。
そのような環境に育った自分にとってはナショナリティやアイデンティティについて、なんの躊躇いも考えもなしに織り込まれてしまったのは事実であるが、しかしながらこの点に深刻な反省を欠いて「私は私だ」という認識を持つには至らないし、そのように「私」を極めて単純化してしまうのは極めて愚鈍な振る舞いだとも思う。
だからこそ著者とは対照的に、とりわけ自分自身の悩みは世界における「私」の位置付けというよりは、この「私」のいる世界にこそ向けられる。
非作為的な「私」として「自我」が浮遊してしまい、結果的に「自我」に懐疑的になった。経験の主体としての自我ってなんだろっていう。
だから「私たれ」と強く主張すればするほどに個人的にはピンとこない。
己がある人は強い。尊敬する。自分が主観的な議論を厭い、どこか客観的立場に逃げ込んでしまうのは上記の理由からだと思うのだ。
話の内容から逸れちゃいましたが芸術鑑賞論です、この本は。絵画や画家に関する本が好きならオススメですな。
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姜氏が司会をしていたNHK教育の“日曜美術館”は欠かさず観ていた。小一時間、姜氏の独特の雰囲気に浸りたいという不純な動機もあったけれど、画家や一枚の絵画に対する彼の感想には、必ず彼独自の見方や感じ方が紹介され、その内容はとても興味深く、かつその姿勢を好ましくも感じた。今回、とりわけ思い出深い芸術作品をとりあげての著作ということで、期待して購入。
姜氏の日本語にはどこか切ない美しさがある。そこはかとなく官能的といってもいい。在日という出自を背負った彼の淋しさや苦悩、自分自身への問いかけの日々が、時を重ねて熟成し、独特の芳香を放ち得ているのだろう。
いずれの作品の記述も興味深く読んだけれど、とりわけブリューゲルの“絞首台の上のカササギ”の考察は心に留まった。通常いわれる怖い絵との感想とは裏腹に、そこに再生や希望を見出したいという彼の願いは、辛苦の中にあって未だ人間への希望を捨てない、彼の人間讃歌の姿勢を見た思いがした。
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タイトルに惹かれて買いました。とても読みやすく、私にしては珍しく一日で読み終えることができました。一回目は「芸術に対する鋭敏な鑑賞センス」に圧倒されましたが、二回目はタイトルのような「自己と絵画の存在関係」のテーマに沿って注読していきたいです。
「美術館めぐり」を趣味にしている方にはとてもお勧めできると思います。美術鑑賞のたのしさあるいは意義を共感あるいは発見することができると思います。
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一人の人間、一つの出来事、一冊の本、そして一枚の絵が、人生に計り知れない影響を与えることがあります。
私の場合、そうした一枚の絵をあげるとすれば、それはアルブレヒト・デューラーの自画像でした。彼は何の予告もなく突然、目の前に姿を現し、そしていきなりわたしを叩きのめすほどの衝撃を与えたのです。
そう語る著者は、在日であるという出自、将来への不安など、とらえようのない憂鬱な気分を抱えていた学生時代にドイツの美術館で出会った500年前の青年画家の自画像から「わたしはここにいる、お前はどこに立っているのだ」
というメッセージを受け取ったそうです。
私たちが見るもの、そのすべては私たちの心が外の世界に映し出されたもの「投影」である、と言われます。
そうであるなら、表現者である画家自身の思想や想念が封印されている自画像を観て、私たちが感じるものは、言葉にならない言いようのない感覚、時として私たち自身気づいていないような
心の奥にしまいこんだ感情なのかもしれません。
慌しくストレスフルな日常のなかで私たちは、時として感情を切り離し、押し殺し、無かったことにして生活をしています。
それは、傷つきやすくて壊れやすいハートを守ろうとする心の作用なのですが、どんなに切り離して押し殺して無かったことにしてみても、
本当になくなったわけではない感情は、いつも出口を探してさまよっています。
抑圧された哀しみは、時として怒りとなって私たちの大切な人を傷つけることがあります。
癒されることを待っている心の痛みは、時としてその存在を示すように繰り返し起こる問題となって私たちを苦しめます。
絵画や音楽、演劇に触れる。
抑圧された感情や、言葉にならない感覚に気づく。
それもまた、心を癒す効果的な方法なのかもしれません。
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30年前、デューラーの《自画像》から身震いするような感動を覚え啓示を受けたと云う著者。ベラスケス、マネ、ブリューゲル、クリムト、ゴーギャン、ルーシー・リー、ハンス・コパー、円空、熊田千佳慕・・・などの絵画や陶器や彫刻という古今東西のアーティストの作品群を深い洞察力で綴っている。
福島を訪れた氏が戦慄的ながれきの山を目にした様子から、ブリューゲルの《死の勝利》《バベルの塔》について、失意と絶望の闇の中に、それでも希望のかすかな光が見える。再生の時が必ずやってくるのだ!というそうしたメッセージが認められている。
NHKEテレ『日曜美術館』の司会をやられていたのを拝見して好感を持っていたが、こんな細部まで観ているのかと・・・本書を読んで新たな絵の鑑賞法を学んだ。
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NHK「日曜美術館」司会者であった著者が、思い入れ深い絵・陶芸とその作者について語る。語り口はわかりやすく、面白く読み進めたが、作品の写真がモノクロしかないのは致命的。テーマがテーマなのだから、作品の紹介の仕方にもっと力をそそぐべきだ。
ブリューゲルの「絞首台の上のカササギ」の解釈が『怖い絵』の中野さんとまったく異なり、生と平和への賛歌である…としたのは興味深い。
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あまりピンとこなかったなぁ…。この方面に疎いということもあるけれど。こういう本は自分の目で実物をみて感じないと意味をなさないかも。著者のモラトリアムはよくわかった。
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絵画をどうやって見たらいいか、なんとなく分かった。岡本太郎記念館に行きたい。そして、パンケーキ食べたい。