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紙の本
生命の劇場 (講談社学術文庫)
著者 ヤーコプ・フォン・ユクスキュル (著),入江 重吉 (訳),寺井 俊正 (訳)
「その生物が周囲に与える意味の世界」すなわち「環世界」の概念を提唱し、その後の動物行動学や哲学、生命論に影響を及ぼした生物学者が、対話形式で独自の世界観を展開し、自説への...
生命の劇場 (講談社学術文庫)
生命の劇場
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商品説明
「その生物が周囲に与える意味の世界」すなわち「環世界」の概念を提唱し、その後の動物行動学や哲学、生命論に影響を及ぼした生物学者が、対話形式で独自の世界観を展開し、自説への批判とそれへの反論をも明快に語った古典。【「TRC MARC」の商品解説】
ダーウィニズムと機械論的自然観に支配されていた二十世紀初頭、人間中心的な世界観を退けて「その生物が周囲に与える意味の世界」すなわち「環世界」の概念を提唱し、その後の動物行動学や哲学、生命論に影響を及ぼした生物学者の最晩年の著作。対話形式で独自の世界観を展開し、自説への批判とそれへの反論をも明快に語る、今も新鮮な科学の古典。
生物から見た世界=「環世界」とは何か。
20世紀の動物行動学・生態学・生命論の先駆をなした生物学者が語る、音楽的<生のドラマ>の総譜。
ダーウィニズムと機械論的自然観に支配されていた二十世紀初頭、人間中心的な世界観を退けて「その生物が周囲に与える意味の世界」すなわち「環世界」の概念を提唱し、その後の動物行動学や哲学、生命論に影響を及ぼした生物学者の最晩年の著作。対話形式で独自の世界観を展開し、自説への批判とそれへの反論をも明快に語る、今も新鮮な科学の古典。
生命は種子を播く人に似ています。彼は、何千ものゲシュタルトを秘めた種子を、まるで火花の雨のように散布するのです。風に自らを委ねる種子とか、海水中を雲霞のように漂う多種多様なプランクトンの群れを思い浮かべさえすればいいのです。種子を播く人は、彼が散布する何千もの生命の火花はどれもけっしてなくなりはしないことを知っています。というのは、あらゆる生命は一つのものであり、結局は自己自身へ帰ってくるからです。――<本書より>
※本書の原本は、1995年に博品社より刊行されました。【商品解説】
目次
- 第一章 訪問
- 第二章 昼食の食卓にて
- 第三章 あずまやにて
- 第四章 川原にて
- 第五章 ドラマとしての生
- 第六章 役割、環世界、生の場面
- 第七章 館の池の畔にて
- 第八章 構成のトーン、特殊エネルギー、染色体
- 第九章 種の起源、存在形式の変容、主体の転換、魂の転換、構成類型の変化
- 第十章 遠乗り
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「環世界説」を提唱したドイツの生物学者ユクスキュルの晩年の名著です!
2020/03/26 10:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、エストニア出身のドイツの生物学者であり、また哲学者でもあったユクスキュルが晩年に著した書の邦訳版です。彼は、それぞれの動物が知覚し作用する世界の総体が、その動物にとっての環境であるとして、「環世界説」を提唱した人物で、動物主体と環世界との意味を持った相互交渉を自然の「生命計画」と名付けて、これらの研究の深化を呼びかけました。また生物行動においては目的追求性を強調し、機械論的な説明を排除したことでも有名です。同書では、彼のこの考え方、思考が明確に描かれています。
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生き物の普遍的な見方と、主観的見方。
2012/07/10 10:52
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の作品としては生き物それぞれに「主観的世界」があることを提唱した「生物の世界」が有名だが、本書はその著者の遺作である。もう少し正確に言えば、著者がほとんど書き上げていた原稿を近親者がまとめたものである。
プラトンの対話篇のような形式で、登場人物が機械論と著者の主張を戦わせる議論を展開する。演劇や音楽を隠喩として使用し、「同じシナリオが場所・時だけでなく、出演者も変えて繰り返される。」などとの説明は彼の主張をわかりやすくするものであったろうが、そういった芸術に疎い読み手にはかえってわかりにくいという印象になるかもしれない。
ともあれ、機械論が席巻していく時代にあって、自らの主張をしっかりとまとめて伝えたい、という著者の思いは伝わってくる。いや、強固に主張したいという思いが、少し行き過ぎた「自己弁護」的にかたまったと感じられる部分もないとは言えない。
「物質をただ組み合わせただけで生命は理解できるのだろうか」という問いは、遺伝子や酵素などの「メカニズム」がわかってくる段階で何度も繰り返される。それは機械論に走りすぎないための反省でもあるが、強固に反論をし、自らを主張するあまりに行き過ぎた走り方をすることもまた繰り返されることなのだろうか。
新しい考えに突き進むうち、行き過ぎに反省し、今度は反対方向に行き過ぎることもある。そんな動きの繰り返し、揺らぎながら方向が決まっていくのは科学も他の社会現象と変わりないものだと思わせられる、そんな一冊でもある。