紙の本
読み応えあり
2019/04/29 17:10
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投稿者:十楽水 - この投稿者のレビュー一覧を見る
帯の「高校生もわかる」はかなり?で、この本をしっかりと理解するのは大人だって大変だと思います。正直言うと、よく理解できないところがあったのだけど、今の生きるのに役立つものの見方や視座が得られる、とても示唆に富んだ一冊でした。思想・哲学・政治学・社会学が好きな方にはお勧め。対人援助職の方にも役に立ちそうです。
「アーキテクチャ」「イマジナリーな領域への権利」は、特に興味を引かれました。後者は初めて知ったけど、困難な環境で生育した人に関わる立場の人なら、一度は考えてみる価値がある概念だと思います。
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政治哲学や倫理学の関連用語21を,各7ページ前後で紹介。特に「正義」「善」など,翻訳から来てる用語は日常語の色がついてまわるので,思想の文脈では注意が必要。
「正義」なんかは,日本語で「義の人」みたいに人情あふれる感じの語感があるけど,英語の「justice」は全然違って「法」「公正」という意味合いが強い。正しい解決のためのルールというある意味冷たい含意がある。
「アーキテクチャ」だけでなく「所有」の項にも登場するアメリカの法学者ローレンス・レッシグに興味をもった。クリエイティブ・コモンズの運動を提唱してる人。(主に)ネット上の知的所有権の範囲を限定して,共同創作を推進する活動は,なかなか意義深いと思う。
著者の本はみなそうだが,全体を通じてシニカルな記述が多い。法,市場,社会規範に続いて,人間の行動をコントロールする手段としてアーキテクチャの比重が増してきているが,これが行きつく先はどうなるだろう,とか。
アーキテクチャは,マクドナルドのイスに代表されるように,物理的・技術的な手段で意識させずに人を望ましい行動をとるように仕向ける方策。ルールを守ろうと気遣う煩わしさが避けられるかわり,知らず知らずに主体性が排除されていかないだろうか。最終的に残るのは人間だろうか?
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どんな人でも生活に関係するキーワードを批評。
私も含め,言葉の一側面だけを捉えて考える傾向多い気がする。
思考の整理・再編成にはうってつけの本。
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読む価値あり。これだけの論点の本質を掴み取り、コンパクトに解説するなんて、普通できることじゃない。さすが。
取り上げられているキーワードは正義、善、承認、共感、アーキテクチャ、人間など、ぼく的に気になるものばかり。さらっと読めるのに密度はとても濃い。お勧め。
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「正義」や「善」といった古典的なキーワードから、「アーキテクチャ」や「イマジナリーな領域への権利」などの今どきな言葉まで収録された仲正昌樹流の用語集。最近はこの手の流行を全然おさえていないから、ここ数年での新しい言葉を知るのに役だった。なんなんだ、「アーキテクチャ」って…と思っていたが、初めて意味を知った。仲正昌樹って若干口が悪い感じだけれど、この本に関しては比較的おとなしめ。
思想というものに興味はあるけれど、何から読んでいいかわからないという人は手にとって見るといいかも。おすすめ。なお、玄人は読んでも仕方ないような気も。
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昨今において、様々な所で語られる言葉の幾つかについて、著者の考え方が書かれている。
よもすれば、私たちはこれらについて語る時、世論のコピーになりがちなのを、改めて自分自身で考える大切さを教えてくれていると思う。
以下、ややネタバレも含むが、この本で取り上げられているキーワードを元に、沸き上がってきた私の考えを整理してみた。
正義
更生なルールを追求する議論から、心の奥底にまで入ってきて導きを与えてくれるような正義論への移行
善
何が善かを特定しようとすれば、主体的に係わらなくてはならなくなると思う。
日本のように、自分の立場をはっきりさせなければ生死に関わるような宗教紛争もない国では、抽象的、曖昧、日和見な態度で、善を特定しないことが身の守りなのだろう。
確かにそれは、戦争に突き進んだかつての日本、あるいはナチスドイツのような状況を産まずには済むかもしれない。
しかし、そのままでいいのか。
長いものにまかれろで済んだ、高度成長期は既に過去。
これからは、自分にとって何が善かを語らなければ、個としてどう生きるべきか、わからなくなってしまうのではないか。
承認
『人間関係や仕事や勉強がうまく行っているときは、自分が「認め」られているかどうかなどとわざわざ考えたりしないが、いったん「認められていない」と”気づく”と、どうなったら再び認められることになるのか、見当がつかなるなるからである。周りの人も、どうしたら、本人が認められていると確信する=自信をもてるようになるか分からない。』
世間の大筋の流れに載っていられた時代は、周りに合わせていればよかった。今はもうそういうものはない。
自分で自分を承認できる基準を自分の内に持たなければならない。
それは、【質の良い読書】によるものと、私は考える。
労働
あくまでも金を得る手段か、社会の一員であることを示すためか、「好きな事を仕事にしている」などの喜びのためか、食べていくためと労働を切り離すべきか、自己実現を目的とするのか。
労働というものの意味が崩壊している。
「労働に向き合わない自分」と向き合わなければならないことに、まだ、特に日本人は、慣れていないのに、それと向き合わなければならない情勢を迎えている。
所有
ネットでの匿名が本名での活動か、どこまでも自分の個人情報で、他人の権利であるデータなのか。
金銭的、物理的なものは無料シェアに移行する。
これが、あるいは個々までが「私」というアイディンティティが不明になり、どんどん希釈されていく。
どこに、何によりどころを求めればいいか、その答えもどんどん遠くなっていく。
この先、どうなるのだろう。
共感
共感というものは、すでに食いつくされてしまったように思える。
今のように情報がこれでもかというくらい溢れまくる様になる前は、率直な自分の「感じ方」だけがその場に存在した。
だから共感できたのだと思う。
しかし、今は感じる前に、というか感じる必要を忘れ���せるほどの情報が溢れている。
あまりに多いので、自分が必要と思う情報だけを選択する。
本当に相手が困っていても、それが選択基準ではなく、自分の「お気に入り」や「いいね!」が基準なのだ。
よほどの震災でもなければ、「共感」は不要になってしまったのだろう。
責任
小沢一郎氏や堀江貴文氏への裁判所や検察の対応を見ると、本当の責任追及とはなにか首をかしげてしまう。
東電もオリンパスもそうだ。
明らかに間違っているものを罰しようとするのではなく、単なる祭りになっている。
責任追及ではなく、個々が「これに対してどう対処しようか」と知恵を絞り行動することもまた大切なのだが、それが欠落しても責任追及は、本当の公正さを欠いてしまうように見える。
自由意志
結局、完全な自由意志など存在しない。
何かに影響され、無意識の内に選択している。
時々、その選択について「これでいいのだろうか」と怖くなる。
その選択や怖いという感情を承認するために、また何かを再び無意識に選択する。
しかし、そのことを、人はしばしば、「素晴らしい自由意志」と勘違いする。
そして、それを繰り返すのだ。
自己決定/自己責任
『客観的に、”自業自得の人間”と”自己決定できない状況の犠牲者”の区別をすることは可能なのか?
あるいは、皆犠牲者か』
区別できないこと、とことん相手のために責任を負ってでも助けることに躊躇してしまうこと。
これは共感力の欠如とそうせざるを得ない全体主義のおかげ。
この問題を解決に近づけるのが「ベーシック・インカム」ではないのか。
この章で触れられているロールズの「現代正義論」を再読したい。
「心の問題」
『フランスの哲学者フーコーは、精神医学が元々、~社会の秩序を保とうとする法的権力の要請に対応する形で理論を形成し、犯罪者の精神鑑定などを通して司法に貢献することで、社会的ステータスを獲得したことを指摘している。正常=規範性(normality)から逸脱する異常者(abnormals)たちから社会を防衛しようとする、治安(security)に対する社会の要求が、精神医学的言説に権威を与えたのである。』
つまり、社会のありように寄って、どういう精神が正常か異常かはいくらでも変わる。本当の基準等などないということだ。
よく考えたら恐ろしいことになる。
ベーシック・インカムによって、「働かざるもの飢えるべからず」が当然になったら、今の精神診断基準なんて通用しなくなるかもしれない。
ケア
『「ケア」が人間の生活に不可欠だという前提で、教育や訓練などを通して、家族を中心にとする身近な人同士の関係を蜜にし、支えあうべき、というような価値観を各人に-半場強制的に-植えつけようとする保守的なイデオロギーが、ケアの倫理を培養土して育ってくる恐れもなくはない。…様々な「自由」の土台を掘り崩す危険も孕んで(はらんで)いる。』
すでにそれは起きている、だたそれが潜在化して苦しんでいるのにそれを感じないように洗脳されているか、そういう人達の声が「家族で支えるべき」という考えに抹殺されているかのどちらかである。
どうすればウォール・��トリートのデモのように、顕在化できるだろう。
QOL(Quality of Life)
これからますます、医療の選択肢と情報は増える。その時にほんとうに必要なのは情報やサービスそのもの以上に、患者や患者の関係者の心の持ち方ではないか。結局それが情報を選択するのであるから。
動物化
昔、人間性と教養は一つだった。今は人間性、いや人間そのものがなくても、インターネット上に教養がむせ返るほど積載されている。
教養や情報が人間を媒体とすることを必要としなくなり、独り歩きしている。
これが人間の動物化の所以。
しかし、これもどこかで壁にぶち当たり、結局その時代に象徴されるような生身の人間を媒体としての教養、知識の伝達が起きるのではないか。
現代において思いつく方法とは全く違うかもしれないが。
「歴史(=大きな物語)の終焉」
Aさんは歴史というモチーフで自分を権威付ける物語を形成する。Bさんもやはり同じ歴史を使って自分を権威付けする物語を形成する。
時の権威に寄って、Aが肯定されたりBがそれをひっくり返したり、さらにCが出てきたりのパワーゲーム。
歴史なんてそんなこと。と言いたくなる。
その歴史にも目的があって、それも終焉するということか。
『「歴史の目的」が消失することで、「人間」が目指すべき共通の理想も消失する』という。
その先は、ユートピアか地獄か。
二項対立
以下、Twitterを利用する際のガイドラインとしたい
1)二項対立図式は、対立・論争しているかのように見える両陣営が、それぞれどのような価値観や世界観を背景にしているかを明らかにするために使うべきである
2)感情のもつれとかそれまでの成り行き、単純な誤解・理解不足のために”対立”しているだけであって、本当に理論的に対立しているわけではない場合が多い-というより、圧倒的多数である-ことに留意すべきである
3)したがって、表面的な言葉遣いの対立だけがら二項対立図式を描くのは避けるべである
4)自由主義/共同体主義とか、財政再建路線/経済成長路線のように、それぞれの立場の論拠を掘り下げて考えると、必ずしも対立していないと分かる場合が多いことに留意すべきである
5)既存の二項対立図式が誤った前提に基づくものであったと判明したからといって、問題が解決するとは限らないと最初に認識しておくべきである
6)二項対立図式が存在するからといって、問題が解決することが、必ずしも当事者にとって不幸であるとは限らない、と認識すべきである。
ネットなどの”二項対立”論争に参加することで、孤独を紛らわし、生きがいを感じようとしている人、有名になろうとしている人たちには、こんなことを行っても無駄だろうが。
決断主義
先行き不透明な時代は、決断してくれる指導者がもてはやされる。
もやもやを払拭してくれるように思えるのからだろうか。
ヒトラー、小泉純一郎もそうだという。
しかし、決断を人に委ねすぎると、結局バランスを失って倒れるのではないか。
「自分では決断しない」というのもまた自己責任において下した決断なのであると、客観的に自覚すれば、自分で決断しようという気になるのだろうか。
暴力
かくして、諸先生方、警察、裁判所その他もろもろは、間違った取り調べや裁判を正当化し、経済問題は人口減少のせいでどうしようともないと行って、何の手も打とうとしない。
利権を取られたくないという恐怖心を克服して、むだな暴力を手放していただきたいものである。
アーキテクチャ
『”私たち”の意識は、周囲の自然的あるいは技術的環境によって既にかなりの制約をうけており、その範囲でのみ「自由」があるのではないか、と思えてくる。』
しかし、その「周囲の自然的あるいは技術的環境」も、実は無意識の内に自分で選んでいると思うと、また違う選択肢が見えるのではないだろうか。
カルト
以下、私自身も留意したい
『実態がよくわからない内から、安易に、『協議に問題があるはずだ」とか、「おかしな協議によって若者が狂気に走っている」などと決めつけるべきではない。何の科学的・法倫理的検証もないまま、「教義が悪い」という前提で、その宗教を信じる人全てを犯罪者扱いするのは、「信教の自由の原則」をなし崩しにしかねない危険な徴候だが、日本では、大学の教員やマスコミに登場する評論家、大手出版社のベテラン編集者などにも、その肝心な店が全然ピンと来てなさそうな人が少なくない。そういう人は”カルトの恐怖”を語っている自分自身が、”フリーメーソンの陰謀”並の”雑で大きな物語”にはまっていることになかなか気付かない。』
イマジナリーな領域への権利
この本の中で一番難しいお題かもしれない
『「自己決定」のための基礎としての「自己」自身を再想像する(メタ)権利である』
まず、こういう権利があることに驚いた。
進学先、医療等、私たちは常に選択と自己決定に迫られる。
しかし、「自己」がどういうものか、どうしたいのかが分からなければ、それに関する決定もあやふやになってしまう。
よもすると私たちは、自己決定とは名前だけの他人や世間体からの決定を強要されたり、自己決定の機会を見過ごしてしまうことにもなりかねない。
だから『人生の重要な場面において、他者の助けを借りながら、「私」は何を求めているのか、どうなりたいのか、「自己」のイメージを(再)形成する機会を設定して貰う権利』を顕在化させ、意識しなければならないのである。
そうしないと、性虐待を受けた人が、ポルノ産業でお金を稼ぐ事を正当化するために、性虐待の経験を商品としてみなすということが起きる。
これは他人から強要された価値観を間違った仕方で内在化することだ。
この人が新しい自己決定をするためには『人生の重要な場面において、他者の助けを借りながら、「私」は何を求めているのか、どうなりたいのか、「自己」のイメージを(再)形成する機会を設定して貰う権利』が必要である。
『今の日本では、「イマジナリーな領域への権利」が法的理論の上から払い落とされたままではないだろうか。
これについての議論がもっと顕現化すれば、失業、貧困、格差社会、そういう人達が受ける差別などの問題に、今までと違った角度で光をあてることになる。
人間
倫理として、医学技術から見て、環境問題���一貫として、そして法的にも。
一口に、「人間とはこうである」と言えなくなってきた。
個人的には、「人間とは」の前に、質の良い読書によって自分の内に確固とした、且つ柔軟な基準を気づきたいと願っている。
それが、「人間として私はこうありたい」というものを作ってくれるのではないかと思うからだ。
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哲学・思想系述語集です。意外に読み応えたっぷりです。マスコミやネットで良く出てくる言葉を著者が選択して,その意味を語っている。
ちょっと毒づいてみたり,淡々と説明していたり,著者のカラーがとてもよく出ていると思いますが,哲学に関して全く知識のない僕にとっては,若干難しいと感じることもありました。
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2012.01.15 最近サンデル先生のおかげで有名になった「正義」や「善」からはじまって「動物化」や「アーキテクチャ」まで、哲学や思想用語としてのその言葉の意味を一通り理解することができた。まだ1回読み流しただけだが・・・なるほどそういうことだったかという感じです。再確認につながることも多かった。
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みそ汁をしばらく放っておくとみそが沈んでしまいますよね。アイデアやイメージがその沈んでしまったおみそだとすると、この本は、そのみそ汁をお箸でくいくいっとまぜるような読みものです。
ちゃんと言うと、あたまのなかに沈澱し(そしてある意味では安定化し)たイメージやアイデアを掘り起こして思考する意欲を刺激してくれるような本です。あまりたくさんの知識を与えてくれる本ではありません。むしろ、映画の予告編のように、いろいろ考えたく、知りたくなる本だと思います。
ご本人もあとがきで言っておられますが、けっこう毒舌で、譲歩やカッコ書きのあたりにユーモアやアイロニーが見え隠れしています。けっこう笑えます。
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リベラル(自由主義的)な立場の人は、いかに自分にとって正しく思えることでも、他人の心の中のこと、価値観にまで干渉することは避けようとする。
リベラル系の政治哲学、倫理学では通常、正義の根底にあると想定される共感の問題はあまり表に出てこない。
自殺を禁じるキリスト教の教えとの関係で、安楽死、尊厳死に反対する人が多いアメリカでは、安楽死らを容認することにつながるQOLに反対する意見も多い。
近年、社会学や法哲学、文芸批評の分野で社会的規制の手段としてのアーキテクチャーの有用性とそこに秘められた危険が話題になっている。
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仲正先生の本、久しぶりに読みました。
おもしろすぎて頭が変になりそうでした。
帯には
高校生もわかる「思想」入門
なんて書いてあるんですが、
こんなの高校生のときに読んでたら、頭破裂していた気がしますよ僕は。
それは良いことかもしれないし、悪いことかもしれないし、そこは分からないんだけども。
政治やメディアの場でなぜかよく使われるようになっている、哲学・思想用語を取り上げ、
学術上の意味や文脈を自身の考えを織り交ぜながら解説していきます。
その「仲正先生の考えを織り交ぜながら」の部分がだいぶ乱暴です。いい意味で。
一つの項を読み終わって、そのキーワードに対する理解が頭の中ですっきりするなんてことはなくて、
むしろ頭をざわざわにしていってくれるんです。
こわい。たのしい。
メディアに触れてるとホントに良く見る言葉ばかりですし、
誰しも関係ある(ようにメディアで強烈に見せる)キーワードなので(いや実際みんな関係あるんですけどね)、
どれか一つでも関心ある人はその項だけでも読んでみるとなかなか面白いと思います。
例えば自分が何かしらのwebサービスに携わり、
それを通じてメッセージを発するとき、
そのメッセージがどんな意味を持っているのか、持ちうるのか、
うまくコントロールはできないにしても、
せめて敏感でいたいな、とは思っています。
(webサービスじゃなくてもそうですが)
あとがきで、言及してますが、
「カリスマ」「セカイ系」「リア充」など他の候補たちの術語集もものすごく読んでみたい。
続編に期待したいんですが、出ないかなあ。
扱われているキーワード
「正義」「善」「承認」「労働」「所有」「共感」「責任」「自由意志」「自己決定/自己責任」「「心の問題」」「ケア」「QOL」「動物化」「歴史(=大きな物語)の終焉」「二項対立」「決断主義」「暴力」「アーキテクチャ」「カルト」「イマジナリーな領域への権利」「「人間」」
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「私」が安心して「主体」として振る舞えるようになるためには、「私」から見て、立派な自立した「主体」であるような他者たちから、対等な立場で「承認」される必要がある。その他者もまた他の”他者”からの承認を必要とするはずである。つまり相互に(無限に)承認し合う関係が成立していることによって、「私たち」は安定的に「主体」たり得るのである。
自己の個性・自由・歴史性を意識する「人間」の欲望は、「他者の欲望」を欲望する。①他人が欲しがるものを「私」も欲しがる。②他者の欲望を「私」の思うようにコントロールする。③欲望する主体としての「私」を(同じように欲望する主体である)他人に認めさせる。―③相手に認められたいから、①同じものが欲しいし、②相手の欲望を自分の方に向かせようとするわけである。ヘーゲルは、この③を「承認」と呼んでいる。
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現代思想を語る上で重要となるキーワードを著者が説明するという切り口の書。正義、労働、責任など一冊でまとめきれるはずのないキーワードを歴史、語源から読み解き、現代と照らし合わせている。
こういったテーマを広く知る上では適したものであるのでは…。
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帯には「高校生にもわかる」とありますが、旧制高校の間違いだと思います。入門書としてはどうなんでしょう。歯ごたえあります。21の政治哲学・倫理学系の術語(述
語ではない)集です。承認、所有、共感、自己責任など、面白い。
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[2013-1-13]
kindleで1回目読了。とても面白かった。
詳細はkindleのメモ参照。
特に面白かった章は「所有」と「動物化」。
1. 「所有」
・ロックの[労働→所有論]
=労働による加工。これによる「固有性の注入」が「所有」の根拠。
→もっとも固有化作用の限界はどこ?どこまでの「固有化」が所有を根拠づける?というノージックの疑問。
←これを土地を例に検討。定住して生活する農耕民族と移住を続けて生活する狩猟民族とに土地所有権の帰属に違いがでてくるのでは?
←本書ではロックの[労働=所有]は農業のための土地所有を前提としているとする。
=「定住」を前提とすると、最初に開墾した者に同じ土地を耕作させ続けることがその「農業共同体」にとって都合がよい。
⇒都合がよいかどうか、これが「権利」の帰属の決定要因。
■再読する本
⇒「新民法体系」の物権法(加藤雅信)p321以下参照。
※入会権も。
2. 「動物化」
・自由主義の勝利=「歴史(大きな物語)の終焉」
→理想の消失=ポストモダンの現状
→ヘーゲルにいう承認のための「闘争」の消失=「人間の本質」の喪失
・コジェーヴによる「ポスト人間」の2つの可能性
①動物化するアメリカ人
②スノビズムを追及する日本人(形式美・様式美の追求)
■再読する本
⇒「物語消滅論」(大塚英志)
⇒「動物化するポストモダン」(東浩紀)