電子書籍
異常とは相対的なもの
2018/12/29 11:11
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書を読むと正常異常の判別が、その時代その地域にとって役に立つか立たないかというような基準で相対的に判別されていたのが良くわかる。
同一性同調性が強調される日本社会をベースに考えると、いろいろと考えさせられることが多い。
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医学の立場から広く社会を見ての「異常」論。基本的に数が少ないものを異常として排除する差別のメカニズムであることが前半で述べられる。またこの本の白眉は、正常を追求していくと異常になるとか、正常と異常の裏腹の関係について述べている部分だ。正常と異常を対立するものとする弊害を取り除くためにグラデーションで説明するモデル(たとえばセクシュアル・マイノリティについての説明などでは頻繁に用いられる)だと、結局ものごとに序列がついて排除の対象になるので、メビウスの輪のように片方の極からもう片方の極へいつのまにか行ってしまうようなモデルで考えよう、というところは、まだ説明としては煮詰まっていないけれども、そうだよなぁと思ってしまう。実例としては精神医学などでの異常の病理化について、ホロコーストについて、など読み応えのあるところがいくつもある。ナチスの中枢にいた人々が、めちゃめちゃ鬼のような異常者とかではなくて、むしろ小心なまじめな人(ただし、もう必死にまじめな「メランコリー型性格」と言われる人々)である話など。議論の中で必要な書籍を紹介してくれるところがうれしい。
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まだ途中であるがなかなか読みがいがある。こういった本は買った時のモチベーションが続かないと積本になってしまうので中が必要である。正常と異常の境界はどこなんでしょうねぇ・・・?
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さすがに『アイヒマン調書』を訳した方。期待を裏切らず、知識が幅広く、読みながら、様々な視点、角度より、この「奥深いテーマ」について、考えさせられた。「あとがき」に記されているように「十分に語りきれなかった」部分はもちろんあるだろうが(むしろ、あって然るべきだろうが)ぜひ、続編を期待したい。
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魔女狩りの対象となった女性たちの多くは農村の主婦、老婆、サンバ、占い師、ユダヤ人などであった。
父権的宗教たるユダヤ・キリスト教が台頭すると、男性神としての唯一神が崇拝され、女性の地位は下落する。
日本が自殺基本法という法律まで創ったのは、OECDの中でハンガリーに次いで2番目に高い自殺率が国家のはじであるという動議があった。
ヒトラーとナチズムの人種イデオロギーの最終目標は、優秀なドイツ民族が世界を制覇し、列島なユダヤ人種が地上から根絶されることであった。その思想がすでに異常だ。
アウシュビッツは決して野蛮な産物ではなかった。むしろ一連の工業化された大量殺人の過程は高度な文化、科学によって生み出されたものであり、すべてを無駄なく利用するという経済的な効率が最大限に活かされたところにその特徴がある。
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結局、今の時代のうつの多さも、歴史が何かしらの証明を出すんではないだろうか。あの時代は病んでいた、と。まともって何だろうと深く考えさせる一冊。
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すごく興味深いタイトルだ!と思って買いました。
異常だ異常だ!じゃぁ、正常ってどういう状態?という感じで人の感覚、価値観の奥底にあるものを解き明かすべく検証が淡々と進んでいく感じ。
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「正常」と「異常」の境界線について現役の精神科医が論じた本。精神医学を「狂気を排除する」と主張したフーコーの説も批判的に検討されている。
正常、健康であることが常にポジティヴ、異常、不健康であることが常にネガティヴであるというのは今も昔も同じだが、その物差しは時代ごとに変わります。現代語の「マニア」の語源である古代ギリシア語の「マニアー」は「躁病」、さらにたどれば「預言者」という意味であること、「大宝律」に記述のある「癲狂」は誇大妄想、パラノイアのことであり、彼らは犯罪を犯しても刑罰を軽減される存在であることなど、面白い記述が多くある。他にも、「狂」という字の「王」はシャーマニズムの儀式で使う神聖な鉞(まさかり)である、というものもある。
中世~近代の市民社会形成期には、一方で異常なる者が高く評価され、他方で排斥されるという一見逆説的な現象が起きた。これにはキリスト教信仰熱が高揚する一方で、都市部を中心に脱宗教化(世俗化)が進んだという背景がある。
14世紀のペスト大流行、15世紀の新大陸発見、16世紀の小氷期到来など、社会が目まぐるしく変化する中で、鬱憤を晴らすためのスケープゴートが求められた。それが形になったのが「異端審問」、「魔女狩り」。
著者は現代日本に関して、「健康ファシズム」への警鐘を鳴らしている。これはメタボリック検診において血圧や体脂肪率などが正常値の枠内に収まらなければ、例外なく「異常」と診断するような風潮に見られる。これがナチスの行った優生学に基づく「遺伝病子孫予防法」制定などの政策を思わせるものだとして批判される。著者の見解は少し極端に感じられるが、大筋では納得。
秩序や規則も極端にまで推進すれば異常なものになる。何の事情も例外も考慮せず、「遅刻は規則違反」とするのは、全体主義的で柔軟性に欠いた。ルーズさや余裕さを許容したほうが寛容で住みやすい社会と言えるだろう。
「異常」という問題には前々から興味があったが、満足出来る内容だった。
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異常と正常は時代によって異なる。また、対極のものではなく、メビウスの帯のように繋がっている。正常が行きすぎると異常となる。
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本書の中心的な論点は、「異常(略)の対概念である正常との関係構造に着目し、正常と異常とは内容的には倒置し得ることと、正常と思われる有り様も、それを過剰に、また極端にまで推し進めれば異常が立ち現われること」にある。そして著者は、異常について考察するに当たって「私がこれまでさして脈絡を気にすることなく携ってきた精神医学の歴史研究(精神医学史)、ナチズム研究、臨床上の治療研究という三者が、本書において計らずも合流している」ことに気付いたという(あとがき)。
著者の『精神医学とナチズム』(講談社現代新書、1997年)はかつて拝読して感銘を受けたし、もちろん今回読了した本書も示唆に富んでいる。しかし、通読して気になったのは、最終章「正常とは何か?」の内容の薄さであった。上述の通り著者は様々な視点から「異常」について考察し、「正常」と「異常」が社会的に規定される相対的概念であることを明らかにしている。しかし、紙幅の関係もあってか核となる社会哲学を展開していないために、結局両概念の社会的規定構造を剔刔できていない印象を受ける。
例えば昼田源四郎『疫病と狐憑き』(みすず書房、1985年)は、現象学的社会学の立場から「正常」の社会的成立機序のみならず「異常」概念の社会的機能にまで言及している。本書もここまで突っ込んで記述してくれていればもっと面白くなっただろうと惜しまれてならない。
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序章 異常とは何か?
第1章 異常と正常の倒置
第2章 異常と臨床
第3章 正常の過剰態としての異常
第4章 正常と異常のトポロジー
第5章 社会における異常と正常
終章 正常とは何か?
著者:小俣和一郎(1950-、東京都、精神科医)
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異常も正常も、その時々の時代で人間が作った概念でしかない。本当はどちらも、ただそこにあるだけ。読むと、世界に対する視野が広くなる本。
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新書は難しい専門性の高い知見や話題を平明に広く還元することにその主眼があると思う。それを隠れ蓑に内容の薄い新書もあるがこれは違う。さにタイトル通りのことをいろいろと語っている。社会的な規範や慣習で決まってくる枠組みとその社会自体の移ろいにどういう分岐があったかそもそも今の認識はどうなのかといったようなことを丁寧に語っていると思う。情緒を排して冷静に問題点をえぐっている。文章は平明だが内容が重く、とても有意義な内容だった。
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正常と異常、これも状況によりけりで判断されるのかな。何を正常と位置付けるかで全てが変わるし、それを位置づける人がどうやって正常と異常を判断するのか。
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「異常」の定義づけを試みた一冊。
同時に「正常」についても定義づけをしていき、同一の対象が、ある時は正常である時は異常となる現象を中心にして、果たしてある客体が異常な状態とはどういう「状況」なのか、から異常性について紐解く。
異常とは、正常ではない状態ではあるのだけど、そもそもその正常とは時代によって異なるのはなぜか? それはイデオロギーとの関係、正常を過剰に推し進めた状態での異常、メランコリー型の社会というネイションとの関係など、様々な角度から説明を試みる点が(姿勢が)とにかく素晴らしい。