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著者/著名人のレビュー
主に1960年代の少...
ジュンク堂
主に1960年代の少女漫画について姫野さんが熱く語る一冊。
私の知っている漫画はほとんどないけれど、
少女だった頃「りぼん」や「なかよし」を楽しみにしていた、
そんな記憶が懐かしくよみがえります。
あんなにむさぼるように漫画を読んだり、
主人公に思いいれたりすることはもうできないだろうな・・・
しかも漫画の台詞をほとんど間違いなく記憶している姫野さん、すごいです。
紙の本
懐かしくしかも新鮮
2012/04/08 06:44
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:お月見 - この投稿者のレビュー一覧を見る
文庫書き下ろしという形で出版された本の帯には「な、ない!知ってる漫画がひとつもない!それなのに、この感覚はー間違いなく、知っている!」とのあおり文句が記載されています。姫野カオルコさんが語られている漫画のリストは、梅図かずお、一条ゆかり、赤松セツ子、はまえりこ、牧美也子、松井由美子。長谷川一、巴里夫、今村洋子、木原としえ、大島弓子、山岸涼子、松尾美保子さん。などなど。浜慎二もあった。・・・懐かしいです。
私は、知っている作家さんは多いけど、作品はもう少し後期のものを読んでいたので、たとえば貸本屋時代の作品など、初期の作品はわかりませんでした。
それでも帯のあおりのように、冒頭の口絵の付録コレクションは、知らないのに知っている感じがします。紙でできた櫛に、厚紙に銀紙を貼っただけの鏡のコームセット。着せ替え、びんせん、シールにドールハウス。「なかよし」や「りぼん」「ちゃお」を買ったら真っ先にチェックするのは付録だった。付録がまとめて入ったビニール袋を開ける時のテンションは、時代が変わっても変わらないものでしょう。
たぶん、一番近い感情は、「小学一年生」などの学習雑誌(「うわさの姫子」の連載や、センスは少女雑誌に比べて劣るけど安定したつくりの付録など)や、中一コース・中一時代のレトロ感でしょうか。
あとがきで姫野さんが、少女漫画評でも漫画史でもなくて、むかしばなしを語っただけとおっしゃっているように、このエッセイは、子供時代の姫野さんがいかにして少女漫画と出会い、とりこになっていったかが語られているだけです。
でも、巻末の編集の方が驚愕されているように、姫野さんの驚異的な記憶力!まるで「ガラスの仮面」のヒロイン、北島マヤのように、セリフをほぼ完璧に覚えている。素晴らしいのめり込みぶりです。この、のめり込んだら一日中でも薄幸のヒロインやバレーシューズの事を考えていられる律儀さと執着ぶりが、知らないのに共感できる感覚だと思いました。エッセイを読んでいる間じゅう、子供部屋で、茶の間で、寝っころがったり、ひざを立ててまるくなって少女漫画を読みふけった自分の姿も蘇ってきて、実家で探せば、あのころの付録コレクションが少しは発掘されるのではないかしらと触発されたりして。・・・「花とゆめ」創刊号の付録のケース、探せばまだあるかもしれないなあ。
あとがきには、第二弾も準備中とあるので、ぜひ楽しみに待ちたいと思います。
紙の本
花より少女漫画
2012/01/27 10:41
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
女の子を初めて異性として意識したのはいつだったろうか。
巷間よくいわれるような保健の時間に女子が別室に移動したという光景は覚えていない。
女子の背中に下着の影が映った頃、それは小学六年くらいであったか、そのあたりから異性として意識したような気がした。
それでも、彼女たちが読んでいた「少女フレンド」や「マーガレット」を貸してもらって楽しんでいたのもその頃で、少女漫画雑誌も少年漫画雑誌もあまり気にしていなかった。
ところが、「お目眼の中にお星様キラキラ、バックにお花」といった少女漫画のことは覚えていない。記憶にあるのは、楳図かずおの恐怖漫画なのだ。
姫野カオルコの「漫画評論でも漫画史でもない」、「むかしばなし」のような漫画エッセイの巻頭が、その楳図かずおのことだというのがうれしい。
この本で紹介されているのは楳図かずおの『赤んぼ少女』という1967年の作品だが、私が出合ったのはそれより少し前の『へび少女』や『ねこ目の少女』だった。
その漫画が読みたい一心で、女の子たちから借りたものだ。
怖くてこわくて、いまだにその漫画が記憶に残るほどだが、女の子たちは楳図の恐怖漫画をキャアキャア言いながら喜んでいたと思っていたが、姫野のようにやはりきちんと覚えていた女の子もいたのだ。
この本のなかで姫野が何度も書いているように、これは1958年の作家姫野カオルコの、しかも彼女が少女漫画に夢中になった「1963~1970年」の漫画に限定されている。だから、「花の24年組」と呼ばれる萩尾望都や竹宮恵子はほとんど語られていない。
ここでは一条ゆかりや赤松セツ子といった、それでも少女漫画の礎を作った漫画家であるにはちがいないが、人たちと作品が、しみじみと語られている。
男の子たちが女の子たちにまだ異性を感じたか感じないかの頃、きっとこの頃の女の子たちはもっとしっかりと自分たちが男子ではない異性であることを認識していたのだと思う。
女の子にとって、子供みたいな男の子を相手にするよりも、少女漫画の世界にこれから訪れる大人の匂いを感じとっていたような気がする。
所詮、男子は女子にかなわない。