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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2009.11
- 出版社: 講談社
- サイズ:20cm/237p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-06-215896-1
紙の本
背中の記憶
著者 長島 有里枝 (著)
写真家の目に刻まれた過去の瞬間—記憶の奥にしまわれた原風景が鮮やかに甦り、置き忘れてきたいくつもの感情が揺り起こされる、珠玉の物語、全13篇。【「BOOK」データベースの...
背中の記憶
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商品説明
写真家の目に刻まれた過去の瞬間—記憶の奥にしまわれた原風景が鮮やかに甦り、置き忘れてきたいくつもの感情が揺り起こされる、珠玉の物語、全13篇。【「BOOK」データベースの商品解説】
【講談社エッセイ賞(第26回)】幼き眼に焼き付けた、哀しくも愛おしい家族の肖像。記憶の奥にしまわれた原風景が鮮やかに甦り、置き忘れてきたいくつもの感情が揺り起こされる、珠玉の物語全13篇を収録する。『群像』連載に書き下ろしを加えて単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
背中の記憶 | 7−27 | |
---|---|---|
はやくとかわいい | 28−37 | |
夢 | 38−54 |
著者紹介
長島 有里枝
- 略歴
- 〈長島有里枝〉1973年東京都生まれ。California Institute of the Artsファインアート科写真専攻修士課程修了。写真家。第26回木村伊兵衛写真賞受賞。
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紙の本
出版データではNDC分類が 914.6 となっていて、随筆、エッセイに分類されているんですけど、あとがきで本人がこれは「実際の話ではない」とことわっているわけで、やはり本人の意思を尊重して私小説にすべきだと思うんです、わたしめは・・・
2010/08/10 17:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ともかく一度見たら忘れられないブックデザインで、上手いとか下手を越えたカバーだなあ、せっかくの意匠を背に生かせなかったのだろうか、なんて思ってしまう、さほどにカバー表が際立つ装幀です。ともかく、この色使いと文字! それと角背を選んだことがこの小説の硬質な文体を表すようで、これまた上手いなあ、と思います。このデザインなくして私がこの本に手を伸ばすことはなかった、そんな装幀担当は、服部一成。
で、長島有里枝、全く知りません。著者紹介には「写真家。1973年、東京都中野区生まれ。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。California Institute of the Arts ファインアート科写真専攻修士課程修了。93年、家族とのヌードポートレイトでアーバナート#2展パルコ賞を受賞しデビュー。2001年、写真集『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で、第26回木村伊兵衛写真賞受賞」とあります。
写真の世界には全く不案内ですが、木村伊兵衛の名前くらいは何となく知っています。ですから、その人の名前を冠した写真賞受賞しているのは立派なんだろうなあ、とは思うのですが、それまで。結局、装幀と、初出が「群像」2008年8月~2009年7月号(「カタツムリのなみだ」は書き下ろしです)とあって、講談社が出しているならそれなりなんだろうなあ、厭なら途中でやめればいいんだし、と判断して読むことにしました。
ちなみに、出版データではNDC分類が 914.6 となっていて、随筆、エッセイに分類され、出版社のHPの「狙った言葉と無縁の世界 鴻巣友季子」にも
*
写真家の文章にはかなわない。
と、つねづね思ってきたのだが、四代にわたる家族の記憶を綴ったこのエッセイ集を読んで、その感をいっそう強くすることになった。しかも、作者にとってはこれが初めての文筆作品だというからすごい。余分な肉を削ぎ落とした文章は、しなやかであると同時に硬質で芯が強い。
*
とありますが、それは後日、書評のために確認したから分かったことで、私は当然のことながらこれを昔懐かしい私小説として読みました。あとがきでも、著者は「実際の話ではない」とはっきり書いています。やはり、これは小説に分類されるべきものではないかと思うのですがいかがでしょう。出版社の考えと読者の思いがすれ違うことはままあって、例えば多胡吉郎『リリー、モーツァルトを弾いて下さい』などはどう読んでも音楽エッセイ、もしくは随筆なのに分類は小説。
そのおかげで、畑違いの書架に入れられ、読まれるべき人の目に付かない、なんていうことがよくあります。そういえば、椎名誠『アメンボ号の冒険』も、児童書に相応しい内容と体裁なのに、一般書に分類されてしまったために、本来この本をもっとも読むべき小学生が書架に近寄りもしないというばかばかしい実例があります。本来、分類などは作品の価値とはなんの関係もないのですが、それで読まれなかったりするのは勿体無い。もう少し、考えて欲しいものです。というわけで、私はNDC分類を無視して、小説としてこの本を紹介していきます。当然のことですが、語り手は長島有里枝ではなく、主人公ということになります。
彼女は、小学五年生の時、賃貸を嫌った父が分譲の団地を購入したのを契機に、埼玉に引っ越すことになります。何をさせてもそつがないかわりに特技がない、そして容姿もごく普通の子供です。子供の頃は通り二本隔てた祖母の家で過ごすことが多かったのですが、引越しでそれも出来なくなりました。彼女には四つ年下の弟がいます。周囲からは姉よりできる、と見られていて、容姿にも恵まれる少年は、運動神経が抜群によく、母の過剰な話しかけから逃げるのが上手です。
おしゃべりが止まらない母は、話し好きというよりは沈黙に耐えられないといったほうが正しいかもしれません。もともと明るい性格で、若くして家庭に入ったため、やりたいことが出来なかったという思いを抱いています。そういう人によく見られるように几帳面ではありません。でも、夫を助けるために働くことには何の疑問も抱きません。その母が後ろめたさを感じていることといえば、主人公である娘を保育園に入れたことです。
そうした母に対して、引越しを決めた父は、高校を出て寿司職人となったものの、職人の賃金では家族四人が食べていくには苦しく、30歳を過ぎて職人を辞め、自分で店を持ちます。ここらへんのところは私にはよく分かりませんが、私が考えてもうまくいくとは思えません。結局、予想したとおり店のほうもまくいかず、その後、職を求めていたとありますが、その後の仕事がはっきりと描かれることありません。
それでも当時あこがれの的だった団地に入ることができたのですから、それなりに働き者ではあったのでしょう。それと対照的なのが、母の弟であるマーニー、叔父です。趣味人によくある変わり者で、今で言えば引きこもりに近いのですが、病的というわけではなく、気分にムラがある、といったほうがいいかもしれません。祖父の跡を継いだことに鬱屈を感じています。
どちらかというと主人公の周辺にいるのは、地味で暗い人たちばかりなのですが、そのなかで立派なのが上州うまれの祖母です。鳶の棟梁の一人娘で、気が強く向こう見ずで負けん気が強い女性です。時代が時代ですから、棟梁の一人娘と言えば、お嬢様として周囲から腫れ物をさわるように扱われています。主人公が家族の中で、最も好きな人です。祖父は殆ど描かれることはありませんが、工場の経営者として上鷺宮に暮らしています。
大きな起伏のあるお話ではありません。どちらかというと暗く、平坦な物語を硬質な文体で淡々と描く、最近の小説界では珍しいものではないでしょうか。全体としては子供の頃の話が中心にあるせいか、四番目に配された「カタツムリのなみだ」の、主人公が中学生の時以来二十二年ぶりにバレエの発表会で踊る、というのが最後まで、唐突な感じで解せませんでした。
「カタツムリのなみだ」だけが異質な感じがするのは、書き下ろしであるのと、時間が他のものと大きく離れているせいでしょう、正直、ここに配されるのがよかったのか、私としてはむしろ巻頭のほうが自然ではなかったのか、など思ったりします。中では、腫れ物に触るようにして周囲から扱われていた叔父との交流を描く「マーニー」、意図しないうちに苛めに荷担し、それを楽しんでしまった主人公の反省「タアちゃん」が特に印象的でした。
最後に目次を写しておきます。
背中の記憶
はやくとかわいい
夢
カタツムリのなみだ
マーニー
タアちゃん
おとうと
ねんね
はつこい
やさしい傷あと
treasure hunting
ホリデイin高崎
a box named flower
あとがき