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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2011.11
- 出版社: 角川書店
- サイズ:19cm/271p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-04-110050-9
読割 50
紙の本
3・15卒業闘争
著者 平山 瑞穂 (著)
誰も疑問に思わない「学校」というシステムを舞台に、思いもよらない陰謀とそこからの壮絶な逃走劇を息もつかせぬ筆致で描く、平山瑞穂ダークサイドの到達点。【「BOOK」データベ...
3・15卒業闘争
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商品説明
誰も疑問に思わない「学校」というシステムを舞台に、思いもよらない陰謀とそこからの壮絶な逃走劇を息もつかせぬ筆致で描く、平山瑞穂ダークサイドの到達点。【「BOOK」データベースの商品解説】
誰も疑問に思わない「学校」というシステムを舞台に、思いもよらない陰謀とそこからの壮絶な逃走劇を、息もつかせぬ筆致で描く。謎が謎をよぶ異形の学園サスペンス。『野性時代』掲載に加筆し書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
平山 瑞穂
- 略歴
- 〈平山瑞穂〉1968年東京生まれ。「ラス・マンチャス通信」で第16回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。他の著書に「桃の向こう」「忘れないと誓ったぼくがいた」など。
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紙の本
ラス・マンチャスふたたび?
2012/01/16 22:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:相羽 悠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ファンタジーノベル大賞を受賞したデビュー作『ラス・マンチャス通信』以来、設定を変えながら、自分のアイデンティティに確信をもてない人物を多く描いてきた平山瑞穂。その作品の表立った筋は恋愛小説だったり、青春小説だったりするが、背後にはファンタジー、SF、ミステリの要素がそこかしこに織り込まれており、一筋縄ではいかない作品を発表しつづけている作家だ。彼が「たぶん僕にしか書けない」と自負する本書は、やむを得ず知的障害者の兄を殺して家族から捨てられ、世間をさまよう主人公を描いた幻想小説『ラス・マンチャス通信』がそうだったように、エロ、グロ、暴力の散りばめられた黒い小説という趣向をこらしつつ、主人公の「成長」をつづっていく。
本書の主人公は中学二年生。異性への関心が高く、学校に気になる女学生がいるものの、どうアプローチしていいかわからない。勉強はそこそこにこなし、クラブはバレー部に入っていて、先輩に頭があがらない。今朝一番の心配事は遅刻だった。こう書くとふつうの学園小説のようだが、学校近くの歩道には棺桶がいくつか常備されており、ときどき教室に乱入してくる殺人鬼が生徒を殺す。生徒の年齢はさまざま。十四歳の生徒もいれば、三十歳の主人公より年上の中高年の生徒もいる。どうやら戦争中であるらしいこの社会の規律は厳しく、「不適格者」には社会的な抹殺が待っている。そうした不名誉な烙印を押されないためにも生徒たちは学校に通う。ただし、もう何年も卒業生は出ていないらしい。こうした状況に苛立つ有志生徒が結成した「卒業準備委員会」に主人公は加わり、学校側との抗争に突入していく。
あらすじ紹介で「らしい」を連発しなければならず、舞台からして「あらためて考えてみたことはないが、たぶん中学校なのだと思う」と説明されるように、どこか現実感が希薄、不可解さがそこかしこにあふれる作品世界で目立つのは主人公の幼さだ。「大人ならば」「大人になるとは」など大人との距離を繰り返し強調、小遣い稼ぎに会社興しを思いついたものの、やることと言えばテレビドラマに出てくる会社を再現するべくグラフを壁に貼るぐらい、戦争中なのに相手国がどこだかわからず、卑猥な本やビデオに夢中になっている。三十歳とは思えないほど幼くて頼りない。大切なことほど思い出せない記憶のあいまいさも、その頼りなさを増幅する。
他方で、「若い奴のなけなしの面子を守ってやろうという年長者としての余裕」「大学を出たてくらいの女の声」「いかがなものか」など、中学生らしからぬ表現が出てくる。さらりと書かれてはいるが、生命保険会社の名前を見て「生命」と「会社」の結びつきがミスマッチだという感想にどきりとさせられると同時に、主人公には社会人体験があるのではないか、意識的であるにせよ、無意識であるにせよ、幼さは演出されたものではないかという疑問が生じてくる。
少なくとも幼さを装うことは主人公に有利に働く。戦争をやっていても、殺人鬼が定期的に襲ってきても、子どもであれば受け身をつらぬくことへの言い訳が成立する。さらに三十歳で中学校に在籍する正当性を勝ち取る道も開けてくる。最後に明かされるが、主人公にはそうまでして中学校にこだわる理由があるのだ。卒業生を出さず、進学や就職が取りざたされない学校、市民があまり意識していないらしい戦争を挙行し、敵の姿の見えない戦場に兵士を送り出す軍隊。両方ともその存在意義を疑いたくなるくらい社会での影が薄い。こうした組織が機能している社会はどこに存在するのか。その答と主人公の幼さはリンクしている。
保護される立場を捨て、命令されたり、周囲の状況に流されたりもせず、主人公が行動をおこす最後がいい。なぜ中学校にこだわったのか明らかになり、本当に大切なものは何か、取捨選択を迫られる。そこに成長がある。ぼやけていた記憶がぶれのない像を結ぶ決断の瞬間が鮮烈だ。
ここから先は本書を読み終わった方、しかも「深読み」を楽しみたい方に向けた情報となる。題名にある三月十五日、その日に学校を卒業する人もいるだろうが、「ブルータス、お前もか」と叫んで殺された人もいる。その人の名前はジュリアス・シーザー。彼がどんな形で殺されたか、その後ローマで政治がどう動いたのか、歴史のヒントをもとに本書を読みなおすと、いま一度めくるめく思いが味わえる。